しかしそれにしても、当時の祖父が身の危険まで冒して私に『論語』を教えたかったのは、いったいなぜなのか。大学生になって田舎の村に帰省したとき、やっと祖母の口からそのわけを聞き出した。
実は、漢方医であった祖父は、孫の私に自分の医術を全部伝授して、立派な漢方医に育てていくつもりだったというのだ。祖父自身の子供たちは誰一人彼の医術を受け継ごうとしなかったから、孫の私が祖父母の家に預けられたそのときから、祖父はそんな決意を密かに固めたようである。
そして、祖父の世代の漢方医の考えでは、医術はまず「仁術」でなければならなかった。
祖父は医術伝授の前段階の「基礎教育」として「仁術」を身に着けさせるために、『論語』の言葉を私に教えた、というわけである。
しかし残念なことに、私が小学校五年生のときに成都にいる両親の元に戻されてから間もなくして、祖父は肺がんで亡くなった。孫の私を漢方医に育てるという祖父の夢はついに叶わなかったのである。
これが、私が子供時代に体験した、それこそ「論語読みの論語知らず」という奇妙な勉強体験であり、私の人生における『論語』との最初の出会いであった。
おかげで、『論語』の多くの言葉が、私の記憶の中に叩き込まれ、深く刻まれた。初老となった今でも、『論語』の言葉の一つを耳にしただけで、一連の語句が次から次へと、頭の中に浮かび上がってきて、湧くように口元にのぼってくる。
その一方で、祖父が私に施した『論語』教育の真意を、大学生のときに祖母から聞き出して以来ずっと、「『論語』とは何か」というテーマが私の大いなる問題関心の一つとなった。
わが祖父が命の危険を冒してまで私に教えた『論語』は、きっと素晴らしい書物であろう。しかし、その素晴らしさは、いったいどこにあるのか。
二千数百年前に生きた孔子という人間の発した言葉の一つ一つに、いったいどのような深意があるのか。そして、今に生きるわれわれが、それをいちいち覚えておくほどの価値があるのか。
私の祖父と祖父の世代の中国の知識人たちは、『論語』のことを不滅の「聖典」だと思っているようだが、果たしてそうなのか。現代に生きるわれわれにとって『論語』を学ぶ意味は、いったいどこにあるのか、などなど、『論語』をめぐるさまざまな問題はこの数十年間、ずっと私の心の中にあり、時折、浮上してきては私に思索を促した。
こうして、幼少時代の四川省の山村での体験によって、一思考者としての私は『論語』と生涯の縁を結ぶこととなったのである。
更新:11月22日 00:05