2023年07月12日 公開
「日本の若者の右傾化」が取り沙汰されている。しかし、これは事実なのだろうか? 橘玲氏は「右傾化論」を俗説と切り、若者が自民党や維新を支持している真の理由、そしてリベラリズムの台頭によって社会に生じた不都合な問題について解説する。
※本稿は『Voice』2023年7月号より抜粋・編集のうえ、一部加筆したものです。
社会がよりリベラルになることは、総体としては人びとの幸福度を上げるだろうが、リベラル化がなにもかもよいことだとはいえない。一人ひとりがより自由になれば、社会が複雑化して利害の調整が困難になり、政治は機能しなくなるだろう。
ここで私は、リベラル化を「自分らしく生きたい」という価値観と定義している。人類史の大半において、生まれたときに身分や仕事、暮らす場所や結婚相手が決まっているのが当たり前で、「自由な人生」など想像すらできなかった。だが第二次世界大戦が終わると、欧米先進国を中心に、これまで人類が経験したことのない「とてつもなく豊かで平和な社会」が実現した。
この巨大なパラダイム転換を受けて、1960年代後半のアメリカ西海岸で、「自分の人生を自分で選択する」という驚くべき思想が登場し、「セックス・ドラッグ・ロックンロール」とともに、またたくまに世界中の若者たちを虜にした。これが社会をリベラル化させる理由は、自由の相互性から説明できる。
私が自分らしく生きるのなら、あなたにも同じ権利が保証されなくてはならない。これに合意しないのは、人権を否定し、奴隷制や身分制を擁護する者だけだ。
このようにして、人種や民族、性別や性的指向など、本人には選べない「しるし」に基づいて他者(マイノリティ)を差別することはものすごく嫌われるようになった。
私と同じ自由をあなたがもっていないのなら、あなたにはそれを要求する正当な権利があるし、先行して自由を手にした者(マジョリティ)は、マイノリティが自由を獲得する運動を支援する道徳的な責務を負っている。
ここまではきわめてわかりやすいし、自分を「差別主義者」だと公言するごく少数を除けば、異論はほとんどないだろう。誰もが「自分らしく生きたい」と願う社会では、「自分らしく生きられない」人たちの存在はリベラルの理想への冒涜なのだ。
10年ほど前までは日本の「右傾化」が熱心に論じられていたが、私は一貫して、「世界も日本もリベラル化の巨大な潮流のなかにある」と述べてきた。
日本は北欧と並んで世界でもっとも世俗的な社会で、ほとんどの親は子どもに「自分らしく生きてほしい」と願っている。いまの若者には親が決めた相手と結婚することなど想像もできないだろうが、世界にはまだこれが当たり前の社会がたくさんある。
リベラリズムの基本原理は、19世紀イギリスの哲学者J・S・ミルが唱えた「他者危害原則」だ。自由について徹底的に考えたミルは、他者に危害を加えるおそれがないのなら、悪癖も含め、国家は個人の自由な選択に介入してはならないと主張した。
日本社会のリベラル化がよくわかるのが同性婚問題だ。同性愛者が法的に結婚したからといって、異性愛者の私になんらかの直接な危害が及ぶわけではない。だとしたら、「自分らしく生きたい」と思う同性愛者の婚姻に反対する根拠はリベラリズムにはない。
メディア各社の調査では、日本でも同性婚への支持は全体で6~7割、若年層では80%以上に達している。高齢者が保守的で、若者のほうがリベラルという傾向も顕著で、「日本の若者が右傾化している」というのが俗説であることがよくわかる。
一世を風靡した「右傾化論」の根拠は、政党支持率の調査で若者ほど自民(安倍政権)や維新を支持し、立憲や共産党への関心が低いという結果が一貫して示されたからだ。
だがこれは解釈が間違っていて、超高齢社会の日本で「老人に押しつぶされる」という強い不安を抱える若者にとっては、福祉社会をめざす(自称)リベラル政党は「保守」で、ネオリベ(新自由主義)的な改革を唱える自民や維新が「革新」政党なのだ。
日本の社会保障は、現役世代が高齢世代に仕送りをする賦課方式だから、少子高齢化が進むほど現役世代の負担は重くなる(世代間会計では、孫の世代は祖父の世代より一億円も損をする)。
そんな若者から見れば、年金などの既得権を守ろうとするのは「守旧派」以外のなにものでもないが、日本の(自称)リベラルはこの不都合な事実から目を背け、リベラルな若者に「右傾化」のレッテルを貼って自己正当化したのだ。
リベラリズムの原理では、見ず知らずの他人への「仕送り」を国家が強制する賦課方式は正当化が難しい。個人勘定で年金原資を積み立てるのが理想だが、すくなくとも世代間の損益を公平にしなければ、リベラルな若者から支持されることはないだろう。
更新:11月21日 00:05