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繰り返された「その場しのぎ」の政策...痛みを避け続けたメルケルの16年間が残した負債

2026年02月06日 公開

岩間陽子(政策研究大学院大学教授)

ドイツ 国会議事堂

ドイツのアンゲラ・メルケル氏は16年にわたる首相在任時に、人気も実績も、揺るがぬ支持も手にしていた。しかし彼女が去ったあとのドイツは、いま迷いのなかにある。それは、痛みを避け、 波風を立てず、 安定に徹したメルケル政権が「負の遺産」を残したからだ――。

※本稿は、『Voice』2025年12月号より加筆・編集した内容をお届けします。

 

カメレオンの如く擬態し、変化し続けた

アンゲラ・メルケルを一度だけ、間近で見たことがある。1998年だったはずだ。まだドイツ政府はボンで仕事をしていた。環境・自然保護・原子力安全担当大臣だった彼女は、日独対話の場で挨拶をしていた。

当時、大使館の専門調査員をしていた私は、ボンのペータースベルクの山上にあるホテルのレセプションの場で、彼女のスピーチを聞いた。内容はまったく覚えておらず、ただ逐次通訳をされた方のよどみのない通訳ぶりに感嘆したことだけ記憶している。メルケルに関しては、地味な女性だとしか思わなかった。将来彼女がドイツ首相になるだろうとは、夢にも思わなかった。

彼女の自伝『自由』(上下巻、KADOKAWA)の書評で私は、「彼女の政権が8年程度なら、極めて有能な首相として記憶されただろう」と書いた。その評価はいまでも変わっていない。夜を徹して続くマラソン会議で、明け方に合意をまとめ上げる彼女の手腕とスタミナは、何度となく目撃されてきた。戦後東西ドイツを通じて初めての女性首相であり、理知的な演説が印象的だった。

彼女が首相だった時代の連邦首相府のウェブサイトは、情報が早く、よく整理されていた。自分に関する情報管理に、とても気を使っていたのだろう。おそらく、東ドイツという監視社会のなかで抜け難く身についたものだったのだろうが、「自分がどう見られているか」ということをつねに強く意識していた。

決して間違いを犯さなかったわけではないが、何かミスをしたときは、静かにそれを修正して、あとから辻褄を合わせて言い繕った。その結果、当初とまったく違う場所に行きついても、素知らぬ顔で控えめな笑顔を浮かべていた。

1990年代の彼女はほとんど化粧っけがなく、髪型にもまったく気を使っていなかった。しかし、その後どんどん変化していった。もっとも化粧が濃いのは、2005年に首相に就任した当初だろう。アイラインやアイシャドウ、チークにも気を配り、髪型もプロに仕上げてもらっている。

しかし、じきに化粧も髪型もよりシンプルになっていった。「女性」を前面に出すよりも、「母親的」であることのほうが受けがよい、と学んだからだろう。身体の前でひし形に指をつくる姿勢も、トレードマークとして定着していった。自分を、庶民的で気取らない、普通のドイツのお母さんのような人物として演出しようという気持ちは、彼女の自伝を通じて見られる。

メルケルはつねに、国民が求めているものを鋭敏に察し、それに自分を合わせていった。ドイツ人は気取ったり、派手過ぎることは、とくに女性に関しては好まない。16年分にすればそれほど長くはない自伝のなかに、何度も首相府の食べ物の話が出てくる。

「ケールと豚の塩漬け」が大好物だと言い、首相府に2005年に入ったときと、2021年に去るとき、ソーセージとハンバーグとポテトサラダという同じメニューを食べたことを強調している。そのほかにも、チキンスープ、ジャガイモやレンズ豆のスープなど、あえて庶民的でドイツらしい、素朴な食べ物ばかりあげている。別にみずから台所に立つわけではなく、それらは料理人がつくってくれているのだが。

ほとんどカメレオンのように、国民の求めているものに合わせて擬態し続けたからこそ、彼女は16年間無敵だった。選挙には強かった。ただ、首相在任期間が長くなるにつれ、彼女が以前の自分の言動と矛盾することを平然とやっていることに、私は違和感を強めていった。

よく知られているのは、原発問題に関する姿勢の180度転換だ。CDU(キリスト教民主同盟)は伝統的には原子力エネルギー推進派であり、彼女も原子力安全担当大臣として、当然その政策に則っていた。しかし、2011年の福島原発事故直後に反原発政策に転じたことはよく知られている。

中国の人権問題も同様だ。彼女が昔、ダライ・ラマと会見したことなど、記憶している人は少ないだろう。自伝にも、ダライ・ラマの名前は一度だけさりげなく登場する。だが、就任当初は意気込んでダライ・ラマに会ったのだ。それが当時の彼女の考える国民受けだったのだろう。しかし、中国の反応を過少評価していた。

メルケルとダライ・ラマは、まだ彼女が政権に就く前に一度2005年に会っている。その後ドイツ首相としては初めて、2007年9月にベルリンで会談した。その前の月に訪中した折も、メルケルは人権問題を中国に対して何度も提起していた。ダライ・ラマと会うに及んで、中国側はメルケルを激しく非難し、スケジュールされていた独中対話をキャンセルした。メルケルの勇気ある行動に対して、ドイツ国内からは野党緑の党を含めて、多くの賞賛の声が上がったが、その後彼女がダライ・ラマと会うことはなかった。

このあと彼女は習近平との緊密な関係を築く。特徴的なのは、彼女がさりげなく、静かに立場を変えることだ。ダライ・ラマに会うほうが国家の代表としては拙策だったのだ。だから、訂正することは別に恥ずかしいことではない。これくらいのことは、多くの政治家が素知らぬ顔をしてやるだろう。

しかし、一旦親中派になったメルケルは、頑なに親中派のままである。任期の最後に強引に押し込もうと試みたのは、EU・中国投資協定だった。経済は政治ではない、と彼女は強弁し続けた。しかし、じつは経済を恐ろしく政治にした。その一つが中国であり、もう一つがロシアだった。

 

保守政権でありながらリベラル政策を推進

ベルリン中心部にある動物園では、きらびやかな「パンダ・ガーデン」がいまも人気だ。やはり親中派だったヘルムート・シュミット首相の時代に借り受けたパンダが死去したあと、ベルリンにはパンダがいなくなった。在任中延べ一二回にわたる訪中を行なったメルケルは、ベルリンにパンダを連れてくる合意を取り付け、2017年7月5日に習近平と並んで華々しくパンダ・ガーデンをオープンさせた。

メルケル在任期間の終盤、ドイツ外交は徐々に中国から距離を置き始めていたが、彼女はいまだに自分の外交を悔いていない。自伝のなかでも、「通商関係において特定の産品を特定の国に依存するのを避ける」デリスキングはデカップリングと大差ないと批判し、重要なのは中国をルールに基づく多国間関係に取り込むための「巧みな交渉」であり、対話と協力を続けることだと主張している。

「特定の産品を特定の国に依存する」とは、まさにメルケルが天然ガスに関してロシアとのあいだで行なったことだ。バルト海の海底ガスパイプライン、ノルドストリーム1と2に関して、自伝では多くの頁が割かれている。ソ連/ロシアとのエネルギー経済関係を重視するというのは、じつはドイツ社民党の1970年代以来の政策である。

メルケルの政策はしばしば指摘されるように、非常に社民党的である。16年間の在任期間中12年間、社民党との大連立政権が続いた。オープンな移民政策や同性婚など、従来の保守政権では考えられないほどリベラルな政策を取り入れた。2015年夏の難民危機の際は、当初非常に難民に対してオープンな立場を取ったこともよく知られている。難民受け入れに関してはその後政策修正に追い込まれたものの、全般的にはシュレーダー政権時代のオープンな外国人政策が維持されていた。

反原発政策も社民党と緑の党の伝統的政策である。原発を放棄した結果、水素や再生可能エネルギーへの移行までの過渡期、天然ガスへの依存度を上げざるを得なかった。ロシアによるウクライナ侵攻後、ロシアからのパイプライン経由のガスが途絶え、エネルギー価格が高騰したことの影響を、ドイツ経済はもろに受けている。

2014年のロシアによるクリミア侵攻以後、EU全体としてもロシアへのエネルギー依存を減らす方向性が出されていたにもかかわらず、メルケル政権の反応は鈍かった。安全保障面への影響に対する鈍感さというのは、メルケル政権を通じて見られる特徴だ。

対中政策のバックラッシュ(逆流)も始まっている。長らく中国はドイツ車にとっての重要な市場だった。しかし、中国へのドイツ車の輸出は頭打ちになっており、逆に中国産EV車の輸出攻勢にEU市場がさらされ始めている。安いロシアのガスも、ドイツ車の輸出のための中国との良好な関係も、ドイツ経済界が強く望んだことではあった。その結果、ドイツ経済は潤い、相対的に安いユーロのおかげもあり、2010年代はまさにメルケルにとってもドイツ経済にとっても黄金期となった。

しかし、政治の役割とは、国民が望むことを実現するだけだろうか。将来を見据え、いま痛みを伴い、不人気な改革でも、国民を説得し、実現していくこともまた政治の役割ではないだろうか。メルケル政権には、この側面が欠けていた。その瞬間、瞬間の最適解を求め、国民の望むものを与え続けたため、つねに人気は高く、選挙には強かったが、将来へのビジョンや投資はおざなりにされた。16年にわたる長期政権で、その場しのぎの政策を続けたことの弊害は大きい。

 

おとなしい表情の裏に隠された巨大なエゴ

メルケル政権のアプローチが含む問題を体現しているのが、彼女の任期中に基本法に組み込まれた「債務ブレーキ」である。この債務ブレーキに象徴される「国家財政の再建」を、メルケルはみずからの功績の筆頭にあげている。ドイツ人のインフレ嫌いは、国民的DNAに組み込まれている。安倍政権の財政拡大政策に関して、私は何度もドイツの保守政治家から強い批判を聞かされた。

ドイツの歴史上最大の悲劇の一つが、1923年のハイパーインフレーションである。文字どおり、お金が紙屑と化したこのインフレーションは、いまも国民のなかにトラウマとして残っており、財政均衡主義はドイツ政治文化の大きな特徴である。ユーロの設計も本来はこれを強く反映していたのだが、徐々に周辺諸国の圧力と現実の必要性に迫られて、規律は緩んでいる。

しかし、ドイツ単独で行動するとき、このインフレ嫌い、赤字嫌い体質は強く表れる。メルケルは誰よりもこの価値観を体現することとなった。2008年の世界金融危機のあと、彼女は財政規律を重んずる立場を「シュヴァーベンの主婦」という言葉で表現し、有名になった。「自分の身の丈を超える生活を長く続けてはならない、それこそがこの危機の本質なのです」と彼女は語った。節約と質素を重んじるドイツ国民の心の琴線に触れるセリフだった。この価値観を憲法の規定にまで高めたのが、「債務ブレーキ」だった。

財政規律を重んじること自体は、悪いことではない。むしろ良いことである。しかし、非常事態において、あるいは将来のためには、時にはそこから逸脱することも必要だ。世界金融危機に続いて欧州を襲ったユーロ危機の際にも、彼女は財政均衡原則から逸脱しようとしなかった。

2011年11月のG20での場面の追想は、象徴的だ。「いま必要なのはバズーカだ」と、オバマ米大統領、サルコジ仏大統領、バローゾ欧州委員会委員長など、実質上すべての首脳陣が彼女に対して景気拡大策を迫ったのに対して、彼女はたった一人で涙を流しながら抵抗したと、得意気に記している。

実際にユーロの信用危機を回避するにあたっては、その後ECB(欧州中央銀行)総裁となったマリオ・ドラギの活躍が大きかったと言われている。「ECBはユーロを維持するために、必要なことは何でも(whatever it takes)する用意があります」という彼の言葉は、ユーロ危機の転換点だったと言われている。

しかし、メルケルの自伝には、ドラギは自分に何の相談もせずにこういう発言をし、結果として自分は連邦憲法裁判所に訴えられることになったと、恨みがましい短い記述があるのみだ。メルケルのなかでは、みずからが大きな敵と戦った記憶だけが残されているらしい。彼女にはエゴがない、という表現をした伝記作家がいるが、それは違うと思う。首尾一貫したイデオロギーや思想はない。だが、一見おとなしそうな表情の裏には、巨大なエゴが隠されていたと私は思っている。

もう一つメルケル時代の負の側面としてあげねばならないのは、安全保障と対米関係だ。この二つが表裏一体であるのは、自明のことだろう。しかし、メルケルにとってそれは自明のことではなかった。東ドイツ育ちであるメルケルの世界観がもっとも強く表れているのが、外交・安保面だと思う。彼女にとっては、もはやアメリカもフランスも特別な国ではなく、ロシアや中国と同じようにその時々の損得で関係を考えてよい国であった。この点が、しばしば比較される安倍晋三元首相との最大の違いである。

トランプ第一期政権の時代、安倍晋三とアンゲラ・メルケルは「自由主義の擁護者」と持ち上げられていた。しかし、安倍晋三は一貫してトランプ大統領との良好な関係に腐心し、日米同盟における日本の安全保障上の役割を拡大しようと努力した。

これに対して、メルケルはトランプ大統領への嫌悪感を隠さず、経済を武器にしようとするトランプに対して正論で反論しようとした。トランプ大統領への感情を隠さないメルケルの「正直さ」「勇気」に対して、多くの国民が快哉を叫んだ。

しかし、対米関係は、そのほかの二国間関係とは決定的に違う。日本もドイツも、安全保障の多くをアメリカに依存している。アメリカをたんなる外国として扱うつもりならば、安全保障面でより自立する必要がある。実際、メルケルはこの時期何度も、もはやアメリカには頼れない、欧州は安全保障でも自立する必要がある、と演説している。一方で、ドイツ連邦軍への投資は怠り続けた。ロシアのウクライナ侵攻が始まって以来、ドイツ連邦軍の準備がいかに不足しているかは、白日の下にさらされている。

 

将来への投資には及び腰になりがちだった

2014年初頭、クリミア危機が起こり、今日のウクライナ戦争につながるドンバス紛争が始まった。メルケルはマクロン仏大統領とともに外交交渉を行ない、ミンスク合意という妥協案を取り付けた。この外交に関しても、さまざまな批判が寄せられている。

ただ、ウクライナに対する軍事的コミットメントを、アメリカをはじめどの国もするつもりがまったくなかった以上、何らかの時間稼ぎ以上のことが、この時点でできたとは思えない。時間稼ぎをしつつ、本来なされるべきことは、NATOの防衛計画の見直しと並んで、ドイツ連邦軍への投資やウクライナの防衛能力の向上であった。このどちらも、メルケル下のドイツが積極的に取り組んだ形跡はない。

彼女の安全保障観をよくあらわしているのが、2015年5月10日モスクワでの発言だ。この前日の5月9日、対独戦勝70周年記念パレードがモスクワで催され、習近平も出席した。しかし、西側首脳は誰も出席しなかった。さすがのメルケルもパレードには出席しなかったが、その翌日モスクワを訪問し、無名戦士の墓に献花をした。そのとき彼女は、プーチン大統領と並んだ記者会見の冒頭で、「歴史は私たちに、どんなに難しくとも平和的に、対話を通じて解決しなければならないことを教えています」と語った。

クリミア併合への批判の言葉も忘れなかったが、ロシア側が力を使っている現状においても、対話を通じて平和的に、と語り続けたのは、それが彼女の信念に基づいていたからだろう。このあくまで平和的アプローチを説く姿勢が、彼女の人気の理由でもあり、同時に政治家としての限界でもあった。

ドイツ連邦軍と並んで、将来の投資への欠如を体現してしまっているのが、ドイツ鉄道の現状だ。かつてドイツ人の勤勉さ、几帳面さ、正確さを象徴する存在であったドイツ鉄道が、いまや惨めなまでに遅延や欠便が多くなり不満の対象となっている。ITやインフラへの投資の欠如が反映されているのだが、それはドイツ鉄道に限らない。

極右AfD(ドイツのための選択肢)人気がとくに旧東ドイツ諸州で強いことの一因は、都市部以外でのインフラの劣化があげられている。シュヴァーベンの主婦も、財布の紐を締めっぱなしでは、自宅のリノベーションすらできないだろう。20年に一度くらいは、借金してでも将来に投資をしなければ、結局は大切な自宅の寿命を縮めることになる。

 

戦後初の東独出身の女性首相が残した負債

メルケルは、保守CDUのメインストリームではなかった。女性で、プロテスタントで、リベラルな価値観をもつ彼女は、中道層に人気があった。そして、それゆえCDUのメインストリームの保守男性陣にとって利用価値があったのだ。自分たちでは獲得できない票をとってきてくれ、支持層を拡大してくれる、と期待された。

最初の政府声明演説の決め台詞に、メルケルは戦後西ドイツ初の社民党首相ウィリー・ブラントの「もっと民主主義を」をもじった、「もっと自由を」を用いた。そしてその「自由」を自伝のタイトルに使っている。実際、かつて社民党に投票していたような知識人層が、こぞって彼女に投票した。

しかし、それは逆に右に空白をつくった。その空白に現れたのが、現在CDUと支持率で首位争いを続けている極右AfDだ。あまりに長期に及んだ中道寄り政策によって、CDUは本来の保守層の支持基盤を失った。1999年に資金スキャンダルをめぐり、ヘルムート・コール元首相を追い落としたことは、しばしば彼女の「父親殺し」と言われる。だが、CDUという政党自身を換骨奪胎させたという意味では、彼女はもっと大きな「父親殺し」を行なったとも言えるのではないだろうか。

「自由」は本来責任を伴うものだ。しかし、メルケル国家の「自由」は、それを自分で守るためのコストを負うという姿勢を欠いていた。力によって自由が脅かされたとき、力を用いてでもそれを守る覚悟に欠けていた。アメリカと距離を置くならば、みずからの自由を守るための防衛力や基盤インフラに投資すべきだった。

しかし、そこで彼女が重んじたのは、財政規律であり、対話と強調による外交的解決だった。2022年のウクライナ戦争開始後も、彼女はかつての自分の外交を反省する言葉を一言も発していない。これは、はっきりとロシア政策の過ちを認めたシュタインマイヤー大統領とは好対照をなしている。

2005年に始まったメルケル政権が、2013年で終わっていたならば、多少ふらつきながらもドラギとタッグを組んでユーロ危機を乗り切った戦後初の東独出身の女性首相、として人びとの記憶に愛されながら留まることができただろう。

しかし2014年以後、世界は力の要素がより大きな役割を果たす時代に入った。力の言語を用いる相手を交渉に持ち込むには、こちらも力の後ろ盾をもたねばならない。この厳しい世界で偉大な政治家として記憶されるには、彼女の原則や手法では到底及ばなかった。

ドイツはいま、彼女の時代の負債の重みに喘ぎ苦しんでいる。しかし、日本人もまた、将来を見据えた痛みを伴う改革を、避け続けていないか、目先の甘いお菓子をくれる政治家を求め続けていないか、みずからに問うべきだろう。

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