そして、日本的美学と武士道精神を具現化した史上最高の日本人、日本武士のなかの武士、この国の歴史のなかで輝いたもっとも素晴らしい人物といえば、それは間違いなく、私自身が敬慕してやまない、かの西郷隆盛、東洋最大の英雄と先聖である南洲翁なのである。
幕末維新の歴史において、西郷隆盛こそは、維新という回天の大業を成し遂げた最大の功労者であり、最大のカリスマであった。
しかし彼には、それを利用して自分の政治的野心や私利私欲を満たそうとする考えは露ほどもなかったように思われる。
明治新政府が成立した時、彼はその最大の功労者として高位高禄を約束されていたにもかかわらず、あっさりとそれを辞して故郷に帰り、犬と猟師と山川を相手に、野人同然の生活を楽しんだ。
「征韓論」をめぐる政争に敗れたとき、彼は兵力を一手に握る実力者の立場にありながら、クーデターなどを起こして自らの主張を押し付けたり、自分の地位を守ったりするようなことはいっさいしなかった。
彼はただ潔く官職を辞して、故郷の鹿児島に戻った。そして、純粋な青年たちと起居をともにして、芋飯を常食する生活を送った。昼間は自分で肥料桶を担いで農耕に励み、夜間は学問をして過ごした。
新政府に請われて官職についたときにも、簡素な着物に兵児帯(へこおび)という文字どおりの弊衣を身にまとい、茅屋に住むという質素極まりない生活を送った。
更新:11月22日 00:05