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「国民に覚醒を呼び掛けてほしい」元衆議院議長が高市早苗首相に求めること

伊吹文明(元衆議院議長)

伊吹文明

多党化が進み政局が混迷するいま、 宰相には何が求められるのか。難局が続く自民党の進むべき道と、 高市早苗新総理に課せられた使命とは。そして、 この内憂外患の時代に 「保守」 政治家が果たすべき役割とは――。

衆議院議長などを歴任し、 2021年に政界を引退した伊吹文明氏に聞いた。(聞き手:編集部、写真:稲垣徳文)

※本稿は、『Voice』2025年12月号より抜粋・編集した内容をお届けします。

 

高市総裁への期待と懸念

――2025年10月4日、自民党の総裁選が行なわれ、高市早苗元経済安全保障担当相が新総裁に選出されました。伊吹先生は昨年の総裁選が行なわれる前には「国民の意識を変えるリーダーシップ」の重要性を強調されていましたが、高市総裁には何を期待されますか。

【伊吹】総裁選を振り返ると、各候補者が同じように「物価を上回る賃金を実現する」「強い日本経済をつくる」などと発言していました。「強い経済」とは何かと考えると、一つには高度経済成長期のように労働生産性が他国と比べて高く、また国民のあいだで活気のある状況だと定義できるでしょう。

わが国のいまの経済状況を見れば、積極的に設備投資をすることで時間単位の生産性を高めるとともに、国民一人ひとりが目的のために頑張って働くよう意識が変革しなければ、各国に対抗できる経済は再生できません。新しい政治リーダーには、できるかぎり条件や環境を整えることを約束したうえで、国の将来は国民の皆さまの双肩にかかっていることを率直に述べ、日本をいま一度世界のなかで存在感のある国にするために、ともに歩んでいこうと呼びかけられる人であってほしい。それが私の願いです。

――裏を返せば、その呼びかけを聞いた国民が、この人であればついていこうと感じられる政治指導者が求められている、ということですね。

【伊吹】少なくとも、国民の皆さまが「自分たちの未来を切り拓いてくれる」と予感できる政治家でなければいけない。もちろん、権力の上に胡坐をかいたり、政治家である以前に世間様に顔向けできないようなことをしたりしている人間では共感を得られませんし、理論的には正しい主張を呼びかけても誰もついてこないでしょう。

歴史を振り返れば、アメリカのケネディ大統領は大統領就任演説の際に、国民に対して「国が自分に何をしてくれるかではなく、自分が国のために何ができるかを考えてほしい」と訴えかけています。また、イギリスのサッチャー首相は国民に向けて「政府だけでは力は限られ、国民の支持があってこそ成功する」というメッセージを投げかけている。

政治が国家の未来に対して大きな責任を負っているのは事実ですが、国とは国民の存在から成り立っているわけで、ケネディもサッチャーもだからこそ国民に協力を呼びかけた。そして、この二人は国民を納得させられるだけのリーダーシップを備えていた。現在の内憂外患の時代、まさしく政治指導者に求められる資質ではないでしょうか。

――先ほど例に挙げた高度経済成長期にしても、国民の力が成し遂げた事例と言えるでしょう。

【伊吹】当時の日本は現在ほど豊かではなく、アメリカの生活水準に憧れていた時代でした。そこで池田勇人首
相が「所得倍増計画」というスローガンを打ち出し、国民のあいだで「自分たちも(家電の)『三種の神器』をもてるんじゃないか」「頑張ればいい家に住めるはず」という空気が醸成されたのです。

当時と現在ではさまざまな環境が違いますから、ただ昔を回顧するだけでは意味がありません。それでも、日本をふたたび世界のなかで存在感ある国にするには、政治家と国民が同じ方向を目がけて進んでいかなければいけません。

――その意味では、高市総裁が総裁選に勝利したあとの両院議員総会で、自民党の議員に向けて「ワークライフバランスを捨てて働く」などと決意を表明した発言は、物議を醸した一方で、新総裁の覚悟に共感したと反応した国民もいました。伊吹先生は政治家としての高市総裁をどう評価されていますか。

【伊吹】よく勉強されているのは間違いありません。あとは、ご自身の政治家としての理想を実現するための能力があるかどうかでしょう。それは政権担当能力とも言えますが、確たる理想をもつのであれば、さまざまな現実の制約のなかでいかに我慢しながら、たとえ歩みは遅くとも一歩ずつ地道に着実に進んでいく。高市総裁にこれから求められるのはその力であり、その意味では、あまり性急に物事を運ばないようにお願いしたいですね。

一つ懸念を申し上げるならば、高市総裁に与野党問わずどれだけの人脈的な広がりがあるのか、ということです。石破(茂)前総裁も彼を助けてくれる周囲の人間が非常に少なかった印象で、結局はかなり苦労された。高市総裁の場合も、党役員人事を見るとかなり偏った人選であり、公明党の連立離脱にしても人間関係が希薄であったことと無縁ではないでしょう。

人にはそれぞれ得手不得手があります。とくに政治については、ビジョンや政策は一人の頭のなかで考えられる。その点について高市総裁はじつに真面目な政治家ですが、ビジョンや政策を実現するには人間関係が求められます。もしも高市総裁が、当たり前のように公明党との連立は継続すると考えていたのであれば、権力を行使するうえでは周囲の人間関係への目配りや心配りが大切になることを、この機に自覚されたのではないでしょうか。その後、日本維新の会とのあいだで連立を合意しましたので、高市総理には引き続き安定した協力関係を構築するために、人間関係を育む力が問われます。

――政治を動かすためには現実の問題として権力が必要ですが、その権力を一人あるいは少数で行使するには限界がある、ということでしょうか。

【伊吹】繰り返すようですが、政治は一人ではできない。いろいろな人の力を借りなければいけませんが、これはあらゆる仕事、さらに言えば人の生き方に通ずる話でしょう。池波正太郎さんは随筆で、人間は一人で世を渡ることはできないと書いていますが、世を渡るうえで助けてくれた人への感謝の気持ちを5年、10年、20年にわたって抱き続けて接することで、人間関係は生まれる。インスタントラーメンをつくるみたいには人との繋がりはつくれませんし、そんなに簡単にできた人間関係であれば、いざというときに馬脚をあらわしますよ。

 

いま「保守」が果たすべき役割

――今後の政局がどう推移しようとも、単独過半数を獲得している政党が存在せず、まさに政党間の関係や繋がりをどうつくるかが焦点になるでしょう。多党化時代と言われる現状について、伊吹先生はどう見ていますか。

【伊吹】日本という国が随分と豊かになり、価値観を自由に主張できるような社会になっていますから、ある意味では多党化が進むのは必然だとする見方があるでしょう。ですが、日本の選挙制度は小選挙区と比例代表の並立制で、比例代表では多党化の方向に進みがちですが、小選挙区についてはまだわかりません。現時点で「連立の時代の到来」などと決めつけて本当によいものか。

ヨーロッパでは、ほとんどの国が選挙制度としては比例代表制を採用していると同時に、キリスト教文化ですから「天にまします神とわれわれを繋ぐのはキリスト唯一人」という文化が確立されています。それが個人の自己主張を是とする文化を生み出し、昨今の多党化の背景にあるのではないか。それに対して日本は、八百万の神々を信仰する農耕民族でした。鎮守の森に皆で集まり五穀豊穣をお恵みでいただいたことに感謝するなど、個人よりも共同体を大切にする国民性です。

日本人の国民性・文化は、ともすれば同調圧力を生みますが、それでも私は誇るべき協調・協力の美徳だと思う。そうした文化の違いから、日本もヨーロッパと同じく個人が際限なく自己主張を強め、その結果として多党化や連立の時代が来るのか、私はもう少し落ち着いて予測したほうがよいのではないかとする立場です。

――とはいえ議席数を見ても、依然として比較第一党ではあるものの、自民党がかつてのような存在感を発揮できない時代が訪れているのは事実でしょう。これからの自民党には何を求めますか。

【伊吹】自由と民主主義には、主役が人間ゆえのどうしても避け得ない欠点があります。自由はともすれば我儘と区別がつかない人がいる。手段を選ばず競争に勝てばよいとする勝者の論理が社会を覆いかねません。民主主義はポピュリズムに陥る危険性をつねにはらんでいる。これらの欠点が社会の分断というかたちで世界的な課題として浮上しているわけで、それをどう克服するかが、保守にもリベラルにも突きつけられている大テーマですが、私はいまこそ保守が果たすべき役割が大きいと考えています。

保守とは人間の理性を大切にしたうえで、物事を判断するときには、自分は間違えるかもしれないというきわめて謙虚な姿勢をつねにもつ思想だとするのが、私の定義です。だからこそ、いま生きている私たちだけの判断でなく、長年にわたって祖先が積み上げてきた文化や伝統、規範に立ち戻って考えていく。このように謙虚で慎重で、懐が深く、異なる考えや価値観を許容するのが保守であるとすれば、ポピュリズムや排外主義に対する防波堤になりうるでしょう。私に言わせれば、他者を攻撃したり排他的な自国第一主義を掲げたりするのは本来の保守ではありません。

ただ、いまでは保守という言葉の定義がじつに曖昧なまま使われている。だからこそ、ともすれば極端な方向に流れていきかねない。具体的には、先の総裁選では7月の参院選でシングルイシューをポピュリズム的に主張する政党に票が流れたから、それを取り戻すという議員や党員の心理が高市総裁誕生の原動力と言われています。しかし、自民党が今回の件に限らず易きに流れれば、今度は穏健保守や中道リベラルの支持を失うでしょうから、高市総裁にはバランス感覚を意識した舵取りが求められます。

 

バランスが壊れた自民党

――2025年7月の参院選を振り返ると、伊吹先生は自民党の敗因について「左右の羽のバランスが壊れてしまった」と分析されています。

【伊吹】自由民主党が立党したのは1955年のことです。当時はまだ共産主義が日本でも力をもつと危惧されていた時代でした。1955年10月、左右の社会党が統一したことへの危機感から、その翌月に自民党が誕生した。つまりは自民党とは「反社会主義・反共産主義」を掲げ、生産と分配の国家管理に反対する勢力として生まれた自由と民主主義の政党です。そして当時から、保守とリベラルいずれの政治家をも内包する国民政党で、思想的には保守とリベラルの混在政党です。

1970年代に日中国交が正常化されたころも、青嵐会のようなグループから河野洋平さんのような議員もいました。保守とリベラルが調和しながら地域社会に根を下ろしてきたのが自民党でしたが、いま明らかにバランスが崩れ始めています。

これからの自民党が進む道としては大きく三つあって、保守的な政党になるか、リベラル的な政党になるか、それとも双方を包含した政党として続けるのか。自民党の歴史を遡ると、じつは綱領に「保守政党」と明記したのは、野に下っていた民主党政権時代の2010年が初めてでした。それ以前には「国民政党」という表現のみ用いていた。

社会主義に近づきうるリベラル的な政策を行なう民主党に対するアンチテーゼを確立するために、「我が党は常に進歩を目指す保守政党である」と掲げたのですが、いま思えば「進歩を目指す国民政党」と記してもよかったかもしれない。そうした歴史をふまえたうえで、どの方向性で自民党を再生させるのか、高市総裁におかれては、非常に難しい局面ですが、多党化時代が本当に到来するかどうかを見極めたうえで、しっかりと議論することを願いたいと思います。

さらに言えば、自分の政治理念を言語化できる政治家が少なくなっているように思いますね。小選挙区制では中選挙区制とは違い、選挙区内の過半数の票を獲得することをめざしますから、必然的に浅く広く有権者に支持されようと考え、政治信条が「のっぺらぼう」の政治家が増えているように思えます。

――平成の選挙制度改革の結果、善かれ悪しかれ政治家の性質も変わったということでしょうか。

【伊吹】私もそう感じています。民主主義において政治を動かす権力を得るには、やはり選挙に勝たなければなりません。ところが小選挙区制に変わってから、支持者や推薦状をもってきた団体が自分のことを支援してくれていると誤解する候補者が目につきます。

もちろん候補者のことを立派だと認識して後押しする有権者や団体もいるでしょうが、実際にはその政治家のパーソナリティとは関係なく、政権与党という権力の座にいる一員だから支持しているケースもある。その事実を虚心坦懐に受け止めたうえで、候補者は有権者や支援団体の構成員のお宅を一軒ずつお訪ねして、自分の考えを述べて支持をお願いして然るべきですが、現実は違います。

いま申し上げたのは、中選挙区制の時代であれば当たり前の政治活動でしたが、現在の候補者は充分の努力はしていないように思いますね。昨今の自民党の凋落は、もちろん「政治とカネ」の問題などが主たる理由でしょう。しかしそれだけでなく、選挙準備のエネルギーの少なさも大きな原因だと私は考えています。

 

多党時代に求められる政権・議会運営

――現実的な政治スケジュールの話として、衆議院議長をお務めになられたご経験から、多党時代における政権運営と議会運営のあり方についてはどのように考えていますか。

【伊吹】現実的にはたしかに多党化の状況が訪れているわけで、単独で過半数の議席を獲得している政党はありません。比較第一党である自民党からすれば、公明党と袂を分かったいま、日本維新の会との連立を軸としつつ、ほかの野党とも案件ごとにいかに協力できるかが問われている。少数与党であっても政権を運営するのであれば、政治を安定させたうえで国家の安全と国民の日常を守らなくてはならない。そのためには予算を通して法律を通すことが必須条件です。

一般論として、国会で多数の議席を得られていないときに権力を行使するには、どこかから人数を借りてこなければならない。ここで二つの問題があって、一つは他党とのあいだで人間的な信頼関係や相互理解を構築するために、普段から努力を重ねられているか。もう一つは野党サイドも、もしも予算に賛成したのであれば、それが部分的であろうが行政権に関与したことを意味するわけですから、責任を分担する覚悟がはたしてあるのか。

従来の安定した自公政権であれば、野党はつねに少数派でしたから、批判したり文句を言ったりしながら、与党に譲歩させて「良いところ取り・つまみ食い」をしてきました。その意味では、与野党とともに意識を変革しなければいけない。

石破政権の時代には、補正予算や本予算を通すときには国民民主党や日本維新の会と調整をしていましたが、あの時点ではそうした覚悟を共有している兆しは見えませんでしたね。今回、閣外連立という道を選んだ維新には、とりわけその覚悟を期待したいです。

――先ほど高市総理について、党内外の人間関係の希薄さを指摘されていましたが、まさにいまこそ求められる資質だと言えそうです。

【伊吹】多党化が進めば進むほど、政権や議会の運営では複雑な交渉が求められます。今後、どのような政権が誕生しようとも、政治指導者には与野党を問わず多くの政治家などと関係を構築する能力が求められるし、交渉に応じる側にも相応の責任が求められる時代であることは間違いありません。

――いまの時代の政治家に求められる資質という意味では、SNSの普及もあって現在ほど国民の「声」が可視化されている時代もないでしょう。そうした時代の変化に政治家はどう向き合うべきですか。

【伊吹】まずメディアの問題について言えば、テレビや活字などのいわゆるオールドメディアは先の総裁選でもことごとく予測を外していましたね。小泉進次郎さんが当選する前提で人事を予測するワイドショーなどはじつにみっともなかった。他方で、オールドメディアには本来、相応の役割があるはずで、たとえば甲乙いずれの議論も併記して示すことができます。SNSではフェイクニュースも流通しやすいし、また自分と異なる意見は表示されにくい仕組みですから皆が極端な方向に流れる危うさがある。注意が必要でしょう。

そのうえで質問いただいた政治家がとるべきスタンスについてお話しすると、私はいまも毎週月曜日にフェイスブックを更新していますし、SNSの活用そのものは否定しませんが、多くの政治家が「どこで何を食べた」「今日は誰と握手した」という類の内容ばかり発信している。親しみやすさをアピールしようとそうした投稿をしているのでしょうが、もう少し自分の政治的な主張や意見を発信してほしい。

――伊吹先生は37年間にわたる議員生活で、とくに何を意識して政治活動を続けてきましたか。

【伊吹】偉そうなことは言えませんが、政治家だからと言って国民の皆さまの感覚と異なる振る舞いはしないようにしてきたつもりです。たとえば、大臣や幹事長など党の役員に任命されたり、衆議院議長になったり叙勲を
受けたりしたときには、いろいろな方からお祝いをしようと声をかけていただきましたが、一度もやりませんでした。

政治家は、皆さんから投票していただいて議員に選出されて初めて仕事ができるわけで、自分の努力で会社を興したり利益をあげたり、社会貢献したり、素晴らしい研究を発表したりするわけではありません。何かの役職をいただいたからといって、お祝いをしていただくような立場ではないと思うのです。

また、私は2021年に政界を引退しましたが、当時はありがたいことに、もう少し議員を続けるべきだとする意見もいただきました。ただ、国会議員は国民の皆さまの投票によって主権をお預かりしている立場で、任期中に私に万一のことがあれば有権者の方々に申し訳が立たない。

身内の人間を後継に立てるべきとも言われましたが、それもお断りしました。身内が政治の世界に飛び込むということであれば全力で応援しますが、そのときには私の選挙区からは出るべきではないでしょう。議員として活動させていただいているのは個人の財産ではないので、世襲はするべきではないというのが私の考えてきたことです。

 

高市総理は安倍元総理とサッチャーに学んでは

――自民党幹事長や衆議院議長などを務めた経験から、あらためて政治指導者にとっての要諦を挙げるとすれば、それは何でしょうか。

【伊吹】政治指導者は、権力と道徳という矛盾したものを両立させなければなりません。たとえば、内閣総理大臣には解散権があると言われます。憲法の7条と69条がその根拠ですが、じつは七条は解散の権利ではなく手続きを記しているという憲法上の解釈もある。いずれにせよ、政治指導者には政党や自分の権力を維持するために解散することは慎む良識が求められるべきでしょう。

あらゆる制度には長所と短所があるけれども、長所を引き出して短所を露呈させないようにするには、その仕組みを使う人間の自己抑制や謙虚さにかかっている。私自身、この点については強く意識して37年間、国会議員を務めさせていただきました。

――これからの日本の政治指導者に期待する具体的な政策を挙げるとすれば、何でしょうか。

【伊吹】私がお願いしたいのは、日本をもう一度、世界のなかで一目置かれる国にしていただきたい、ということに尽きます。たとえばアメリカから無理難題を言われたとき、「少しでも穏当な内容で勘弁してください」とお願いするような交渉をしていては、やはり残念でしょう。日本の歴史や憲法を考えると、軍事力を強化して外交の交渉力とするのは現実問題として無理ですから、やはり高度経済成長期のように経済力を甦らせなければいけません。当時であれば、アメリカに対して繊維製品の輸出を抑える代わりに沖縄の返還を交渉したと言われています。

外交交渉力になるほど経済を強くするには、たとえば科学技術への助成や海外からの国内工場誘致など、政治がさまざまな努力をしなければなりません。ただ、これらは政治だけで決められる話ではなく、企業とともに進めなければいけない。物価を上回る賃上げにしても、そうした環境をつくるのは政治の役割ですが、最終的に賃上げの判断を下すのは経営者です。

強い経済を甦らせるうえでは、何よりも労働生産性の向上が必須で、高市総理のようにワークライフバランスを捨てるべきとまでは言いませんが、日本人が皆一所懸命に働ける社会をつくることをめざさなければなりません。現在多くの辛い仕事や単純労働を避けて外国人労働者に委ねていますが、その一方で彼ら彼女らに批判の言葉を投げかけるというのは、恥ずかしいことだと思う。

高市総理には、ぜひとも国民に対して覚醒を呼びかけてほしい。彼女が尊敬しているのはサッチャーと安倍晋三元総理とのことですが、安倍さんはとくに第二次政権において、戦後レジームからの脱却や防衛力強化を進めるなどのきわめて保守的な姿をもちながら、消費税率引き上げの延期や「一億総活躍社会」の提唱など、リベラル的な政策を行なうことで権力を維持してきた。サッチャーにしても冒頭でお話ししたように、イギリスの栄光を取り戻すために国民に協力を呼びかけている。高市総理が尊敬されているこの二人の政治家のやり方を学べば、道は拓けるはずです。

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