
米中をはじめとする文明的大国が自己主張を強め、同時にデジタル化やビッグデータを軸にした技術革新が起きているなど、私たちはいま劇的な世界の変化を経験しています。このような状況下では、環境変化の圧力や不確実性に翻弄されるばかりでは十分ではなく、日本のあり様や世界のなかでの位置づけを問い直していく必要があるはずです。
「日本文明研究会(委員:河野有理、藤本龍児、三宅香帆)」では、日本の文明的な性格がいかなるものかを、思想・宗教、文化文芸から家族、組織原理、政治、経済社会にいたるまで多角的な視点で検討し、顕在知として表出していくことをめざします。近代の日本においてリベラル・デモクラシーの政治制度が採用され、定着するに至った、その文明史的な背景について、苅部直氏が4回にわたって概観します。(構成:藤橋絵美子)
「先進諸国のリベラル・デモクラシー(自由民主政)が、いまや危機に瀕している」――近年、特にアメリカで第2次トランプ政権が始まってから、よく耳にする言説です。1990年代初頭、ソヴィエト連邦と東欧諸国の共産主義体制が崩壊し、東西の冷戦が終了を迎えた直後には、リベラル・デモクラシーの勝利が声高に語られましたが、その勝利の物語が崩れ始め、新たな時代に入った。現代に関する、そうした時代認識です。
英国の政治哲学者ジョン・グレイ(ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス名誉教授)が著した『The New Leviathans ; Thoughts After Liberalism』(Allen Lane, 2023)が、そうした議論の中のおもしろい例です。題名は、17世紀のイングランドで書かれた政治思想の古典、トマス・ホッブズ『リヴァイアサン』をもじったもの。人間が純粋にその本性のみに従って行動する自然状態では、お互いに争いあう「各人が各人に対して敵である戦争」(『リヴァイアサン』第14章)が展開し、全員が死の恐怖にさらされる悲惨な状況が続いてしまう。その混乱状態に終止符を打つために、人々が契約を結び、政府を設立して、自分たちの権利を国家権力に委ねる。そうして設立される強大な国家(主権国家)を、ホッブズは『旧約聖書』に出てくる恐ろしい怪獣「リヴァイアサン(レビヤタン)」に例えたのでした。
このホッブズの理論が近代西洋の古典的なリベラリズムを基礎づけてきた、とグレイは考えています。ホッブズ自身の議論は、人々は自分の権利のほとんどを国家に委ねてしまうので、国家が設立されたあとは、原則としてその命令に抵抗できないと説くものです。しかし、のちにジョン・ロックなどの思想家がホッブズの議論を継承しつつ批判することで確立していった近代のリベラリズムの理論においては、人々の生命・自由・財産の保持に関わる権利や言論の自由、信教の自由といった諸権利は、国家が保障すべきものであり、基本的には政治権力が侵害してはいけないということが原則として定着したのです。
グレイは、そうしたリベラルな諸自由の理念は、根本的にはキリスト教が生んだ文明の一部分だという理解を示しています。「生きる意味は何か」といった窮極の問いに関しては個人の内面の信仰に委ね、国家はあくまでも形式的な制度の体系としてその問題に介入せず、思想や信仰の自由を外側から保障するというあり方。それが、キリスト教においては神が人間に与えたものとされる理性への信頼と、宗教戦争の苛酷な経験から生まれた寛容の精神に基づく、リベラリズムの原則だというのでしょう。
しかし、この21世紀、とりわけポスト・パンデミックの現在には、上に述べたようなリベラルな近代国家の原理とは異なる「新たなリヴァイアサン」が登場し、猛威をふるっている、とグレイは説いています。一つは、ロシアのプーチン政権、中国の習近平政権に見られる新独裁主義の傾向。そしてもう一つは、西欧諸国やアメリカに広がるアイデンティティ・ポリティクス、キャンセルカルチャーの横行です。
前者は国家権力が社会生活に直接に介入することを通じて、そして後者は左派の運動家たちが国家による格差是正措置などを要求し、対立者を排除することによって、政治権力に関するリベラルな制限をとり払い、権力が統制する範囲を大幅に広げている。どちらの動向においても、国家が強力な検閲体制をしき、かつてヨシフ・スターリンが文学者をそう呼んだと言われる「人間の魂の技師」として、臣民たちの生に意味を与えながら、治安の確保にあたることが期待されています。そうした国々では、近代のリベラリズムはすでに終わりを迎えているというのです。
この新著におけるグレイの展望は暗いものですが、彼は20数年前に、やはりホッブズの思想を参照しながら、リベラリズムの新たな展望を示していました。2000年に刊行された著書『Two Faces of Liberalism』(松野弘監訳『自由主義の二つの顔』ミネルヴァ書房、2006年)では、従来のリベラリズムとは異なる、ネオ・ホッブズ主義と言うべき、もう一つのリベラリズムへの転換を提唱しています。
グレイによれば、ジョン・ロック、イマヌエル・カント、ジョン・ロールズといった思想家に代表される従来のリベラリズムは、すべての人間に共通する価値観が存在すると信じ、その理想に向けて社会を構築する「合理的リベラリズム」と呼ぶべき思想でした。そうした一つの原理・原則に基づいて国家の諸制度を定めることで、近代国民国家もしくは主権的国民国家は成立すると考えられてきたのです。
しかし現代では、一つの価値観を社会の構成員の多くが共有しているという考えがすでに疑われるようになり、様々な文化や価値観が社会のなかに混在していることを、正面から認める必要がある。そこでグレイが提唱するのは、多様な価値観の共存を認める「多元的リベラリズム」です。そこでは、理性的な説得を通じて一つの価値を共有するというのではなく、異なる価値を追求する主体どうしが、「暫定協定(modus vivendi)」を時々に結び直す営みを通じて、おたがいの衝突を避け、共存することが推奨されます。
政治共同体で一つの価値を共有する必要はなく、個人がそれぞれにみずからの追求する価値を選んでよい。国家の役割は、価値に関する多元主義を前提としながら、多様な人々の権利を守り、生命の安全を確保することである――この考え方は、実はホッブズの唱えた国家観に近い。ホッブズの言う主権国家は、(その教会論を度外視すれば)思想・信条の統一をさしあたり求めず、平和と秩序を優先的に考えるものだからです。グレイは、価値が多元化した時代には、市民どうしの「暫定協定」と、その外側で法秩序を保つ国家こそが、リベラルな秩序を実現できると語っています。
ジョン・グレイの師は、20世紀を代表する政治哲学者・思想史家で、価値の多元性と共存を説いたアイザイア・バーリンです。一つの価値・原理を共有するリベラリズムの構想に対して批判的なのは、バーリンの影響によるところも大きいのでしょう。『The New Leviathans』には、こうしたリベラリズムの選択肢に関する言及が見えませんが、国家が最小限の力の行使によって秩序を保障し、そのもとで多様な価値観を持つ人々が、互いに「暫定協定」を結び直す作業を繰り返してゆくのが望ましいという考えは、まだ維持しているのではないでしょうか。
近年にホッブズの思想をおもしろく読み直した試みは、グレイの著作だけではありません。ケンブリッジ大学に学んだ政治思想史研究の大家で、ハーヴァード大学教授であるリチャード・タックが2015年に著した『The Sleeping Sovereign』(小島慎司・春山智・山本龍彦監訳『眠れる主権者』勁草書房、2025年)です。そこでタックは『リヴァイアサン』ではなく、その前にホッブズが書いた著作『市民論(De cive)』に注目しています。
先にふれたように、『リヴァイアサン』の議論においては、主権国家が設立されたあとは、人々の権利は主権者、すなわち君主もしくは元老院・議会のような合議体にほとんど委ねられるので、一般人民の意志が国家の運営をじかに左右する可能性はありません。しかし『市民論』の第7章においてホッブズは、デモクラシーはさまざまな形式をとりうるのであり、選挙による君主政もそこに含まれると説くことで、主権が実質的に人民に由来すると指摘していた。タックはそう理解します。
ホッブズが下敷きにしているのは、16世紀フランスの思想家ジャン・ボダンが主権国家の理論を定式化したときに持ち込んだ、「主権」と「統治」の区別です。「主権」は最高の立法権であり政府の高官を選任する権利で、根本的には人民に属する。統治の現実の運用においては、主権者から委託を受けた統治者が支配の実務を担うことになるが、その間、人民は言わば眠っている状態にあり、必要なさいには目覚め、統治者を選び直すことがある――そうした論理が、ボダンやホッブズによって創始された近代主権国家の理論には潜在しているとタックは指摘しています。
たとえば、英国の政治体制で事実上の最高権力を持っているのは議会(立法府)ですが、本来、全体の制度を決めた存在は人民だと考えられる。したがって憲法制定などの重大な制度変更を行なう局面では、国民投票という形で民主的主権はいつでも現れうるということになる。このように読み替えることで、絶対主義の擁護者ではなく、近代デモクラシーの先駆者としてホッブズをとらえ直すことが可能になったのでした。
ホッブズの議論の出発点は、どうすれば人間が互いに殺しあいに至らずに共存できるかという問いです。中東やウクライナにおける戦争・紛争で、歴史観や宗教観の異なる勢力どうしの激しい戦闘を目の当たりにしている現代人にとっても、生々しく迫ってくるものでしょう。グレイとタックは、前者は市民どうしの「暫定協定」とそれを外から保護する国家の役割、後者は潜在している人民の主権の発動と、強調点がそれぞれ異なります。しかしいずれにせよ、ホッブズの思想を手がかりにして、現代におけるデモクラシーと国家のあり方を考えるための、新しい視点を提供しています。
更新:02月04日 00:05