私の出身国である中国の歴史上では、政略家としての西郷南洲以上に、権略詐術を駆使して一世を圧倒するような英雄豪傑がいくらでも輩出した。
しかし、それらの英雄豪傑からは、日本の西郷南洲のような無私にして高潔の士は、ついに一人も出なかった。英雄豪傑であればあるほど、個人的な権勢や一族の栄達を求めて独裁者への道を歩んでいくのが、中国の歴史のつねであった。
権力はけっして私利私欲の限界を超越することができない。それこそが中国社会の法則であり、中国の歴史の不幸の源でもあった。しかし日本の西郷南洲は、それを見事に超越した。
西郷南洲の人格形成のプロセスを見てみると、彼はまた、当時の武士たちと同じように、いわゆる儒教教育のなかで育った人間であった。薩摩藩独特の郷中教育を通じて、あるいは藩校の造士館での教育を通じて、彼は儒教の経典である四書五経を熟読し、人並み以上の儒教的教養を身につけた。
その後、薩摩藩により沖永良部島に流されたとき、彼はまた陽明学者の川口雪蓬の指導を受け、陽明学および儒学への理解を深めた。
彼は参禅もした。故郷にいた19歳から25歳までのあいだに、西郷は地元の傑僧といわれた無参禅師に参じて曹洞宗を学び、厳しい禅の修行を重ねた。
彼はまた、漢詩の作り手でもあった。その484篇の自作漢詩のなかで、彼は中国古代の荘子や陶淵明などの高潔の士にたいする傾倒を吐露している。
「雪に耐えて梅花麗しく、霜を経て楓葉丹(あか)し」という彼のこの一句には、元中国人の私が深い感動を覚える。
いってみれば、儒学を学び、禅に参じて漢詩を詠む。この典型的な日本武士は、いわゆる東洋的教養人の典型でもあった。武士の魂と儒教の理念と禅の境地が結合して渾然一体となって、西郷南洲という高潔無比、純一至大の人格をつくりあげた。
そういう意味では、彼こそは、この東洋の世界が古来から求めつづけてきた、もっとも理想的な人格の持ち主である「君子」そのものなのである。
更新:11月24日 00:05