
個々人が数字に振り回される現状、それを崇拝して自らの人生の善し悪しの判断すらも委ねてしまう──このような一幕は、現代社会の批判としてしばしば登場してきたし、SNSがなかった時代、人々は銀行預金の残高や所持している資産で自分と他人を比べてきた。
こうした人間の「さもしさ」は古来変わっていない。だが、数字をめぐるさまざまな詐術やすれ違いが、より一層深刻になるのは、これが政治権力と結びついた時である。
そう語るのは、EBPM(Evidence Based Policy Making、エビデンスに基づく政策形成)を専門に研究されている岩手県立大学准教授の杉谷和哉氏である。
本稿では、その杉谷氏に政治家や専門家、研究者といった肩書を持つ人たちが意図的に使う数字(エビデンス)について解説して頂く。
※本稿は、杉谷和哉著『エビデンスの罠』(PHP新書)から、一部を抜粋・編集したものです。
2025年の参議院議員選挙で、「日本人ファースト」を掲げる参政党の候補者が、「外国人には生活保護を受給する権利がない」にもかかわらず、「外国人が生活保護を優先的に受給している」と街頭演説で述べた。「排外主義」だと指摘される参政党だが、この候補者の主張はそれを裏付けるものとして批判された。
この件を報じた『毎日新聞』の記事が正確に指摘しているように、この候補者の発言には、事実と噓が織り交ぜられている。まず、基本的に外国人は生活保護の受給資格を有していない。だが、一定の在留資格を有する外国人らに対しては行政措置の一環として生活保護が受給されてきた経緯がある。
では、外国人の生活保護受給者が多いとの主張はどうだろうか?SNSを席巻したある投稿によれば、生活保護を受給する世帯の3分の1は外国人世帯だという。ご丁寧にグラフまでついている。そのグラフによれば、外国人の生活保護受給世帯は約57万世帯にのぼっている。全国の生活保護受給世帯数が約165万世帯である事実に鑑みれば、確かに先の投稿は事実であるようにも思える。
だが、そのグラフは「年間のべ総数」であり、毎月の外国人の受給世帯数を12か月分積み上げた数字であった。正確に言えば、外国人が世帯主の家庭のうち、生活保護を受けているのは約5万世帯程度に過ぎない。これはせいぜいのところ約3%に過ぎず、外国人が生活保護を優先されているという事実はないことが、この数字からもハッキリとわかる。
以上のエピソードは、グラフの恣意的な読み替えによる、明らかな政治的詐術であるが、実際には数字やデータには解釈の余地が存在する場合も多く、何をもって現状が「良い」のか「悪い」のか判断するのは案外と難しい。外国人が世帯主である世帯の生活保護受給率の3%を「多い」と判断するのはさすがに無理があるが、他に目を転じれば、判断に迷うケースは珍しくない。
たとえば、何をもって景気の良さを判断するのか、という問題を考えてみよう。日本銀行のホームページには、国内総生産(GDP)が適しているとの記載がある。これに対して、いわゆる「株価」を景気の判断基準に挙げる立場もある。株価については、2025年に日経平均株価の終値が史上最高値を更新するなど、上向きのニュースが相次いだ。しかし、いくら株価が上がっているからといって、景気の向上を実感している人は多くないかもしれない。むしろ株価への注力は、一部の富裕層にだけ肩入れしているとの批判も招きうるだろうまた、日銀が依拠しているGDPに対しても批判は根強く、別の指標を用いるべきとの声は絶えない。
今ある数字を多いと解釈するのか、少ないと解釈するのか。あるいは、どの数字を重視するのか。これらは数字を見ているだけでは判断がつかない時がある。明らかなデマや噓については、エビデンスを用いて批判する必要があるが、政治側が都合の良いように数字や情報を解釈する場合において、論争の出口を見出すのは決して容易ではない。
出口のない論争を前に、「誰か決めてくれる人はいないのか」と思う人もいるだろう。
数字を正しく解釈するにあたっては、専門的な知識が必要となる。そうであれば、各分野の専門家、優れた頭脳を持っている研究者の言うことを聞けばいいとの発想に至るかもしれない。専門家は高度なトレーニングを受けているし、社会からも信頼が厚い。彼らの言っていることを信じておけば、間違いは起きない...果たして本当にそうだろうか。
実のところ、科学者や研究者が意図的に噓をついて、人々を騙すという事態は決して珍しくない。科学史家で環境学者のナオミ・オレスケスと歴史家のエリック・コンウェイによる共著、『世界を騙しつづける科学者たち』(原題はMerchants of Doubt:How a Handful of Scientists Obscured the Truth on Issues from Tobacco Smoke to Global Warming、邦訳は『世界を騙しつづける科学者たち』楽工社、上下巻)は、科学者たちがどのようにして世界を騙し続けてきたかについて述べられた著作である。
オレスケスらはこの本の中で、タバコの害や地球温暖化の影響を過小評価する研究者らの実態を克明に描いている。タバコは実はそれほど体に悪くない、だとか、地球は実は温暖化していない、といった情報は、研究者の肩書を持った者によって流布される。中には、立派な身分を持った人物もおり、一見すると信憑性が高い。だが、そうした人物の裏には企業や業界団体がついている。研究者らはそうした組織からさまざまな形での資金援助を受けており、その利益に沿った活動をしているに過ぎない。科学の名を借りて、一部のステークホルダーに肩入れをする姿勢は、政策決定を歪めるとして厳しく批判されている。
科学者らのこうした姿勢は今日において極めて大きな問題とされており、対策もなされている。そのうちの一つが「利益相反」のルールである。
たとえば、ある研究者がタバコに関する研究に取り組む時、タバコ会社から資金援助をもらっていたら、その実態を開示しなければならない。もし、その開示を怠ったら、場合によっては研究成果の撤回すらもありうる。こうした厳しいルールの下、科学的な営為の中立性を確保しようとする試みがなされているのである。
このようなエピソードは枚挙に暇がない。清廉潔白で真実を追い求める研究者像とはかけ離れた実像に驚く人も多いのではないだろうか。そもそも、理想的な研究者像として思い浮かぶような、謙虚で、いざとなれば自説を修正し、常に真理に忠実な研究者のほうが、珍しい存在なのかもしれない。というのも、利益などに基づいておらずとも、先入観から間違った自説にこだわってしまい、結果として科学の停滞に手を貸してしまう事例も珍しくないのである。
それでは、次のように考えるのはどうだろうか。我々は科学者や専門家という肩書に惑わされることなく、その主張をしっかりと吟味すべきだ。換言すれば、権威に惑わされることなく、専門家であっても間違えることがあると考えた上で、その言説を見つめるのが望ましい。いや、むしろ専門家であるからこそ、何らかの利害関係の中で発言している可能性すらあるのだ、と。
一見すると正しいように見える理路だが、このように論を運べば、たちまち我々は陰謀論、フェイクニュースの罠にはまり込むことになる。偉い先生だからと言って最初から何でもかんでも信じてはいけない、ひょっとしたら利害関係があるかもしれない...こうした疑いは、科学の健全な発展を促す側面もあるが、社会における科学への信頼全体の棄損をも招きかねない。学術の健全さを保つ「良い」疑いと、誤った物語によって社会を間違った方向へ導く「陰謀論」の間は、紙一重であるとすら言えるのである。
数字も専門家も信用できない、かといって、それらを全て無視することもできない...袋小路に嵌った我々は、何を信じていけばよいのだろうか?
更新:05月27日 00:05