
2025年11月7日の高市早苗首相の「台湾有事」 を巡る国会答弁以来、日本に対して経済カードを切るなど中国が強硬な姿勢をとり続けている。習近平政権による対応の背景を考えるうえで、中国国内の経済不振などをはじめ、短期的な文脈から分析しようとすると見誤る。(構成:編集部)
※本稿は、『Voice』2026年2月号より、内容を一部抜粋・編集したものです。
【野嶋】高市早苗首相の台湾有事を巡る国会答弁(2025年11月7日)に中国が猛反発して以来、今回の中国の強硬姿勢をどう読み解くべきか、さまざまな議論が行なわれています。まずは中国政府の一連の対応から考えると、おそらくは習近平国家主席が高市首相の発言に対して机を叩いて嚇怒し、それを受けて一気に国を挙げて「反日」に動いたのでしょう。なぜ習近平がそれほど怒ったのかと言えば、「台湾有事は日本有事」と唱えた安倍晋三元首相の「正統な後継者」を自認する高市首相への強い警戒感が背景にあると推察できます。
じつのところ、高市首相は10月31日、APEC首脳会議出席のために訪問した韓国で習近平と会談しており、「戦略的互恵関係」の推進と「建設的かつ安定的な関係」の構築で一致しました。習近平からすれば、高市首相を警戒しつつも穏当な態度で接したわけですが、その直後、高市首相がAPEC首脳会議に台湾代表として参加した林信義氏と会談した様子をSNSにアップしたことを受けて、まずは一度「カチン」ときた。それから一週間も経たずに例の国会答弁なので、「全面闘争」に舵を切らざるを得ないと判断したと考えられます。
さらに大きな視点から見ると、中国の歴史観や世界観からすれば、日本が台湾と接近して仲良くすること自体が生理的にも理念的にも許せないのでしょう。中国共産党にとって、台湾統一とは理屈ではありません。結党以来の夢であり、ドグマであり、成し遂げなければいけない命題です。そう考えたとき、先の大戦で「罪」を犯した日本が台湾問題に首をつっこむのは、モラルとして「レッドライン」を越えたという判断になる。日本からすれば軍事行動を起こしたわけではないし、どこに中国が考えるレッドラインがあるかは判然としませんが、いずれにせよ習近平は台湾問題を、政治利害を超えたメンツや道徳の問題として捉える傾向が強い。
【岡本】私は習近平国家主席を、近年の中国において最も「中国史の正統」を体現する指導者として位置づけています。彼ほどイデオロギーに忠実で皇帝のように振る舞う人物は毛沢東以来で、この点については『習近平研究』(東京大学出版会)を上梓されている鈴木隆先生(大東文化大学東洋研究所教授)の優れた研究がありますが、そんな習近平が最も執着するのが台湾です。彼はかつて台湾との窓口となる福建省厦門市の副市長を務めたほか、琉球(沖縄)との窓口で台湾とも関わりの深い福州市のトップを務めていましたから、特別な感情があるのかもしれません。
習近平からすれば、その台湾に接近しようとしているのが日本ですが、そもそも中国は日本に対して十九世紀の日清戦争で敗れたことも含めて、歴史的な恨みを積み重ねていますから、原則として厳しいスタンスをとります。しかも今回、高市首相は「核心的利益の核心」である台湾の問題に言及した。戦後の中国知識人が抱き続けてきた「一つの中国」を明確に脅かす相手がいると認識すれば、彼らからすれば強硬な手段で対抗するのは当然です。しかも中国は、いまや軍事的にも経済的にも大国ですから、日本に対してまさに公然とハラスメントを繰り返しているわけです。
また厄介なのは、いまの中国では官僚や軍の高官が習近平の顔色を窺い、忖度する体制が構築されていることです。ですから昨今、「戦狼外交」という言葉が使われるように、周辺の国や地域と摩擦する局面が多くなっている。今回の事象にしても、薛剣駐大阪総領事がSNSに「汚い首は斬ってやる」という内容を投稿したことが導火線になりましたが、おそらくは習近平から具体的な指示を受けた言動ではなく、勝手に習近平に忖度した結果の「勇み足」だったでしょう。すぐ投稿を消していますから、本人も「やりすぎた」と思っているかもしれません。私は以前に薛総領事と話したことがありますが、少なくとも今回の振る舞いのような過激な人間という印象は受けませんでした。
【野嶋】薛総領事自身は日本語にもある程度通じているかもしれませんが、あの投稿は日本語としてはやや不自然で、私は彼が中国語の伝統でもある大げさな四字熟語を、AIで翻訳してそのまま発信したのではないか、と感じました。本国と相談して練られた文章ではないと思われますが、最近の中国の当局者は品がありません。
【岡本】その後の12月6日に起きた中国軍機による自衛隊機へのレーダー照射も、習近平自身は明確な指示を出しておらずとも、皆が彼の方向ばかりを見ながら行動する組織の不健全さが招いた事件のような気がします。その行動がはたしてどのような影響を及ぼすかについては、深く考えられていないでしょう。
一方の習近平としても、官僚や軍が何かやりすぎたケースがあっても、それを咎めたり処罰したりすれば、今度は「弱腰の指導者」として共産党内での自分の求心力が失われかねません。この構造が「戦狼外交」を生んでいるわけで、習近平もそれを利用し、あわよくば東アジアの現状地図の改変に結びつけようと目論んでいるのではないでしょうか。
【野嶋】私は高圧的な中国の官僚の振る舞いを「王毅モデル」と呼んでいるんです。王毅外相はまさに、対外的に強硬でとんでもない発言を繰り返すことで習近平の歓心を買い、いまの地位まで上り詰めました。彼の「成功体験」を見て、「俺も一発かまして出世しよう」と考える官僚や軍人がいても不思議はありません。
【岡本】私が今回の中国側の対応で象徴的だと感じたのが、2025年11月19日、中国共産党機関紙である人民日報系『環球時報』が、沖縄県を設置した明治政府による1879年の「琉球処分」について、「日本軍が琉球併合を強行した」とする記事を掲載したことでした。彼らは現在の日中間に存在する問題について、いずれも十九世紀の歴史に起因していると理解しています。だからこそ、沖縄の地位はいまなお未確定であると言い続けているし、台湾問題についても、もとはといえば1874年の「台湾出兵」で日本が台湾の地に「土足で踏み込んできた」ことから始まったと認識しています。
【野嶋】非常に重要なご指摘です。日本と清国は1871年9月に日清修好条規を締結し、表向きは手を取り合って西洋列強の脅威に対抗することを確認しました。ところがその3年後に日本は台湾に出兵したわけで、清国側には「裏切られた」という失望感が広がった。台湾出兵とは1871年12月、遭難して台湾に流れ着いた宮古島民が原住民に殺害された事件を受けて、日本政府から抗議を受けた清国政府が「化外の民」(統治の及ばない民)と返答したことが契機でしたが、いずれにせよその後日清両政府間で行なわれた交渉で、沖縄は日本、台湾は清国のものとして切り分けられました。
しかし清国は沖縄も台湾も自分たちの縄張りだと思っていましたから、「沖縄を奪われた」というルサンチマンを抱きました。しかもその後、1894年からの日清戦争で敗れたことで、今度は台湾までも日本への割譲を余儀なくされた。中国の「近代史の屈辱」といえばアヘン戦争での敗北などが挙げられますが、もう半分は列強ではなく日本によってもたらされたものなのです。とくに中国にとって、日本は近代以前には見下していた存在でしたから余計に腹立たしく感じたことでしょう。こうした歴史が習近平政権の対日観や対日政策の背景にあるので、問題の根は深く、民族感情にまで関わります。
【岡本】中国ではそれらの出来事が、当時から現在に至るまで150年にわたり、屈辱の歴史として連綿と語り継がれています。現在の一般庶民がどこまで理解しているかはわかりませんが、少なくとも知識人エリートは歴史をインプットすることは当たり前で、そこから彼らなりのロジックがつくられて政策が考えられる。
中国と比較すると、日本人・日本政府はあまりにも歴史を知らなさすぎます。沖縄といえば基地問題ばかりがフォーカスされ、台湾については「親日」の側面がことさら強調されたり、旅行やグルメの情報ばかり語られたりする。それもたしかに一面ではあるのですが、歴史をふまえて行動を規定する中国と対峙しようとするならば、率直に申し上げてお話になりません。沖縄や台湾にどのような歴史的背景があるかを知るのは当然として、その歴史をふまえて中国は何を考え、どのようなアクションをとりうるのかを検討しなければいけないはずです。
【野嶋】戦前に『帝国主義下の台湾』(1929年、岩波書店)などを著した矢内原忠雄(東京大学総長などを歴任)は、台湾を「日本と中国のあいだにある、いつでも燃え盛る火」と評しています。さらにさかのぼると大隈重信は「大陸の中国と台湾をどう切り分けるかで、東アジアの未来は決まる」と述べている。このように日本でも、台湾領有の前後から第2次世界大戦に至るまでのあいだは、東アジアにおける台湾の重要性はある程度認識されていました。しかし、敗戦と戦後の日中国交正常化という二重の忘却のメカニズムが生まれたことで、李登輝総統が登場したあとの1990年代までは台湾の存在や意味合いについてまったく語られなくなりました。
私がいま懸念しているのは、今回の中国の横暴についても、不動産バブルの崩壊や地方政府の巨額債務など中国経済の停滞という国内問題から目を逸らすため、高市政権を叩くことで団結を図ろうとしている、などとする分析が語られていることです。とくに欧米の識者がそうした見方をしているように感じますが、習近平にとって経済問題は二次的、三次的な問題にすぎません。経済が落ち込んでローンを返せない中国人が出てくるくらいならば、究極的に言えば彼にとっては大きな問題ではない。重きを置くのは、あくまでも中国共産党の正統性の堅持であり、だからこそ「核心的利益の核心」と位置づける台湾は絶対に譲れないと考えているのです。
冒頭でもお話ししましたが、今回の行動の本質はあくまでも習近平が怒ったという話で、国内の不満を解消するといった戦略的なものではないでしょう。だからこそ厄介とも言えるのですが、ともあれ国際政治の文脈から中国共産党の動きには合理的で複合的な背景があるなどと判断することは、実際の中国の意図や行動原理からズレており、かえって誤解を生みかねません。
【岡本】おっしゃるとおりで、「経済が落ち込んでいるから国外的な問題に活路を見出した」などという短期的な問題として今回の行動を理解されてしまうと、中国史を研究してきた立場としても甚だ不本意です。それこそ李鴻章は台湾出兵の際、中国にとって日本は「永遠の大患」と評しましたが、さかのぼれば16世紀・倭寇の時代から中国ではそう考えられている。中国人からすれば、欧米がどれだけ脅威だとしても地理的には遠い存在です。それよりも、地政学的に身近な日本のほうが大きな患いになりうる。そう考えればこそ、李鴻章はかつて北洋艦隊を建設したのです。
近年、中国は韓国やオーストラリアに対しても「戦狼外交」を繰り広げており、今回の日本への対応もそれに類するものとして位置づける見方もあります。たしかに経済カードを切って脅しをかけるという点では共通していますが、日本と韓国やオーストラリアでは、地政学的にも歴史的にも置かれている立場が違います。日本では従来しばしば、「欧米も同じ行動をしているのに、日本だけこれだけ中国に目の敵にされるのは釈然としない」と語られますが、中国にとっての位置づけが異なるのですから当然です。そもそも、国際社会のなかで皆が対等な立場だとする考えはあまりに理想主義的でナイーヴでしょう。中国にとっては、隣国のなかで日本が最も「不届き者」なのです。
【野嶋】自分たちよりも先に近代化したことも含め、日本は中国に不快感を与える存在でしょうね。
【岡本】裏を返せば、日本は中国にそうして敵視されているうちが華という見方もできます。もしも何も言われなくなれば、中国はいよいよ日本のことを属国的な存在として見下し始めていると考えたほうがいい。
更新:03月10日 00:05