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【日本文明研究会】「文明を継承する」ということ 山形の「王祇祭」を守れるか(第4回)

船曳建夫(文化人類学者/東京大学名誉教授)

王祇祭で演じられる奉納神事「黒川能」(写真提供:山形県公式観光サイト/やまがたへの旅)

米中をはじめとする文明的大国が自己主張を強め、同時にデジタル化やビッグデータを軸にした技術革新が起きているなど、私たちはいま劇的な世界の変化を経験しています。このような状況下では、環境変化の圧力や不確実性に翻弄されるばかりでは十分ではなく、日本のあり様や世界のなかでの位置づけを問い直していく必要があるはずです。

日本文明研究会(委員:河野有理、藤本龍児、三宅香帆)」では、日本の文明的な性格がいかなるものかを、思想・宗教、文化文芸から家族、組織原理、政治、経済社会にいたるまで多角的な視点で検討し、顕在知として表出していくことをめざします。今回は、抽象的・理念的になりがちな「日本文明」について、船曳建夫氏が「生きた文明」である山形県のある地域で営まれている「王祇祭(おうぎさい)」を例に4回にわたって検討していきます。(構成:藤橋絵美子)

 

「家が途切れる」ことの意味

現在の黒川の危機に際し、例えばある集落全体の資産をどこかの農業会社が買い取り、すでにインフラとしてある水田の生産を続行すれば、生産性は何ら変わらないし、そこの数軒がその会社の農業法人に構成員として入ればいいという話になる。しかし問題は、イエという連続体とそこで継承されていたことがらがなくなるということです。

「家が途切れる」「連続性が途切れる」ということが地域全体にとってどれほど深刻な意味をもつか。単に一軒の家屋が失われるということではありません。そこに積み重ねられた人々の記憶、役割、系譜――つまり文明の単位が消滅するということです。

民俗学者の柳田國男は戦時中、しきりに先祖についての講演を行なっています。彼は、「跡継ぎが戦争で亡くなって『家』が途絶えることによって日本国がどうなるのか」に、強い危機感を持っていた。

今になって、というのは自分が柳田の年齢になって、人口が縮減する現実を目の前にして、柳田の気持ち、切迫感が、私は分かってきました。かつては地方へ旅行などに行くと「日本の村って、なんと美しいのだろう」と思ったものです。だから直近で黒川に行った際も夕日の中の風景を「美しい」と思ってもいいはずでしたが、むしろうそ寒さを覚えました。

フランスの人類学者レヴィ・ストロースも、日本滞在に際して「イエ」に強い関心を示しました。日本の文化人類学者も「イエ」という概念をずいぶん打ち出していた時代がある。「イエ」というと、現代では“家長が暴力的に権利を振りかざす家父長制”といった悪しきイメージとしてとらえられる傾向がありますが、社会の仕組みとして見ればそうではありません。自身や家族を守るためのユニットであり、血縁や親族関係を超えて社会的連続性を保持するための装置でもあった。それによって秩序の安定や職能・技能の維持・継承といった、社会的・経済的に重要な役割を果たすものでもあったのです。

 

いま「新しいイエ社会」を考えるとき

ですが現代社会において、イエの仕組みは急速に機能を失っています。個人の問題の多様化と女性へのしわ寄せが限界に来て、イエは連続性を担う力を喪失しつつある。

黒川地区でもこのたび、下座の名だたる家の長男が当屋の権利と義務を返上する願いを出したと言います。「能は自分の芸能として続けるけれども、祭りを引き受ける当屋はしない」と。この返上の願いを皮切りに、後に他の家も続いているという。祭の継承、連続性の断絶の危機は、すぐそこまできています。

とはいえ、私たちはもはや「旧いイエ」に戻ることはできません。家父長制も、性別役割分業も、社会の基盤とはなりえない。ゆえに私たちはいま、新しいかたちの「連続性を保つ制度」「文明の根幹を支えるイエ」を模索していく必要があるのではないでしょうか。いわば「イエ社会2.0」とでも言うべきものを。

私が好きな落語家・古今亭志ん生の有名な枕に、なんで夫婦で一緒にいるかといえば、「寒い晩はねぇ、くっついて寝るとあったかいんだ」があります。これは案外、イエの“本質”を突いている。なぜだかわからないけど、あったかいから人と人は一緒にいる。人が「くっついて生きる」ことで家は、文明は支えられてきたわけです。これが現代で失われているのだとしたら、現代版「くっついているとあったかい家」は、どのようにつくることができるのか――。

私は、従来の家族の在り方――夫婦や親子、養子、婿入り等々――に限らず、同性婚を含め、アセクシャル、ノンバイナリー、シェアハウス、地域共生住宅など、血縁や婚姻を超えてあらゆるものに可能性を見出していく必要があると思います。それらのものに対して、法的制度や社会的承認を与えることも含めて。それほど、これまでの人と人の間の価値観を変えなければならない局面に、私たちは立たされているように思うのです。

 

思いがけないことが起こる可能性を信じて

黒川に話を戻すと、この地域の衰退を目の当たりにしながらも、私は応援団としてまだあきらめていません。ここ数十年を見ていても、日本が直面する問題について、解決が不可能だと思われた事象が後にひっくり返った例は何度もあります。戦後長い間、大きな問題は「少ない住宅」の問題でした。家の数が少ないので、1960年代は、私たち団塊の世代が大人になったとき、「住む家」がない、大問題だ、と。しかし今は、むしろ、「住む人」がいない、と問題は逆転、またはねじれてしまいました。問題は残っていますが、問題の「かたち」が変わった。人口の縮減の問題は、それがどのような「かたち」を取るのか、まだ見極められていません。分かっているのは文明の継承のためには、新しい事態を把握し、あらゆる手段や選択肢を考え、そしてそこに現れるものを受け入れる寛容さを持つことでしょう。

都心にある私の事務所の町内会には、祭がありますが、本祭(例大祭)は3年に1度行なわれます。日本の祭りで本祭が2年に1度、または3年に1度行なわれるという事例はよくあります。種々の理由や原因はあったでしょうが、やはり毎年、全力で祭りを開催することは困難であることが一因で、継続のために、そうしたのではないでしょうか。

これに倣って、黒川の友人たちと会ったとき「3年に1度、3人がまとめて当屋になるのはどうか」と提案してみました。これは言う前からかなり侮辱的な発言だなと私自身は感じていましたが、驚いたことに、みなはすぐに否定せずに、「うーん」と考え始めました。私は、驚きと希望を感じました。問題はそこまで来ているし、待ったなしであるゆえに大きな変革がありうるかも知れない。

まずは祭の信仰と仕組みの問題です。何百年も祭と芸能が維持されてきたのは、村の中でも積極的に芸能を演じる人とそうでない人もいて、関わり方に濃淡は昔からありました。メーリングリストなど、ネットで言うROM(読むだけのメンバー)の人たちのように、芸能は演じないが見る方にいる人たちも、「座狩り」では名前の読み上げられる王祇祭のメンバーなのです。何百年も祭と芸能が維持されてきたのは、そうした人たち含めての「黒川」だったのです。生まれ育って出て行った人たち、王祇祭と黒川能を愛する人たち、そうしたいわば「外にいるサポーター」の人をどう組み込むかを考えてもいいでしょう。

黒川は、鶴岡市に行政的に合併されただけではなく、実際に市の中心からなだらかに続く平野に位置します。移住も行き来も難しくありません。人口縮減のプロセスで起きることが何であるか、考えると怖いことの中に、新しい芽があるかも知れません。昨今は日本の伝統芸能を外国人が演じることも珍しくはありません。制度が簡略化されても、演者に外の人が加わっても、祭りの本質が失われるとは限りません。ただそこに「信仰」があれば、です。ただそのことは今から心配しても仕方ない、まずは、次の10年、また次の10年と考えるしかないと思います

話は変わるようですが、能太夫になった友人は高台に畑を作り、そこで1本の桜の世話をしています。その桜は圧倒されるほど見事です。遠くから見た別の地域の子どもたちが自転車に乗って、わざわざ「見せてください」とやって来たことがあるそうです。ここには祭と芸能を支えてきた彼の美意識、信仰があるのだ、と思います。

重要なのは、「続けたい」という思いでしょう。それを梃子に、現在を生きることをどのように可能にするかを工夫する。その続けたいという意思がある限り、文明は途切れることはないと思うのです。文明の継続の中で、それを背負って生きる人間を「全取っ替え」することはできません。だからこそ私たちは、これまでに蓄えた知恵をフル活用して、少しずつの変化を起こして、生き続けるほかありません。

しかしそうすれば、黒川という文明が生きのびるための思いがけない工夫が起こるに違いない。黒川の外にいる人間として、そう期待しています。

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