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【日本文明研究会】「文明を継承する」ということ 山形の「王祇祭」を守れるか(第3回)

船曳建夫(文化人類学者/東京大学名誉教授)

王祇祭で振る舞われる 凍(し)み豆腐料理の仕込み作業「豆腐焼き」。王祇祭は別名「豆腐まつり」と呼ばれる

米中をはじめとする文明的大国が自己主張を強め、同時にデジタル化やビッグデータを軸にした技術革新が起きているなど、私たちはいま劇的な世界の変化を経験しています。このような状況下では、環境変化の圧力や不確実性に翻弄されるばかりでは十分ではなく、日本のあり様や世界のなかでの位置づけを問い直していく必要があるはずです。

日本文明研究会(委員:河野有理、藤本龍児、三宅香帆)」では、日本の文明的な性格がいかなるものかを、思想・宗教、文化文芸から家族、組織原理、政治、経済社会にいたるまで多角的な視点で検討し、顕在知として表出していくことをめざします。今回は、抽象的・理念的になりがちな「日本文明」について、船曳建夫氏が「生きた文明」である山形県のある地域で営まれている「王祇祭(おうぎさい)」を例に4回にわたって検討していきます。(構成:藤橋絵美子)

 

「日本列島改造論」の果てに……

さて、戦後日本における政策提言として、田中角栄元総理による『日本列島改造論』はあまりにも有名です。当然、私も知っていましたが実はきちんと読んだことがなく、じっくり読んだのは最近のことです。本書の評価はさまざまあるでしょうが、田中角栄氏(とそのブレーン)は、日本全体の問題の捉え方として、エネルギーと交通に焦点を絞って書いているところに切れ味がある。

内政と外交でいえば、外交は佐藤栄作前首相(当時)がすでに沖縄返還の筋道をつけている。対中国問題は残っていましたが、それ以外はあまり大きな問題はない。そこで内政に目を向け、エネルギーと交通の問題に絞り、どうやって過度な都市集中を是正し、日本に中都市、小都市を作るかについて縷々書いている。

当時は日本のエネルギーの75%を中東産石油に依存していました。この脆弱性を認識し、輸入先の多様化、エネルギー源の多様化、また備蓄体制の整備を説いている。また新幹線、空港、港湾等の交通網が全国整備によって「日本全国を1日で結ぶ」、それによって経済活動も濃密に、活発になることを謳っています。

彼は「本四架橋を3本通し、四国が日本の表玄関になる」という大構想を描きましたが、これは外れました。しかし、あとのことはおおよそ目の付け所がよかったと言っていい。その意味では、田中角栄はいるべくしていた人だと私は高く評価しています。「日本列島改造論」は、坂本龍馬が示したと伝わる「船中八策」、伊藤博文の「大日本帝国憲法」、吉田茂とGHQの合作としての「日本国憲法」と並ぶ、日本列島または日本文明に関する重要な政策提言だったと言えましょう。

「日本列島改造論」は、インフラ整備を通じて交通・流通の条件を改善し、地方の農業・畜産・水産などの産業活性化を図る目的もありました。その意味では黒川でも果樹に関して大きな変化があり、プラスのインパクトをもたらしました。

ただ、あれから50年たったいま判明したことは、列島を結んだこのネットワークは、この地からの「人離れ」も容易にしてしまったのです。これは誰も予想できなかったことでした。

 

表に出てこない黒川の女たち

また黒川の王祇祭を観察していると、ある不思議な非対称性に気が付きます。舞台の上で能を舞うのも、太夫として祭りを統括するのも、すべて男性です。地域の中で「当屋を務める」ことは一種の到達点であり名誉でもあるのですが、ルールとしてそこに女性が登場することはありません。王祇祭は、驚くほど「男性の祭り」なのです。

しかし、祭りの裏では準備が粛々と行なわれており、そうした裏方作業は女性が過半を担います。私がお世話になった家のおばあさんは裁縫が上手で、能装束を繕っていました。金糸や銀糸を使用する、非常に難易度の高い作業です。こうした能装束の縫製や料理の準備など膨大な作業を日々、こなしている。

最近になって気づいたのですが、王祇祭の際、結婚や養子などで別の村に行った男性が実家に帰ってくることはある。しかし、村を出た女性が帰って来ることは少ない。この地域は基本的に、女性は「出ていくところ」のようです。

もちろん現代において男の子が生まれるとは限らないので、息子がいない家では娘が婿養子をとることになる。そうして村に留まっている女性はいます。女性は、家に残らなければいけなかったのなら婿養子に大いに働いてもらって家付き娘であることを十分に活かしたいとは思っても、この村最大にしてそれ以外に何もない王祇祭と黒川能に、表立って関わることはできない。

そういったことを考えると、「ここに来たいと思う女の人はいないよな……」としか思えなかった。事実、私の黒川の友人7人のうち、結婚して跡継ぎがはっきりしているのは能太夫になった例の友人一人だけだったのです。

 

農業文明後期以降、男女の分業が始まった

王祇祭の構造は単なる「男女格差」として片づけられるものではなく、もう少し長い時間軸で考えてみる必要があります。

文化人類学の観点からすれば、こうした性差の構造は農業文明後期に出来上がったと思われます。

私が調査をしたバヌアツ共和国マレクラ島は、農業文明前期(初期農耕段階)です。日本の水田のように大規模に水を引くといったものではなく、1人の男が耕せる範囲の、いわゆる「菜園農業」です。太平洋なので食物はタロイモとヤムイモの2種類がほとんどで、それに加えて幾つかの野菜と果物、飼養と野生の豚・猪の組み合わせという形態です。

そこに至るまでの狩猟採集社会においても、社会的・イデオロギー的な男女の上下関係はほとんど存在しなかった。男女は協働し、食料の採取や子育ては分担するものでした。もちろん生物としての差はありますが、イデオロギーによる社会的な男女格差、支配はなかったのです。

農業文明後期になると、農業が発達し、収穫量が格段に上がります。そして土地と収穫を管理する仕組みができてくる。農業も牧畜、漁業も生物的な力と、その生産からの所有を中心とした制度であるため、次第に男性が優位な位置を占めるようになるわけです。

王祇祭のような男性中心の祭祀体系は、その農業文明的秩序の延長線上にあると言えます。田を耕し、神に捧げるコメを作るものが男性であり、その象徴として祭りを執り行なうのも男性で、女性はその基盤を守るものとして家で働き、次の祭りのために準備を続ける。こうした文明的分化として、男女の分業と格差が出来上がったのでしょう。

 

「祭り」の支えがいま、失われている

しかし21世紀の現代において、この秩序はもはや機能しません。経済的にも教育的にも男性と同等の機会を得たいま、女性は自らの人生として、結婚や出産、育児が良い選択であるとは捉え難くなっている。

こう考えてから、私は、二十代以上の女性にある生硬な問いを投げかけてみています。「国が月にいくらお金をくれるならば、仕事を辞め、キャリアを中断して、出産・育児に専念してもいいと思えますか」と。想定していた答えは月40万円ほどだったのですが、多くの女性から返ってきた答えを総括すると、月80万円というものでした。もちろん、なかには「1億円もらっても絶対しない」という人もいますが。

これは数字の問題ではなく、生きることの価値の問題です。女性は経済的補償では埋められない何か――自律や承認といったもの――を求めているのではないでしょうか。

女性が「イエ」に縛られ、「共同体」に支えられることによって成り立っていた文明が、いまやその前提を失っている。女性は、家から離れ、仕事や都市のネットワークに生を求めています。しかしそのとき、従来の「イエ」や「祭り」は支えを失ってしまう。黒川の王祇祭はまさに、そのような渦の中にいるのです。

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