2026年03月27日 公開

松下幸之助は終戦直後にPHP研究所を創設して以来、人間とは何かについて思索を重ね、その集大成ともいえる『人間を考える』(昭和47年〈1972年〉発刊)において、「人間には万物の王者たる優れた本質が与えられている」とする肯定的な人間観を提唱しました。
それから半世紀を経て、戦争や環境破壊、AIの進化など人類は新たな岐路に立っています。「22世紀の人間像研究会」では、多様な領域の専門家とともに「人間とは何か」を問い直し、次の時代を切り拓く人間像を模索していきます。
本稿は文化人類学者の磯野真穂さんによる「文化人類学における身体性の解釈の変容」の話を受けた「22世紀の人間像研究会」メンバーによるディスカッションです。全3回でお届けします。
人間はついに、自分の身体を「選び直す」段階に入りました。今回は、理想の身体とは何か、その基準はどこにあるのかを議論していきます。(構成:中嶋 愛)
【中嶋】磯野さんが紹介された「遺伝子最適化で賢い子どもをつくる」という、ウォールストリートジャーナルの記事がありましたが、それで思い出したことがあります。これもニュースで見たのですが、韓国で身長を伸ばす薬を子供に注射したり、背が伸びる体操をするジムに通わせたりする親が増えているそうです。いずれもかなり高額ですが、将来の成功のための投資ととらえているんですね。そのせいかどうかはわかりませんが、実際に韓国人の平均身長は性も女性も日本人の平均よりも高くなっています。
【磯野】それは親として「身長を伸ばしてあげなきゃかわいそう」という感覚だと思います。それは日本では「毛深いといじめられてかわいそうだから脱毛のお金をだしてあげよう」というのと同じですね。外見や体の特徴で人を差別したりしてはいけない、という方向ではなくて、「差別されない身体にしよう」という方向にいくと、資本力のある人の身体が理想の身体になっていくんですよ。
【為末】人体改造とか遺伝子の話ですね。アスリートの世界だと、黒人選手のパフォーマンスが高いのは自明で、腸腰筋のサイズ、骨格、脊髄神経など、さまざまな比較調査が行われていますが、脳だけはさわれないんです。人種間で脳がどう違うのか、ということはタブーになっている。脳も筋肉や骨格と同様にパフォーマンスに影響を与えているはずなのですが、政治的にさわってはいけない領域になっている。いわゆるIQとか数学能力などの人種間の知能の差は「社会的環境の差」という説明が一般的です。
【磯野】調査する際に人種を特定するのがまず難しいですよね。「黒人」といってもどこまでを含めるのか。
【為末】遺伝学的には明確な区切はないそうですが、そうすると逆にアファーマティブアクションのような社会的な是正措置が意味をなさなくなりますね。人種というものがあるという建前でやっているので。アメリカなどで調査するときは自己申告でやっていることが多いようです。
【磯野】人類学は、植民地主義の過程で政治的な解釈を生物学的事実として扱い、それが重大な差別や暴力を生んだという歴史があって、その反省から社会構築主義的な立場が強くなっています。ただそれが行き過ぎると、例えば男女の差異は100%社会的に構築されているという主張も生まれてしまう。それも踏まえたうえで、今後、「人種」間に脳の違いがあるとわかったとき、これをどう扱うかというのは一つの議論として出てくるかもしれません。
【為末】知性をどのように定義するかという問題もありますよね。たとえば、「知性とは共感力のことだ」となったらどうなるのか。「人とうまくやる」とか、「役割を認識する」ようなことを正確に測定する基準や方法がいまのところは存在しないですよね。
学力測定にも何か見落としのようなものがあるんじゃないかと思います。教育経済学をやっている人にきいたのですが、スポーツと生涯年収は正の相関があるらしいのですが、スポーツと学力はそうでもないらしい。だとすると学力の測定方法の中には含まれていない何かが生涯年収を上げている可能性がありますよね。
ある評価軸で見ると何が優で何が劣かがはっきりするけれども、社会性のような複雑な話になると評価軸がそもそも存在しない。そうすると、いまある軸によって、自分の持っている性質や特徴にコンプレックスを持ったり、その逆もあったりしますね。「体が大きいことがいいこと」という軸があると、背を伸ばしたくなり、「体が大きいことは悪いこと」という軸に変わると、背を丸めてなるべく小さく見せる。すべてのコンプレックスの背後にはこの社会における評価軸があると思います。
18世紀とか19世紀のヨーロッパ人は「体毛は多い方がいい」と考えていたんですよね。軸がかわるとみんな脱毛をしだすという。
【中嶋】最近、豊胸手術を元に戻す人が増えているそうですね。アメリカの女優さんやモデルさんが性的な役割から解放されたいので元に戻してスッキリした、というメッセージを写真とともにインスタで公表したりして、多くの女性たちから「いいね」されています。
【為末】アメリカっぽいですね(笑)。
【磯野】それも今の社会をよく表していると思います。生まれたままの状況をなんとか引き受けていかなくても、科学技術を使えば望みどおりに自分の願望が実現できるという価値観ですね。
【高梨】お話を伺っていて思うのは、やはり自分たちの存在を変える技術が手に入ってしまったというのが、この100年ほどでおきた、人類史上において大事な出来事だったということです。
日本ではやってはいけないということになっているけれども、次世代に対する遺伝子操作は原理的にはできてしまいます。実際、海外では禁止されているにも拘わらずゲノム編集を行った赤ちゃんを誕生させるという衝撃的な事件もすでに起きてしまいました。一度欲望に火がついたら、それはなかなか止められないことを象徴する出来事だったと思います。これは、そのやってしまった研究者個人の問題でもあると同時に、欲望に突き動かされる人間のあり方そのものの問題でもあります。つまり、決して他人事とは言えないし、そう考えるべきではない。となると22世紀にはかなり世界は変わって見えてくると思います。
そう考えたとき、理想のあり方として、私たちは何に向けて自分たちを近づけていくのか。いまは見当もつきません。「全知全能の神」がリアリティを持って想像できた時代には、そこに向かって自分たちを改造・改善していくということもあったかもしれません。いまだにそういう感覚を持っている人たちもいるかもしれないですね。一方で「全知全能の神」がどういうものなのか想像できないからこそ、私たちはありたい姿を模索し、日々葛藤していると言えます。この葛藤に耐えられないと、耳あたりのよいことに惑わされて極端に走ることもあるでしょう。
天文をやっている人間としては、そこに何か宇宙を絡めて語れるといいなと思います。
大胆なことを言えば、神にはリアリティがない時代ですけれども、他の星の生物は逆にリアリティが増してきていると私は思います。彼らはどんな姿をしているのかを知りたい。自分を改造していく欲望とは別に、そういう欲望の向け方もあるんじゃないか、それを知るためにお金を惜しまない人も出てくるんじゃないかと思います。
仮にどこかの惑星に何かいることがわかったところで、だからどうしたという話かもしれませんが、相対的に考えずに自分たちだけで「あるべき姿」というのを構築することはできないと思うのです。
【為末】身体を人為的に加工するとして、どのくらいまで許容できるんですかね。
【高梨】昔から不老不死についてはいろいろなチャレンジが行われてきましたよね。つい2、30年前、「アメリカ横断ウルトラクイズ」の優勝商品がコールドスリープしてもらう権利だったりしましたよね。あれはテレビ的なしゃれだったと思いますが、永遠に存在できることに対する我々の欲望の現れのひとつであったと思えば、「そこに向かっていって何が悪い」というふうに考える人たちも絶対いるでしょう。
いまはそのような欲望を社会的には許容していないというか、抑え合っている状態ではないでしょうか。でも、みんな本心ではどうなんですかね。「あなたは来週から全く違う自分として生まれ変われますよ」と言われたら、飛びつきたくなる人はいっぱいいるんじゃないかな。
【為末】スポーツでは「ドーピングはなぜだめなのか」という議論がもう長いこと続いています。競技場の中では厳しく制限されていますが、競技場の外ではどこまで許容されるのか。不老不死はまだ社会的に認められてないけれど、どこまでならいいのかという話とも重なりますね。
昔はドーピング禁止には「選手の健康を害する」という大義があったのですが、最近はロンジビティ(長寿)のための技術が転用されたりしているので、「体に悪くないのに、なぜドーピングを禁止しているのか」という議論になるわけです。健康にいいか悪いかではなく、人為的にどこまでパフォーマンスを向上させていいのか。どこまでもやっていいとなると、当然のことながら国力がある国が有利です。磯野さんがおっしゃっていた、「資本力のある人の身体が理想の身体になる」というのと近い話です。
投薬ではなく高地トレーニングによって緩いドーピングと同じぐらいの効果が出せるといわれているのですが、それも一定の技術力がないとできないので、先進国しか行っていません。
経済力によって選手のパフォーマンスに差がついているということは、禁止されているドーピング以外のところでいろんなことが試されているということです。アンチドーピングの人たちにすら、どこまでがトーピングなのか、投薬以外はいいのか、という基準がないんです。
【中嶋】2026年はドーピング容認の国際競技大会がアメリカで開催されると聞きました。
【為末】はい。ラスベガスで開かれる「エンハンスト・ゲーム」ですね。ドーピング容認といっても、途中のプロセスで何を摂取するかドクターがちゃんと見ます。健康に負担がかかるドーピングはできないのですが、それ以外は認められます。かつては健康に悪いといわれていたドーピングですが、いまや健康に悪くないからやっていいというところまできました。このこと自体いろんな矛盾をはらんでいると思いますが、アスリートのなかでも面白がっている人はいます。それ以上に興味深いのは、シリコンバレーの人たちがこの動きに乗ってきたということです。オリンピックの報酬の10倍ぐらい賞金が出る。それでオリンピックの金メダリストが出場を決めているんです。
エンハンストのほうが儲かるようになった時に、オリンピックの権威ってどうなるのかなと思います。マジな奴はみんなエンハンストに出て、無垢な「ありのまま」を大事にする人たちだけオリンピックに行くとか、そういうことが起き得るのかもしれない。
【磯野】「オリンピックは無垢な大会」って面白いですね。これだけ身体変工が盛んになったのに、「ありのまま」とか「自分らしさ」というのが今ほど称揚されている時代もかつてなかったと思います。一度読売新聞と朝日新聞でカウントしてみたことがあるのですが、1990年代から一気に「自分らしさ」という言葉の利用が増えています。80年代は年間50回以下だったのが、90年代だと約2000回に、2000年以降は約7200回にまで増えている。(拙著:『他者と生きる リスク・病い・死をめぐる人類学 』(集英社新書)に詳述) ありのままへの欲望がある一方で、手を加えまくって自分の身体を抜け出したところに理想があるという、対極の価値観が拮抗している状況ともいえます。この二つは反目し合いながら手を結び合ってもいるのだろうなと。
更新:03月28日 00:05