2025年10月03日 公開
2025年10月03日 更新
『人間を考える』刊行50年 特設サイトより
松下幸之助は終戦直後にPHP研究所を創設して以来、人間とは何かについて思索を重ね、その集大成ともいえる『人間を考える』(昭和47年〈1972年〉発刊)において、「人間には万物の王者たる優れた本質が与えられている」とする肯定的な人間観を提唱しました。
それから半世紀を経て、戦争や環境破壊、AIの進化など人類は新たな岐路に立っています。「22世紀の人間像研究会」では、多様な領域の専門家とともに「人間とは何か」を問い直し、次の時代を切り拓く人間像を模索していきます。(構成:中嶋 愛)
松下幸之助は昭和47年(1972年)に、自身の人間観の集大成となる『人間を考える』を出版しました。
この本は独特の構成になっていて、冒頭に「新しい人間観の提唱」という宣言文ともいえる文章が掲げられています。私たちが生きる現代の感覚とはやや隔たりを感じられる表現も含まれていますが、「万物は日に新たであり、生成発展は自然の理法である」「人間には、この宇宙の動きに順応しつつ万物を支配する力が、その本性として与えられている」と、彼なりのコスモロジーを描きながら、そのなかに人間の存在を位置づけようとしています。
当時は東西冷戦まっただ中で、世界は核による恐怖の均衡のもと、あやうい平和を保っていました。二度の世界大戦から復興し、月にまで到達した人類は、結局その叡智をうまく使いこなせない「弱く、愚かな」ものなのか。そうではなく、人間は本来もっとすぐれたものであるはずだ。松下幸之助は、そう論じました。
この本には「自然の理法」という言葉が繰り返し出てきます。これは万物が流転し、日々変わっていくことを世界の本質と捉え、その本質を受け止めながら進んでいくには「素直な心」が要るという確信の出発点であると、私は解釈しています。
ここで素直とは、「従順であること」とはむしろ真逆であり、「一つのことにとらわれずにものごとをあるがままにみようとする」積極的な態度である、と松下幸之助は述べています。
こうした人間観にもとづいて、たとえば、対立や衝突、悪というものもいったんあるがままに受け入れたうえで、共存共栄、調和をめざす、との指針が導きだされています。これはおそらく、松下が身近に経験していた労使関係からの発想でしょう。労使の利害が異なるという現実はあっても、それをやむを得ないと考えるのではなく、何とか折り合いつけて調和をめざすのだという決意です。
優れた人間の本質を発露する方法として「衆知を集める」ことの大切さも繰り返し説かれています。
人間は「万物の王者」であるといっても、一人ひとりの知恵には限りがあり、多数の知恵を生かし合うことで物心一如の繁栄を生み出すことができる、と松下は考えていました。『人間を考える』には当時の政財界の重鎮、労働組合の幹部、ノーベル賞受賞者など数十名の識者からのコメントも収録されており、その内容からも書かれたころの時代背景のようなものが伝わってきます。
「人間が万物の王者であり、支配者」という主張には、当時から「本当にそうだろうか」という議論があったようです。ただそこは本人の信念で、そうだと言い切っている。そして王者としての「責務」を問い、新しい「人間道」を説きました。
この書が世に出てから世紀をまたいで50年がたちました。世界をみわたせばいまだに戦争や紛争が続き、環境破壊、富の偏在、難民問題もとどまるところを知りません。そしていまや専制国家は民主主義国家を数で上回っています。そして、解放者にも破壊者にも、ひょっとしたら支配者にもなりうるAIなどのテクノロジーも加速度的に進化し、人類は岐路に立っています。
いまあらためて、22世紀をも視野に入れた広い文脈で「人間」を考え、新たな人間像を描いていくためにどのような観点から問いを立てるべきか。そんな問題意識から立ち上がったのが「22世紀の人間像研究会」です。思想史、スポーツ、人類学、天文学など多様な領域の専門家とともに「人間を考える」ことを考えていきます。
【22世紀の人間像】連載 目次(各記事が公開され次第、リンクが貼られます)
プロローグ 金子将史 転換期において人間の本質を捉える糸口とは
第1回 為末大 「終始一貫した私」から自由になってみる
第2回 先崎彰容 100年前の「人間学」ブームから考える
第3回 磯野真穂 医療情報がつくられる「正しい」身体と社会
第4回 高梨直紘 地球も人間も宇宙で唯一無二の存在ではない
更新:10月06日 00:05