地政学は、地理的な条件と政治、経済、社会、軍事といった分野の相互関係を分析する。日本の指導者と海外の指導者の間には、地政学と不即不離の関係にある軍事的知識について大きなギャップがあり、日本の指導者が国際情勢を理解する際の盲点となっているのではないか。
本稿では、元空将の小野田治氏に「台湾問題」について、地政学の観点から分かりやすく解説して頂く。
※本稿は、折木良一編著『自衛隊最高幹部が明かす 国防の地政学』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです
昨今、台湾有事が盛んに叫ばれるが、米国は台湾をどのように守ろうとしているのだろうか。2018年2月に第1期トランプ政権が策定した「インド太平洋における戦略的枠組み」では、「紛争時に第一列島線内での中国の持続的な空・海優勢を拒否すること」が謳われている。また「台湾を含む第一列島線にある同盟諸国を防衛」し、「第一列島線外の全領域での優勢」を確保することも明記されている。
より具体的に米インド太平洋軍の作戦構想を分析すると、第一列島線上の島々に統合精密打撃ネットワーク、とくに地上配備の対艦、対空ミサイルを配備するとともに、艦艇は艦隊を組まずに分散して行動する。第二列島線上では、中国のミサイル攻撃に対する防御力を高めるために「統合防空ミサイル防衛(IAMD)能力」を重点に置いている。
米軍がこのような軍事戦略を進めるのは、「中国が力の空白を利用して短期間のうちに武力紛争レベル以下の行動で一方的に現状を変更しようと試みる」リスクが最も高いと分析しているからである。
陸軍、海兵隊が保有する地対艦ミサイルを機動的に第一列島線上に配備することで、南シナ海、東シナ海の主として敵の艦艇を破壊する。この攻撃により敵の海軍力を無力化し海上優勢をとらせない作戦である。加えて沿岸部にある航空基地に打撃を与える作戦が構想されている。
また、空母機動艦隊は中国の精密ミサイルの標的にされるため、米海軍は、さまざまな艦艇をバラバラに配置し、敵の攻撃を1カ所に絞らせないように分散させることを狙った「分散海洋作戦構想(Distributed Maritime Operation:DMO)」をとる。当然空母はリスクの高い海域には進入せず、対空戦能力が高いイージス艦などが艦隊を組まず分散して行動することで、敵に予測をさせないような作戦展開が考えられている。
さらに米海兵隊は海軍と共に島々に機敏に展開し、地対艦ミサイルを発射したら速やかに次の場所に移動するというように機動力を利用し、相手に狙いを絞らせないような戦い方を想定している。米国は、このような作戦構想の下で中国による一方的な現状変更を抑止しようと考えているが、ハイブリッド侵攻がじわじわと進められた場合、対応は困難になるだろう。
台湾の安保関係者が最も懸念しているのは、中国による情報・浸透工作である。中国は台湾メディアを買収して、発信内容をコントロールし、浸透工作を行なってきた。
頼清徳政権は、中国によるこうした工作に強い危機感を抱いている。しかし2024年1月の総統選で頼清徳氏の得票率が40%程度だったことを考慮すれば、台湾人のなかに少なからず親中派がおり、中国の組織的な浸透工作に脆弱である可能性は否定できない。
また、2期目のトランプ政権が台湾に関してどのような政策を展開するのかは不透明だ。筆者も台湾政府関係者から、「中国の武力侵攻に際して米国が台湾を見捨てるようなことが起きた場合、日本はどのように動くのだろうか」と真剣なまなざしで問いかけられたことが何度もある。
私の回答はこうだ。トランプ政権の方向性を考えるうえで大事なのは、彼が強さを背景にディールを仕掛ける性向があることだ。彼の1期目の安全保障戦略のキーワードが「力による平和」だったことを思えば、2期目の方向性が「強さの追求」であることは当然で、1期目以上に自信をもって米国の利益を追求し、利益にならないことには手を出さないという姿勢が一層鮮明化するだろう。
中国だけが右肩上がりで、米国経済が減速していくことをトランプ氏はあらゆる手を使って食い止めようとするのは明らかだ。注意すべきは、たとえばウクライナ停戦や中東の安定化、北朝鮮の非核化などに中国カードを使おうとするようなケースだ。
その取引が台湾統一の許容とならぬよう、日本はあらゆる外交カードを使って米国を説得しなければならない。台湾を取引の材料にすれば、アジアにおける米国のコミットメントが崩壊し、米国が著しい利益を失うことを説明しなければならない。
万が一中国が台湾を占領し、統一に成功してしまった場合、その後どんな状況が考えられるのか。
台湾はいまだに技術的には中国より勝っている分野が多く、中国は半導体産業を中心とした台湾の進んだ技術を手に入れることになる。次世代技術の獲得競争の鍵を握る半導体の供給を中国が政治的にコントロールできるようになれば、世界経済や米国との技術覇権をめぐる競争にも決定的な影響を与えることになるだろう。
我が国は、台湾海峡はもとより、バシー海峡やバリンタン海峡を通過するシーレーンの安全を確保できなくなる事態も想定される。このような状況に立ち至れば、再びフィリピンに大規模な米軍が駐留するようなことにならない限り、これら海峡のシーレーンの安全確保は著しく困難になる。
また地政学的な軍事バランスが変化するとともに、東シナ海と南シナ海の一体化がより進むことになるため、中国は南シナ海の軍事化にとどまらず、軍事力を発揮して同海域のコントロールを強化する可能性も高まる。米海軍がこれまでどおり「航行の自由作戦」を継続すれば、中国の妨害行動は先鋭化し、米空母の活動は難しくなるかもしれない。
台湾が中国に取られ、米中対立が続く状況下においては、日本が安定的に中東からのエネルギーを輸送することは当然視できなくなる。またエネルギー政策に止まらず、日本企業の生産を支える東南アジアのサプライチェーン(供給網)の見直しや、それに伴う産業構造の転換も余儀なくされるきわめて甚大な影響を我が国に及ぼすことを意味する。
当然、日本の尖閣諸島のコントロールも風前の灯火となるのは間違いない。また台湾が陥落すると、台湾の空軍基地10カ所を人民解放軍が利用可能になるため、沖縄の防衛が難しくなる。日本防衛にとっても台湾の防衛は死活的に重要だとの認識をもつ必要がある。
日本は、台湾で万が一戦端が開かれるような事態が発生した際に政府としてどう対応すべきか、何ができるのかについての検討が遅れている。自衛隊内だけでなく政府全体として台湾有事について、また、万が一中国が台湾の占領と支配に成功した場合の対応について、軍事面だけでなく、長期的な経済・社会的影響まで含めた検討を早急に進めるべきである。
更新:06月22日 00:05