おそらく中国史上空前絶後の出来事であろうが、亡き皇帝の「未亡妃」として尼寺に入れられたはずの彼女は、今度は次代皇帝の妃として宮殿に返り咲いたのである。
『旧唐書』や『新唐書』などの正史に記述された、その一部始終はこうである。
先代皇帝の太宗が崩御すると、太子の李治(りち)は即位して高宗となった。じつは太宗が病床に伏していたとき、李治は太子として日夜太宗の寝殿に侍したが、そのとき武照も妃の一人として太宗の看病をしていたから、太子の李治と皇帝の妃の武照は何度も対面を重ねたという。
そのなかで、一青年としての李治と、花盛りの美女としての武照とのあいだでどのような感情的ふれ合いや心の鼓動があったかは本人たちしか知らないが、とにかく、妃だった武照の姿が若き太子の心に深く刻まれたことは確実だったようである。
そして太宗が死去して太子の李治が次代皇帝の高宗となると、武照にとっての幸運の扉が開かれた。
太宗を葬ってまもなくであろうが、故太宗の忌日(きじつ)に、高宗は武照のいる尼寺に臨幸した。太宗のための「行香(ぎょうごう)」、すなわち焼香供養を行なうためであったという。
そしてそこで、高宗と武照とは「偶然」に再会することになった。再会した二人は互いの顔を見て感泣し、長く離れた恋人同士が再会した瞬間を彷彿させるような感動的な場面だった。
後のことはすべて、高宗と武照の思惑どおりに運ばれていった。じつはちょうどそのとき、高宗の後宮では二人の女性のあいだで女の戦いが繰り広げられていた。
正式の皇后で王氏には子がないから、高宗はもっぱら男の子を生んだ淑妃の蕭(しょう)氏を寵愛した。業を煮やした王皇后は、何とかして蕭氏を高宗から引き離したいところだが、なかなか決め手が見つからない。
そこに、高宗と武照が尼寺で対面して感泣した場面が、皇帝の侍女によって王皇后に報告された。
蕭氏対策で苦慮中の皇后は閃いた。高宗がそれほど武照のことを思っているならば、武照を入宮させて高宗の側に置くと、高宗の心はきっと蕭氏から離れるだろうと王皇后は思った。
皇后はさっそく賢妻として「上意を察した」かたちで、武照の再入宮を高宗に提案した。高宗としてはまさに渡りに舟で、すぐさま応諾した。武照はそれで、尼寺からの奇跡的な再入宮を果たしたのである。
高宗という青年皇帝が武照に対して抱く密かな愛情と、自らの後宮闘争に高宗の愛情を利用しようとする王皇后の思惑が一致したことで、この前代未聞の再入宮劇が実現したわけであるが、武照にとってそれはまさに、地獄のような絶望感を味わったのちに突如訪れてきた起死回生の幸運だったのである。
更新:11月21日 00:05