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【22世紀の人間像研究会】これからの秩序との向き合い方――更新か、それとも虚無か(1)

2026年07月07日 公開
2026年07月07日 更新

先崎彰容(社会構想大学院大学社会構想研究科教授)

人間社会は秩序によって維持され、秩序の破壊によって更新されてきました。秩序が大きく崩れるとき、分断や争いがおこります。20世紀の前半に、人類は史上最悪の戦争を二度にわたって経験しました。その戦争前夜と現代社会の様相が似てきているという指摘があります。

人間を考えるとき、秩序や権威というものとどのように折り合いをつけてきたのか、それがうまくいかないときに何がおきるのか。日本思想史家の先崎彰容さんと、折口信夫とシェークスピアの作品を手がかりに、二回に分けて考えていきます。(構成:中嶋愛)

 

三種類の能面が象徴している人間社会の型

「22世紀の人間像を考える」という行為は基本的には未来志向のものですが、一方で人間は根源においてこういう存在である、ということをよく示してくれているものを一度通っておくほうが、地に足のついた人間論になるのではないかと思います。

そこで今回は、民俗学者の折口信夫の藝能発生史と、テリー・イーグルトンのマクベス論を参照しながら、人間社会における権威や秩序の問題を考えていきたいと思います。

まずは折口信夫の話からさせてください。折口信夫は有名な民俗学者であるとともに歌人であり、「釈迢空」という号を持っていました。芸能史にも詳しく、『日本藝能史六講』など著書も多数あります。柳田國男という民俗学者とほぼ同時代の人で、二人とも今でも毎年研究書が出るようなレベルの巨人です。この二人が同じ時代に生きていたことが、学問の世界をどれだけ豊かにしたことかと思わずにはいられません。

最近仕事で読んだ文献のなかに折口の「日本文学における一つの象徴」という短い論考があったのですが、そこに人間の一つの基本形のようなものが指し示されているように思いました。それが、今回ご紹介する「人間の三類型」というものです。

それを説明するために、折口が先の論考のなかでも言及している三種類の能面の話からしたいと思います。

一つは黒式尉(くろしきじょう)と言われるおじいさん、翁の面です。

 出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

もう一つは小癋見(こべしみ)の面です。

出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)出典:ColBase (https://colbase.nich.go.jp)

「癋(べし)む」というのは、口を真一文字に結ぶことです。小癋見は口を固く結び、厳しいまなざしでこちらを凝視しています。目鼻がより誇張された造形の大癋見は、目をかっと見開いて、より威圧的な表情をしています。まさに天狗とか鬼の顔ですね。

そして最後がひょっとこです。

ひょっとこ

実は僕は大学時代に観世流の能のサークルに入っていて、謡(うたい)ができて、仕舞(しまい)も舞えるくらいにはなりました。などと言うと一様に驚かれるのですが、その頃から古典芸能といったものにも関心がありました。この三つの面は、能の舞台というよりは、神楽などでよく使われているものです。

折口が書いているものを読むと、この三つの面から、人間の社会の基本と人間のありようというのが見えてくるように思うのです。

 

さて、以下の引用は日本の文学芸術がどうやってできてきたか、というくだりなのですが、まずはここから始めましょう。

 

我々の国の文学芸術は、最初神と精霊との対立の間から出発した。神は、精霊に対して、おつかけ語をかけた。神の威力ある語が、精霊の力を圧服することを信じたからである。だが精霊は、其を知つて居た。圧服をくひ止める手段は唯一つ。神の語に対してとりあはぬことである。ひたすらに緘黙を守ることであつた。しじまを守り遂げることの外には神の語の威力を逸らす方法がなかつた。此は固より、精霊自身がさう考へたのではない。古代人が言語の威力を信じ、其に圧服せられ行く物の姿をまざまざと見るに連れて、想像を精霊の上にも廻したのである。(折口信夫「日本文学における一つの象徴」)

 

このなかでいくつかの論点が出てきます。まず、神と精霊です。

精霊というのは、わかりやすく言うと、映画『千と千尋の神隠し』のような世界です。この世界観は、実は日本の太古のものではなく、平安時代の頃に成立したものです。たとえば疫病など、人間にとってあまり歓迎できないものが流行ったりすると、それは精霊のしわざと考えられていました。それよりもさらに古い時代をつかさどっていたのが神の世界で、学問的にいうとこちらが天皇につながってくる。

私たちが何となく「古い」と思っていることのなかにも、二つの層があるわけです。『源氏物語』にしても、男女の恋愛や宮廷の政治劇が、神と精霊の世界とつながっているのですね。

 

権力に対して「黙る」か「茶化す」か

さきほど出てきたの黒式尉は、秩序を作っている権力者を象徴しています。国の権力者、すなわち神であるとも解釈できます。この神が「威力ある語」を発する。

その「威力ある語」を受け取る精霊的存在が小癋見です。小癋見の面は目をキリリと見張って、口をへの字に曲げていますよね。これは黒式尉=神が行使しようとしている権力を拒絶しているのです。折口のテキストのなかに「しじまを守り」という表現が出てきますが、「しじまを守る」とは「沈黙を守る」という意味です。

学校で生徒が先生に怒られて「教室から出てけ」と言われてるのに、ずっと黙って席から立たないような場面を思い浮かべてもらうとよいかもしれません。無言は抵抗の表現の一つの典型なのです。小癋見の表情は、まさにこの状況を表しています。

古代の日本では、言葉には強い霊力が宿るとされていました。いわゆる「言霊」です。言霊をかけられたことに対して沈黙するというのも、もう一つの意思表示でした。そのことを、折口はこのように書いています。

 

絶対に口を開かず、沈黙を守ることを、形に表せば癋見の面になる訣である。......癋見の面を見る毎に思ふ。此は日本文学芸能以前の姿である。ここに胚胎したものが、深い陣痛を経て、此世に誕生したのであつた。

 

これは、権力者からの圧力に対してぐっと口を結んだ後に長い陣痛を経て出てきた言葉が、日本における文学の誕生なのだということです。

最後に残ったのがひょっとですが、ひょっとこも分類でいうと神から言葉をかけられる側の精霊の一種です。そもそも、ひょっとこはなぜこんな顔をしているのか。小癋見と比較しながら折口はこのように書いています。

 

癋見ともどきと形から言へばうそぶきだが、もどきと呼ばれるのには意義があつた。もどくと言ふ動詞は、通常「逆らふ」「反対する」「「からかふ」など言ふ用語例を持つて居る......多くの場合、もどき役にあたるものは、主役に逆らひ、反対する......里神楽に出て来る「ひよつとこ面」が、やはり同じもので、神楽師仲間では、もどきで通る。

 

つまり、ひょっとこが口を曲げているというところがポイントです。先ほどの学校の例で言うと、先生が生徒に圧力をかけてきたときに、反抗の仕方が二つあるわけですね。

一つは、小癋見のようにだんまりを決め込むこと。もう一つは、ふざけたりからかったりすることです。先生に怒られるとおちゃらけて話をそらしたり、聞いていないふりをしたりする生徒です。要するに、小ばかにしているということですね。ひょっとこは、そうやって現存の秩序を攪乱、擾乱する存在なのです。

 

発信力と影響力のある現代の「ひょっとこ」

ここに、人間の三類型のようなものが出てきました。秩序を担う黒式尉、不満や怒りで沈黙する小癋見、そして秩序自体をばかにして笑い飛ばすひょっとこ。こういう人間像が浮かび上がってきます。

いささか強引につなげると、現代社会にも、閉塞感のなかで不平不満をためこんで小癋見のように口をつぐんでいる人たちと、ひょっとこのように茶化したりばかにしたりしながら社会に対する不平不満を表明している人たちがいるわけです。いまやSNSのような発信の手段があるので、ひょっとこに意外な影響力があったりもします。

いずれにしても、折口が日本の芸能と文学の原点について書いたこの文章のなかには、人間のありようの基本形のようなものが示されている、というお話でした。

 

*本原稿は、多様な領域の専門家とともに「人間とは何か」を問い直し、次の時代を切り拓く人間像を模索していく「22世紀の人間像研究会」の内容を記事化したものです。日本思想史家の先崎彰容さんにお話しいただいたこちらの内容は、後日掲載する「ディスカッション篇」に続きます。

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