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なぜ「学歴」は日本企業で重視されるのか? 新卒一括採用がもたらす「頑張れる人」の指標

2025年05月28日 公開
2025年05月28日 更新

勅使川原真衣(組織開発専門家)

学歴社会

日本企業が学歴を重視する理由の根本には、メンバーシップ型と呼ばれる雇用システムやそれに適した新卒一括採用などの日本特有の労務管理の存在があると指摘する、組織開発専門家の勅使川原真衣氏。2025年5月29日に開催される、教育ジャーナリストのおおたとしまさ氏とのトークイベント「なぜ親は、子どもに「優秀」になってほしいのか?」にも出演する勅使川原氏の著書『学歴社会は誰のため』から、その根深い構造に触れた一節を紹介する。

※本稿は、勅使川原真衣著『学歴社会は誰のため』(PHP新書)から一部を抜粋・編集したものです。

 

新卒一括採用が定着した背景

なぜ新卒一括採用が必要とされ、またこれほどまでに定着することとなったのでしょうか。駆け足でおさらいしておきましょう。

戦後の経済成長期に、大量の人員(労働力)が必要となりましたが、長期雇用かつ年功序列の人材マネジメントシステムにおいては、その年々で定年を迎えて一気に退職する分を、ガサッと採用したくなるものです。安定的かつ定期的な、次世代要員の補充のために。そこで目をつけたのが、大学を卒業するタイミングで一括して新しい労働力を確保する新卒採用です。

学校卒業の時期に合わせて一斉に採用活動を行なう合理性は、たとえば次の点です。

同時期に、同じような年齢の若者を入社させることは、人材育成、マネジメントコストとしても秀逸です。個々人の仕事の成果を把握して、到達度を測定、評価し……なんてやらずに、年功序列の賃金体系であれば、同時期入社者は自動的にほぼ同じような昇進カーブを描くことを前提とすればいいのですから。

なおかつ、育成も、新卒者を丸ごと社内で一から教育していくスタイルが確立され、効率もよければ、企業は自社の文化に合った人材を長期間にわたって育成できるという利点もあります。これにより、安定した雇用と組織文化の維持にもつながります。

毎年、日本の卒業時期から逆算して、ほぼ決まったサイクルで就職活動をすることにすれば、計画性という意味では企業側も個人側(学生側)も備えやすい。スムーズな教育から労働への移行を可能にしたわけです。ちなみに、日本経済団体連合会(経団連)が会員1480社を対象にした2021年の調査によると、この新卒一括採用の実施割合は91%となっています。ほぼみんな!!

これはやっぱり「よくできた」仕組みです(いいとは言っていません)。メンバーシップ型雇用、新卒一括採用、終身雇用を前提とした年功序列型賃金などは、職務内容以外は、就職のタイミングも採用ターゲットも、辞める時期までがちがちに決めたものです。

これは逆に、雇用の流動性を阻害することもできるのです。いつでも誰でも会社を飛び出せるはずもないシステムですから。一社でよしなに、つつがなく、臨機応変にそのときどきに目の前にあることを「一生懸命」「頑張れば」いい。仕事とはそういうものである─という労働観ができたことは必然なのです。

仕事の「出来」ではなくて、頑張るかどうか

この労働観であれば、職務を特定することは不要、不可能に近いでしょう。かつ、この労働観であれば、入社前に個人に対して把握しておきたいのは、

「一生懸命」やる奴なのか?「頑張れる」のか?

くらいです。シナプスがつながりますね?学歴という過去の実績と努力の指標は、その意味では適格な代理指標であるわけです。態度・姿勢が「仕事の評価」にすり替わる土俵が、暗黙のうちに整っていると言っても過言ではないでしょう。労働法研究の第一人者である濱口桂一郎氏はこう言います。

「学校教育は職業キャリアに大きな影響を与えています。ただし影響を与えているのは、教育内容ではなく学校の偏差値です。その学校で何をどれだけ学んだかではなく、その学校に入る段階の学業成績が重要なのです。就職の際に企業が若者に求めるのは、その企業で使える技能を学校で身につけてきたかどうかではなく、その企業で一から厳しく訓練するのに耐えられる素材かどうか(官能性)なのです。これを私は『教育と職業の密接な無
関係』と呼んでいます」(濱口桂一郎『ジョブ型雇用とは何か 正社員体制の矛盾と転機』(岩波新書、2021年))

少し余談ですが、このことはアメリカから「成果主義」なるものが輸入された際の抵抗、その後の廃れ方を見れば、察しがつくものです。成果主義は日本の人材マネジメントにおいて失策として語られますが、成果主義自体が日本になじまないのではありません。

敗因は、これまでメンバーシップ型雇用でろくに「成果」なんて定義してこなかったものを急に、「成果主義」≒「目標管理」という形などで、とってつけたような数的目標管理を押し付けっぱなしにしたことです。

職務要件もなければ、求められる成果も明示されぬまま、メンバーシップ型雇用でごっそり採用される。配属や転勤の「ガチャ」を前提として、あちこち飛ばされながらも、会社に面倒見てもらってるし、と、まじめに頑張ってる感が評価されてきた私たち。

それを急に、Performance-based のパフォーマンスが「数的に評価可能な実績」くらいの意味に矮小化されては……。おあつらえ向きの振り返りと講評を垂れ合う……という評価の伝統芸能が誕生するのも無理はありません。

とってつけた「成果」主義によって、ただでさえ職務が曖昧なのに、「成果」も曖昧なくせに、妙に数字で言い切って管理するような使い物にならない代物が出回った。これが、成果主義を巡る私の見方です。

 

企業が知りたいのは、「頑張れる」奴なのか?

さて、本題に戻ります。

ここまでをまとめると、さまざまな戦後日本の経済的、社会的背景から、企業は安定的かつ柔軟な配置・処遇を任命権をもつ形でやりくりしてきました。企業にとっての安定的な人材の充足や、柔軟な人材管理は、個人にとっての専門性の追求とは相反するものだったということです。

仕事は本来、職務の内容とその遂行に求められる技能が明示されていそうなものですが、前述の前提では、むしろ仕事の内容を不明瞭にし、ブラックボックス化させておくことの利便性が勝ったわけです。「この仕事には〇〇の知識とスキルが必要ですが、あなたはもっていますか?スキルチェックをしましょう」ではなく、ざっくりと、この先何があるかは神のみぞ知るなかで、

「一生懸命」やる奴なのか?「頑張れる」奴なのか?

こそが、企業が知りたい情報になり下がったのはこうした流れを汲むものでした。ただ、頑張れる人かを知るために、企業はへたにリソースはかけられないとなると……一生懸命働けるか否かを知ってから、給与という形での配分を決めたい。それがまさしく配分原理としての能力主義なわけです。能力を知って、採用や、配置、登用、処遇といったことに至るまで、人の「評価」に関するもっともらしい情報、理屈にしたいのです。

とはいえ、目つきを見ればその「人となり」を理解できるよーと言う人が仮にいるかもしれませんが、それでは選考者(評価者)次第の主観的な見方になってしまいます。主観性では昨今の科学至上主義においては、周りを納得させる理屈たりえません。立ち居振る舞いも同様です。

面接でいろいろな角度から質問したり、テストのようなもの(アセスメントと呼ばれる)を実施したりして「仕事ができる人なのか」を知るのも十分考えられるのですが、いかんせん、リソースを食う。インターンシップのように1週間、2週間と働きぶりを観察・評価するのもいいけど、これはもっとリソースを食う。

……となると、学歴(学校歴を含む)─やっぱりいいじゃないですか。

これまでの実績と努力できそうな度合いが、偏差値別の序列に従ってなんとなく推し測ることができるんですから。こちらが質問を工夫して、面接を実施したり、テストを公平な形で実施したりする手間なく、もう過去の実績が物語ってくれるのだとしたら。学歴という情報はこうして一定の有効性があるものとされ続けてきたのです。

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