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叱れない教師はダメなのか? 教育現場が囚われる「毅然と叱るべし」の呪縛 

2024年08月09日 公開
2024年12月16日 更新

村中直人(臨床心理士),工藤勇一(元東京都千代田区立麹町中学校校長)

教育現場が陥る叱る依存

日本の教育現場で根強い「叱る」という行為。その効果について、臨床心理士の村中直人氏と、元東京都千代田区立麹町中学校校長の工藤勇一氏が深く掘り下げる。果たして「叱る」ことは、子どもたちの成長に本当に必要なのだろうか? 書籍『「叱れば人は育つ」は幻想』から紹介する。

※本稿は、村中直人著『「叱れば人は育つ」は幻想』(PHP研究所)から一部を抜粋・編集したものです。

 

何のために「叱る」のか?

「叱れば人は育つ」は幻想

【村中】今日のテーマは「叱る」ですが、工藤先生は普段、生徒を叱りますか?

【工藤】叱りますよ。ただ、僕は頭ごなしに怒鳴りつけるような叱り方はしません。

【村中】「叱る」という言葉は多義的で、人によってその捉え方はさまざまです。だから私は拙著『〈叱る依存〉がとまらない』(紀伊國屋書店)のなかで、「叱る」ことをこう定義しました。

「言葉を用いてネガティブな感情体験を与えることで、相手の行動や認識の変化を引き起こし、思うようにコントロールしようとする行為」。

そして、この方法で他者をコントロールせずにはいられなくなる状態を〈叱る依存〉と名づけたのです。

叱る行為は、権力構造と結びついたものです。弱い立場にある人が強い立場の人にものを申しても「叱る」とは言いません。叱るとは、権力の強い立場の人が、弱い立場の人に対して威圧的な言葉や態度で従わせようとしたり、何かを強要したりするものです。

ですから、権力構造のはっきりした集団で強い立場にある人は、とくに〈叱る依存〉に陥りやすいと考えられます。教師も、児童や生徒たちを「導きたい」「変えたい」という意識から、〈叱る依存〉に陥りがちだと捉えています。

【工藤】たしかに〈叱る依存〉になっている教員はいると思います。その理由は、日本の教育の仕組みが「叱らなきゃいけない構図」になってしまっているところに原因があるかもしれません。教員の多くが指導する方法として「叱る」以外の方法を知らない、またそういう訓練もしてきていない、ということが言えます。

【村中】ええ、そういった現状をどのように変えていけばいいのか、今日はそのあたりもいろいろ伺わせていただきたいと思っています。

【工藤】「僕も叱りますよ」と言いましたが、僕の叱り方は先ほどの村中さんの「叱る」の定義からすると、はみ出しています。というのは、相手にネガティブな感情を抱かせないこと、相手をコントロールしようとするのではなく、状況を自分で解決していくための支援をすること、この2つをモットーにしているからです。

【村中】ほう、それを「叱る」とおっしゃるわけですか? 私にとってそれは「叱る」ではないので、興味深いです。

【工藤】生徒が何かトラブルを起こしてしまったとき、教育者としてやるべきは「その体験を、生徒にとっての学びの機会に変える」ことです。「今後こういうことが起きたときはどうしたらいいのか」を自分で考えられるようにしてやること、そのための助言や手助けをしてやることです。

どう行動したらいいかを自分で判断できるようにして、よりよく生きていけるようにするための支援をしてやること。それが教師の役割です。

ですから、僕のなかでの「叱る」とは、大声で怒鳴ることでも、正義を振りかざして不適切行為をなじることでもない。ましてや脅したりすることでもないのです。

【村中】聞けば聞くほどその対応は私には「叱る」ではないように感じます。工藤先生の「叱る」は私の定義よりもかなり幅広く捉えておられるように思いました。

 

「叱らないと、叱られてしまう」

【村中】先生方が簡単には変わらなかったということもそうなのですが、日本の社会には「叱ることが最良の方法だ」という思い込みというか、妙な過信のようなものが根強くあるような気が私はしています。

たとえば、子どもが社会的に好ましくない行動をしてしまったとき、「あの親はどうして叱らないのか」「甘やかすから、あんなふうに育つんだ」「きちんと叱らないのは躾の放棄だ」などといって親を咎める声が上がります。

学校で何か問題行動を起こす生徒が出たときも、教師に対して「叱れないような教師はダメだ」とか「叱らないから子どもから舐められるんだ」といった論調の発言が出ます。

つまり、日本では「叱らないと、叱られてしまう」んですよね。これらはいずれも、「叱ることが最良の方法」という思い込みがあるから起きることだと思うのです。叱ることは実はそんなに効果的なやり方ではなくて、むしろ副作用のほうが大きいのに、世の中にはなぜか誤解がはびこっていると思っています。

【工藤】とくに教育現場は顕著ですよ。「教師たる者、毅然とした態度で叱るべし」という考え方が染みついていますから。そこに論理性はなく、ただ日本の伝統的な教えであるかのように信じられています。

【村中】神経科学的な見地からも、心理学的見地からも、心理的安全性が確保されない状況において何かを強要しても有効な学びにならないことがわかってきています。にもかかわらず、教育現場の一線にいる先生たちが、「毅然と叱るべし」の呪縛から逃れられないんですね。

【工藤】村中さんがいまおっしゃった「叱らないと、叱られてしまう」という意識もあるのだと思います。

たとえば、自分が担任を務めるクラスでトラブルが起きると、教員は校長室に報告に来て「校長、申し訳ありません」と謝るのです。「生徒がやったことでしょ、あなたが僕に謝るようなことではないよね」と言っても、クラスに起きることの責任はすべて自分が負っていて、自分の管理不行き届きで起きてしまったかのように捉えているのです。

だから、何かをしてしまった子どもを強く叱るし、トラブルが起きないようにしなくてはと思って、クラスの管理を強めようとします。

【村中】はい、わかります。責任を強く感じるからこそ、トラブルを起こしたくないという意識が強くなり、担任の先生の権力が強化されてしまいやすいんですよね。

【工藤】僕が固定担任制を廃止したのには、そういう仕組み、構造を崩したかったということもあります。

【村中】やはり、「叱る」ことへの意識改革が必要ですね。

 

著者紹介

村中直人(むらなか・なおと)

臨床心理士/公認心理師

1977年、大阪生まれ。臨床心理士・公認心理師。一般社団法人子ども・青少年育成支援協会代表理事。Neurodiversity at Work株式会社代表取締役。公的機関での心理相談員やスクールカウンセラーなど主に教育分野での勤務ののち、子どもたちが学び方を学ぶための学習支援事業「あすはな先生」の立ち上げと運営に携わり、発達障害、聴覚障害、不登校など特別なニーズのある子どもたちと保護者の支援を行う。現在は人の神経学的な多様性(ニューロダイバーシティ)に着目し、脳・神経由来の異文化相互理解の促進、および働き方、学び方の多様性が尊重される社会の実現を目指して活動。「発達障害サポーター'sスクール」での支援者育成に力を入れているほか、企業向けに日本型ニューロダイバーシティの実践サポートを積極的に行っている。

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