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他人を執拗に批難する人は、「叱ることの快感」に浸っている

2024年08月16日 公開

村中直人(臨床心理士),佐渡島庸平(株式会社コルク代表取締役、編集者)

叱る行為に隠された心理

他人を叱る行為は「相手のため」と考えられがちだが、実は叱ることは「脳の報酬」になっているという。臨床心理士の村中直人氏と、株式会社コルク代表取締役社長の佐渡島庸平氏による、自分では気づきにくい「叱る」ことの心理についての対話を、書籍『「叱れば人は育つ」は幻想』から紹介する。

※本稿は、村中直人著『「叱れば人は育つ」は幻想』(PHP研究所)から一部を抜粋・編集したものです。

 

「成長につながる我慢」と「ストレスになるだけの我慢」

「叱れば人は育つ」は幻想

【佐渡島】僕はトップレベルの作品を生み出す作家を育てたいので、「そのためには厳しさが必要だ。そのハードルを僕が下げてはいけない」と考えていました。

だから、僕が厳しくすることによって相手がネガティブな感情をもつことは仕方がないことだ、と捉えていたわけです。ところが、村中さんの本にはこう書かれていた。

「叱ることがすなわち厳しくすることだ、という認識自体がそもそも誤りです。『厳しさ』の本来的な意味とは、『妥協をしない』ことや、『要求水準が高い』ことだからです。要求水準を高く保つことは、相手にネガティブな感情を与えなくても可能です。『苦しみを与える』も同じことで、厳しくする=『叱る』『苦しみを与える』ではないのです」(『〈叱る依存〉がとまらない』P.161-162)

この言葉がとても腑に落ちたんです。人が成長するのはどういうときかについても、提示されていました。

「苦しみが成長につながるのはそれが他者から与えられたときではなく、報酬系回路がオンになる『冒険モード』において、主体的、自律的に苦しみを乗り越える時です。周囲の人間ができることは、本人が『やりたい』『欲しい』と感じる目標を見つけるサポートをすること。そして目標を目指す『冒険』を成功させるための武器を与え、道筋を示すことです。繰り返しますが、『叱る』がなくても厳しい指導は可能です」(同P.162)

激しく同意して、「よし、ならばこっちの道を探究しよう」と考えるようになったんです。

【村中】ありがとうございます。いま言っていただいたのは、私が「苦痛神話」と呼んでいるものです。日本には、「後々のために人は苦しみを体験しなくてはいけない」とか「苦痛を乗り越えることで強く成長するんだ」みたいな考え方が非常に根強くありますよね。私はそこに異議を唱えたかったんです。

【佐渡島】たしかに、部活動の「練習の苦しさに耐えられなければ、試合には勝てない」みたいな考え方はその典型ですよね。勉強も、つまらない詰め込み学習に耐えて試験を突破するのが勉強であるかのような考え方が見られます。

【村中】そうそう、楽しく学んでいると「そんなのは勉強じゃない」と言われてしまう。苦しい状況を我慢するといっても、自分の意思で自発的に苦しさに耐えようとする心理と、誰かから強制的に与えられた苦しさに耐えようとする心理とは、まったく別物です。我慢して、苦痛に耐えることのすべてが成長につながるわけではないのです。

学びを促進したり、成長を促したりする効果が高いのは、自分の意思で決断し、やりたいことのためにしていると感じられる我慢であって、他者から強要された我慢をしているときではない。「目的のための自発的な我慢」と「他者から強要された我慢」、そこをきちんと分離して考えなくてはいけない。

一方的に与えられた苦しみを我慢することで生まれるのは、「諦め」や「無力感」です。「忍耐力」や「困難に打ち勝とうとするエネルギー」にはならない。そのことを、世の中にもっと広く知ってもらいたかったんです。

 

自分では気づきにくい「叱ることの快感」

【佐渡島】僕が村中さんの本で学んで、「叱る」のをやめようと決心した理由がもう一つあります。それは、「叱る」ことが実は自分への報酬になっている側面があるという話です。

「人にとっての報酬は、その人が『欲しい』『やりたい』と感じるような、わかりやすい『ごほうび』だけではないのです。場合によっては本人すら気づかない『報酬』もあり得ることを私たちは知っておかなくてはいけません」(同p.50)

この知見にはドキリとしました。これまで僕にとって、叱っているのは「自分のための時間じゃない」という意識だったんです。僕からすると、短時間で相手の注意を喚起させ、わかってもらうために、きつめの言葉で伝えている、と考えていました。だからそれは完全に「相手のための時間」だったんですよ。

でも、叱っていることで僕自身が疲れながらも気持ちよさを感じているとしたら、それは健全ではないし、その報酬は僕が受け取りたいものではない。これはやはりやめたほうがいい、と思えたわけです。

【村中】本にも書いたように、叱ることが報酬系回路を刺激しているって、自分では気づかないことが多いんですよ。しかし、「自分の行為には影響力がある」「自分が叱ることが相手を望ましい方向に動かす」といった感覚は「自己効力感」を高めます。心地よいからまたやりたくなる。依存性があるわけですね。

【佐渡島】「あなたのため」と言いながら、実は自分が気持ちよくてやっている、と。

【村中】そうです。さらに「処罰感情の充足」という報酬もあります。悪いことをしている相手を諫めているんだ、という意識が快感をさらにかき立てます。

私はそのことを「どこから来たかよくわからない正義」と呼んでいます。ネット上での誹謗中傷の書き込みなどもそうなのですが、自分の処罰欲求に突き動かされているときって、正義の側に立てるんですよね。正義の執行者になれる。だから歯止めが利きにくいのです。

だから社会的によくないことをした人の罪と、その人への過剰な人格攻撃や憶測に基づく誹謗中傷とは、分けて考える必要があるのです。

不正義に対して声をあげることが必要なときもあるでしょうが、その前にまず、自分の行為が自分自身の欲求を充たすだけのものになっていないか、自制する意識をもつことが大切です。最近はその自制する意識が働きにくい社会になってしまっているのではないかと、私は危惧しています。

 

著者紹介

村中直人(むらなか・なおと)

臨床心理士/公認心理師

1977年、大阪生まれ。臨床心理士・公認心理師。一般社団法人子ども・青少年育成支援協会代表理事。Neurodiversity at Work株式会社代表取締役。公的機関での心理相談員やスクールカウンセラーなど主に教育分野での勤務ののち、子どもたちが学び方を学ぶための学習支援事業「あすはな先生」の立ち上げと運営に携わり、発達障害、聴覚障害、不登校など特別なニーズのある子どもたちと保護者の支援を行う。現在は人の神経学的な多様性(ニューロダイバーシティ)に着目し、脳・神経由来の異文化相互理解の促進、および働き方、学び方の多様性が尊重される社会の実現を目指して活動。「発達障害サポーター'sスクール」での支援者育成に力を入れているほか、企業向けに日本型ニューロダイバーシティの実践サポートを積極的に行っている。

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