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明治期の権力の縮図 大磯の邸宅に見る邸園文化『近代日本の別荘建築』【書評】

2026年06月15日 公開

奈良岡聰智(京都大学教授)

明治期、多くの政財界人、旧藩主が別荘を構えた大磯。その別荘地としての形成、別荘建築の特徴、別荘を設けた人物の来歴や大磯での暮らしについて、新聞、日記、伝記など根拠資料も提示しながら詳らかにした書籍『近代日本の別荘建築』の魅力を京都大学教授の奈良岡聰智氏が紹介する。

※本稿は、『Voice』2024年6月号より抜粋・編集した内容をお届けします。

 

日本屈指の別荘地が誕生した背景

現在神奈川県大磯町で「明治記念大磯邸園」の整備事業が進んでいる。同邸園のある場所は、明治期に伊藤博文、大隈重信、陸奥宗光、西園寺公望という4人の政治家が邸宅を構えた地である。

所有者の変転や関東大震災の影響もあり、明治期の姿がそのまま残っているわけではないが、近代の別荘建築と広壮な庭園が集中的に残っている稀有な場所であり、その歴史的価値に鑑み、「明治150年」記念施策の一環として保存・活用が図られることになった。

現在、日本でもっとも有名な別荘地と言えば軽井沢であろうが、明治期に著名人の別荘がもっとも集まっていた場所は大磯であった。

大磯は、東海道の江戸から数えて八番目の宿場町として栄えたが、参勤交代の廃止により明治期に入ると衰退した。しかし、明治18年の日本初とも言われる海水浴場の開設、明治20年の大磯駅の開設が契機となって海浜別荘地として発展し、多くの有力者が別荘を構えるようになった。

東京の南西約60㎞という絶妙のロケーション、夏は涼しく冬は温暖な気候、富士山と江ノ島を望む景観、海水浴場や療養のための宿泊施設の整備などが、別荘地として発展した理由として挙げられる。

大磯に別荘を構えた貴顕はじつに多く、前述した伊藤、大隈、西園寺以外にも、5人の首相経験者(山県有朋、寺内正毅、原敬、加藤高明、吉田茂)が大磯に居住経験をもっていた。

三井、三菱、古河などの大企業経営者、鍋島家、尾張徳川家、山内家をはじめとする旧藩主家なども別荘を所有しており、大磯は日本の指導者層・富裕層の縮図であったとさえ言える。

残念ながらこれらの邸宅には現存しないものが多く、いまでは大磯の隆盛を想像するのは容易ではない。

著者は、長年こうした大磯の邸宅について調査を重ね、貴重な建築の保存運動にも関わってきた建築学者で、本書はこれまでの研究を集大成したものである。

本書の登場によって、大磯の別荘地としての発展の歴史や主な別荘建築の特徴が通覧できるようになった。300点以上の写真や図版も、理解を助けてくれる。

本書に続いて、今後湘南をはじめとする他地域の別荘建築の研究が進むことも期待される。

大磯の別荘には、和風建築が多かった。なかには和洋館を併置したケースもあるし、大正期からは洋風建築も増えていったが、明治期の別荘はその多くが和風であった。

著者は、田舎家への嗜好や故郷への憧憬があったと思われること、他方で明治期においても邸宅の内部では椅子座が用いられていた可能性が高いことを指摘し、別荘では居心地の良さが追求されていたという推論を示している。

庭園が重要な役割を果たしているケースが多かったのも、大磯の別荘の特徴であった。大磯の別荘には、鑑賞用、実用的な農園などさまざまな庭園があり、邸宅と庭園が一体となって暮らしの場を形成していたと、著者は指摘する。

両者が一体となった営みが「邸園文化」であり、大磯こそ、その文化が見事に開花した場所だったというのが、著者の見立てである。

こうした文化の終焉についての記述も貴重である。

戦後、財閥解体、財産税の課税などによって富裕層は解体され、大磯の居住者は大きく変化した。そうしたなかで、大規模な別荘敷地は住宅地開発の格好のターゲットとなり、名だたる別荘の多くが分譲販売された。

敷地面積が細分化され、戸建て住宅地やマンションになった事例は枚挙にいとまがなく、平成元年頃に27軒残っていた戦前以来の別荘建築は、現在では13軒を数えるのみだという。

著者が関わった三井守之助別荘も保存は叶わず、いまや大磯はわずかな例外を除いて、どこにでもある住宅地になりつつある。

本書は、近代日本の別荘建築やそれに付随して発展したさまざまな文化をいかに保存・継承していくかという重い課題も突きつけている。

その意味で、すでに保存・公開されている旧吉田茂邸や整備の途上にある「明治記念大磯邸園」は、きわめて貴重である。後者はいまのところ一部の庭園のみが公開されているが、数年以内には全面開園すると聞く。

多くの人が大磯の「邸園文化」に触れられるようになる日が待ち遠しい。

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