2019年07月25日 公開
2023年09月27日 更新
駿台予備校の世界史講師として活躍しつつも、多数のベストセラーを世に送り出し注目を浴びる茂木誠氏。その茂木氏が"古人類学による戦争の起源"から"21世紀の東アジアの未来"までをわかりやすく凝縮した著書、『「戦争と平和」の世界史 日本人が学ぶべきリアリズム』(TAC出版刊)を上梓した。
空気に流されず、日本人が本当にしなければならないこととは何かを問う同書では、日本人は"戦争"とどう向き合ってきたのか? そもそも人類はいかにして"戦争"を回避しようとしてきたのか? など、「戦い」を通じて「秩序」を作り上げてきた人類の歴史の核心に迫っている。
本稿では茂木誠氏が同書でも触れた、戦後の日米安保条約への与党・自民党内の対応の経緯を語る。
「日本は12歳の子供だ」
かつてマッカーサーはこういいました。
もちろん悠久の歴史を持つ日本は、建国してわずか2世紀余という「幼児期」の米国に比べれば、かなりの「年配」となるでしょう。
しかし、先の大戦で米国に完膚なきまでに叩きのめされ、武装を解除され、憲法で戦力の保持も交戦権をも否定され、外交権も奪われ、自由意志を持てなくなった哀れなわが日本は、まさに「12歳の子供」に戻されたのです。
「真珠湾攻撃を行なった日本を信用してはならず、その復活を未来永劫、許してはならず、日本列島には米軍が駐留を続け、保護国としてのみ、存続を許す」――これが、米国の占領政策の基本路線だったのです。
朝鮮戦争で派兵せざるを得なくなった米国は、日本本土防衛を日本政府に任せるべく、吉田茂首相を呼んでサンフランシスコ平和条約を結び、日本の主権回復(主権国家としての独立)を認めました。
しかし、同じ日に結ばれた(旧)日米安全保障条約(1951)は、
・日本が米軍の駐留を無期限に認める。
・米国に日本防衛の義務はない。
・日本で内乱が起こった場合には、米軍が出動し、鎮圧できる。
という内容で、その実態は「米日保護条約」とでもいうべきものでした。
北朝鮮軍が韓国に侵攻して九州の防衛も危うい、という非常事態の中、吉田首相は苦渋の決断をしたのです。当時の日本は武装組織といえば警察だけ、という丸腰状態でした。
米軍が日本に駐留を続けることは、大陸からの侵略者に二の足を踏ませるだけの抑止力を持ったのです。同時に、米国が世界中で展開する戦争に日本が巻き込まれる恐れがありました。
再軍備を迫る米国に対し、吉田は「憲法9条」を盾にこれをかわし、「軍隊ではない武装組織」として自衛隊を発足させました。
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日本だけが米軍に基地を提供し、米軍だけが日本防衛の義務を負う >
更新:11月22日 00:05