2023年09月26日 公開
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)
大正時代の首相・原敬を暗殺した中岡艮一(こんいち)の動機とは何だったのか。日本の近現代史に精通し、今年7月に『近代日本暗殺史』(PHP新書)を刊行した筒井清忠氏が、これまで触れられてこなかった真実を語る。
聞き手:Voice編集部(中西史也)
※本稿は、『Voice』2023年9月号より抜粋・編集したものです。
――筒井さんのご著書『近代日本暗殺史』(PHP新書)で驚いたのは、中岡艮一が原敬を暗殺した動機が、腐敗した政党政治の打倒という政治的理由ではなく、個人的な失恋と不遇にあったと明らかにした点です。どのようにして、中岡の真の動機を発見したのでしょうか。
【筒井】事件の予審判事・山崎佐(たすく)による手記「原敬暗殺事件と判事」(江尻進著『思い出に綴られる山崎佐の生涯』所収)には、中岡への取り調べの様子が克明に記されており、中岡が縫子という女性への恋情をきっかけに暗殺事件を起こしたことが明らかにされています。
長文連(ちょうふみつら)著『原首相暗殺』(図書出版社)に山崎の手記の一部が触れられていたので、同書を取り寄せて詳しく調べてみたんです。中岡が暗殺に至った真相はじつは失恋だったのか、と衝撃を受けましたね。
さらに長の書物には、当時の『東京日日新聞』に「恋の艮一」という中岡の女性関係の変遷を記載した連載が掲載されたとも記されていたのですが、本当にそんな連載があったのか半信半疑でした。実際、データベースで「恋の艮一」と検索をかけても、どうしてもうまくヒットしなかった。
そこで当時の紙面を一紙ずつ探してみると、1921年11月の紙面に「恋の艮一」の記事が載っていたんです。「まさか本当にそんな連載があったとは」と大変驚きました。
拙著『近代日本暗殺史』のなかで原敬暗殺事件のパートは、中岡による暗殺の動機の新発見であると同時に、犯人の個人的不遇やマスメディアの影響力によって引き起こされた凶行という現代的暗殺の典型例でもありますから、ぜひ読んでもらいたいと思います。
――本書には、大正時代を源流とする現代的暗殺の特徴として、個人の「承認欲求」の膨張が挙げられています。なぜ現代は「承認欲求」が高まっているとお考えですか。
【筒井】近現代以降、とりわけ戦後日本社会に顕著ですが、個人が最も尊重されるべき存在と見なされているからでしょう。前近代的な農村共同体や町の集団の存在感は薄れ、あらゆる社会の仕組みや制度は、独立した個人を前提として構築されました。
近代化・大衆社会化とはそういうことですが、こうして自分自身の存在を誰かに認めてもらいたいという欲求が当然のように何よりも強まっていったのです。
――そうした個人による極端な「承認欲求」に歯止めをかけるために、政治や社会ができることは何でしょうか。
【筒井】個人を取り囲む集団の役割を見つめ直すべきです。たとえば身近なお祭りがコロナも収まって復活し、活性化してきているようですが、とても良いですね。
人間は一人では生きていけません。暗殺を防ぐためには警備の問題も重要ですが、他方で回り道かもしれないけれども、身近な近隣集団と個人の関係をもっと大事にすることを考えるべきではないでしょうか。
――現在はSNSによって、誰でも個人の「承認欲求」を発散できる時代です。SNSというメディアに対して、我々はいかに向き合うべきとお考えですか。
【筒井】ネットメディアに限らず、多様な媒体・文化に、意識的に接するべきだと思います。人びとはSNS上ではどうしても、エコーチェンバー(自分と似た興味関心をもつユーザーをフォローする結果、意見を発信すると自分と似た意見が返ってくる状況)に陥りがちです。自らに都合の良い意見だけに触れていれば、思考が偏り、ついには陰謀論にもはまりかねない。
また本を買う際も、一度アマゾンで検索すると、アルゴリズムによって似たような本ばかりが表示されるようになりますよね。その反対に本屋に足を運べば、自分が普段は読まない書籍も目に入るし、地域との関わりにもつながります。
――「リアルな場」の重要性を痛感します。
【筒井】本書で扱った大正時代のメディアと言えば、新聞や雑誌でした。しかし現在はそれらのメディアの影響力が低下し、SNSがまるでマスメディアのような存在感をもっています。
考え方が偏った極端な人を増やさないためにも、一部のメディアだけではなく、多元的な媒体に接することが必要不可欠なのです。
更新:10月30日 00:05