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【天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち】第23回 リュック・モンタニエ(2008年ノーベル医学生理学賞)

2023年12月04日 公開

高橋昌一郎(國學院大學教授)

 

グラスゴー大学からパスツール研究所へ

1960年、28歳で博士号を取得したモンタニエは、ロンドンのキングスレー・サンダース研究所に留学して「口蹄疫ウイルス」の研究を開始した。所長のキングスレーは「典型的なイギリス人ではなく、オペラの作曲家でもある」という珍しい人物で、彼はモンタニエに自由に「RNAウイルス」の複製を解明する研究課題を与えた。

ここでモンタニエは、マウスの「脳心筋炎ウイルス」に感染した細胞からウイルスの「感染性二本鎖RNA」を初めて特定した。モンタニエは、RNAが塩基対の相補鎖を作製することによって、DNAと同じように複製できることを証明したのである。

1963年、モンタニエはスコットランドのグラスゴー大学に発足したばかりのウイルス研究所に移籍した。ここには、腫瘍ウイルスの研究により1975年度ノーベル生理学・医学賞を受賞するイタリア出身のレナート・ドゥルベッコをはじめ、世界各国からウイルス研究者が集まっていた。モンタニエは、ここで「発癌性ウイルス」の研究に着手する。

1965年、パリ大学キュリー研究所に戻ったモンタニエは、ドロシア・アッカーマンと結婚した。夫妻が3人の子どもを儲けたことまではわかっているが、家族のプライバシーを重視するモンタニエは、それ以外の妻子の情報を明らかにしていない。

いずれにしても、その後のモンタニエの研究と家庭生活は順風満帆に進んだようである。彼は、キュリー研究所の主任研究員として「発癌性DNAウイルス」の「ポリオーマ」の形質転換能力を検出し、この特性を多くの癌細胞に拡張できることを示した。さらに、現在では「レトロウイルス」として知られる発癌性RNAウイルスの複製に関する研究でもさまざまな成果を上げた。

1971年、分子生物学者ジャック・モノーが、フランスで最も由緒ある研究機関の一つである「パスツール研究所」の所長に任命された。モノーは、1965年にノーベル医学生理学賞を受賞し、著書『偶然と必然』で斬新な生命哲学観を示したことでも知られる博識な人物である。彼は、所長に就任した翌年の1972年、パスツール研究所に新たに「ウイルス研究科」を創設し、その責任者としてモンタニエを指名した。

ここでモンタニエは、ヒトの癌に関与するウイルス検出を最終目標として、レトロウイルスやインターフェロンの研究を開始した。

1975年、ネズミのレトロウイルスを専門的に研究していたパリ大学のフランソワーズ・バレ=シヌシがモンタニエのチームに加わった。彼女は28歳で博士号を取得したばかりだったが、レトロウイルスの検出については凄腕である。モンタニエのチームは、1977年以降、パリのさまざまな病院から届く血液と生検のサンプルを使用して、ウイルス研究を進めた。

その成果の一環として、1980年、モンタニエのチームは、炎症性乳癌細胞から培養したT細胞に「マウス乳癌ウイルス(MMTV)」のDNA配列を発見している。

 

AIDSウイルス発見に関する論争と裁判

ロバート・ギャロ
ロバート・ギャロ(2017年)

1981年春、カリフォルニア大学ロサンゼルス校附属病院の医師マイケル・ゴットリーブは、世界で最初に「後天性免疫不全症候群(AIDS)」の患者を診察した。この患者は、かつて「カリニ肺炎」と呼ばれた「ニューモシスティス肺炎」に罹患していたが、この肺炎は免疫力が非常に弱い高齢者や幼児だけしか発症しないことで知られる。

彼は続けざまに、その患者と同じように信じ難いほど免疫システムの低下した4人の男性患者を診察して、驚愕した。ゴットリーブは「アメリカ疾病対策センター(CDC)」に緊急報告書を送った。

その後、3カ月の間に、ニューヨークでも26人の男性が「カボジ肉腫」という癌を発症した。この病気も、免疫システムが異様に低下した場合にしか発症しない。

これらの男性患者の共通点は、全員が同性愛者であることだった。そこで、この病気は当初「ゲイ関連免疫不全(GRID)」と呼ばれた。ところが、その後、欧米各地で、血液製剤を利用する血友病患者や女性からも同様の症状が発見され、この病気が血液や性交渉によって感染することがわかってきた。

そこで、GRIDの病名は「後天性免疫不全症候群:エイズ(AIDS)」に変更された。エイズの病原体は、血液製剤の濾過フィルターをくぐり抜けていることから、極めて微細なウイルスではないかと推測された。

1983年1月3日、パスツール研究所のモンタニエのチームは、パリのビシャ病院から送られてきたエイズ患者のリンパ節検体から、未知の病原体ウイルスを発見した。彼らは、これを「リンパ節関連ウイルス(LAV)」と名付けた。彼らの論文は、1983年5月20日付『サイエンス』誌に発表された。

さて、この『サイエンス』誌には、アメリカ国立衛生研究所のロバート・ギャロの論文も掲載されている。ギャロは、1980年、白血病を発症させる「ヒトT細胞白血病ウイルス(HTLV-1)」を発見したことで知られる。彼は、AIDSの病原体はHTLV-1の類縁ウイルスに違いないと予測して、AIDSを発症させるウイルスを「HTLV-3」と命名した。

一方、モンタニエは「LAVはまったく新たな病原体であり、HTLVの類縁ではない」と彼の論文に明記している。この時点で、エイズの病原体がモンタニエの主張する「LAV」なのか、ギャロの主張する「HTLV-3」なのか、世界中のウイルス研究者を巻き込んで、論争が始まった。

この年の12月、ギャロはエイズ患者の血液サンプルから「HTLV-3」を抽出したと発表する。ここで非常に奇妙なのは、彼が発見した「HTLV-3」の遺伝子配列の特徴がモンタニエの「LAV」に非常に近かったことである。つまり、AIDSウイルスは「HTLV-1」の類縁だという彼の主張は、いつの間にか影を潜めたことになる。

それにもかかわらず、1984年4月、「アメリカ合衆国保健福祉省(HHS)」が「ロバート・ギャロ博士がAIDSの病原体を発見」と報じたため、このニュースが世界中を駆け巡った。この報道を受けて、アメリカ特許庁は、エイズウイルスの検査薬の特許をアメリカ国立衛生研究所とギャロに優先的に与えた。

これに対して、フランスのパスツール研究所は、アメリカ政府を国際司法裁判所に提訴した。その主旨は、ギャロの検査薬はパスツール研究所のモンタニエらが発見した「LAV」を利用して作製されているため、ギャロの特許権は無効だという主張だった。

この裁判は、双方の主張が入り乱れて決着がつかずに長引いた。そのまま裁判が長引けば、エイズウイルスの検査薬の大量生産が遅れ、世界中のAIDS対策に支障が出てしまう。

当時のフランスのジャック・シラク首相とアメリカのロナルド・レーガン大統領は、1987年に異例の首脳協議を行い、エイズ検査薬の特許権と特許料をフランスとアメリカで折半することに決定した。

ウイルス研究者の科学界における論争が国際的な裁判となり、結果的に政治的決着に到達するという、極めて珍しい事例になったのである。

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著者紹介

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授

1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在、國學院大學文学部教授。専門は論理学、科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。情報文化研究所所長、Japan Skeptics副会長。

X(旧 Twitter):https://twitter.com/ShoichiroT

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