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【天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち】第23回 リュック・モンタニエ(2008年ノーベル医学生理学賞)

2023年12月04日 公開

高橋昌一郎(國學院大學教授)

 

ノーベル生理学・医学賞受賞

さて、モンタニエとギャロの論争の背景では、何が起こっていたのだろうか?

一般に世界各国のウイルス研究者は、論文を発表した後、相互にサンプルを公開する習慣がある。それは、とくに難病を生じさせる病原体を一刻も早く突き止めるために、協力して研究を進めるためである。

そのため、1980年にギャロは「HTLV-1」のサンプルをモンタニエに送り、1983年にモンタニエは「LAV」のサンプルをギャロに送っている。「ギャロは、この『LAV』のサンプルを用いて『HTLV-3』を捏造した」というのが、最も簡単な解答と考えられる。

実際に、1992年、ギャロの研究室を公式に調査した「アメリカ研究公正局」は、「パスツール研究所で製造されたHIVサンプルの流用(the misappropriation of a sample of HIV produced at the Pasteur Institute)」があったことを認定し、ギャロが「研究不正」を行ったという判断を下している。しかし、ギャロは、あくまで「研究不正」ではなくサンプルが「混入」した結果だと主張している。

この問題を決着させたのは、2008年に3人に授与されたノーベル医学生理学賞だった。この年の賞金の半分は、子宮頸癌がウイルス感染によって発症することを発見したドイツのウイルス学者ハラルド・ハウゼンに与えられた。そして、残りの半分は「エイズ病原体の発見」に対して、モンタニエとバレ=シヌシの2人に授与されたのである。

つまり、ノーベル賞委員会は、過去の論争を精査した結果、モンタニエのチームが発見した「LAV」こそが「ヒト免疫不全ウイルス(HIV)」であることを公式に認め、そこにギャロの名前はなかったわけである。

 

晩年の「ノーベル病」

1983年から2008年に至るまで、モンタニエとギャロのエイズ病原体発見の先取権争いは、25年に及んだ。エイズ検査薬の特許料が膨大であることから、彼らの論争は、ウイルス研究者ばかりでなく、世界各国の製薬会社も巻き込んだ。

さらに、国際司法裁判所やフランス政府とアメリカ政府まで加わるという壮絶な展開を見せたわけで、モンタニエはジャーナリズムからも追い回された。この25年間の苦悩が、生真面目な研究者だったモンタニエの精神を大きく蝕んだのではないだろうか。

ノーベル賞を受賞した翌年の2009年、モンタニエは自分が編集委員長を務める雑誌に「バクテリアのDNA配列に起因する水性ナノ構造によって電磁信号が生成される」という論文を発表して、周囲を驚かせた。この論文は、「バクテリアやウイルスのDNAが電磁波を発生させる」という奇想天外な説を主張している。

2010年6月28日、モンタニエは、ドイツのリンダウで開催された「ノーベル賞受賞者会議」で「物理学と生物学の間におけるDNA」について講演した。これは「60人のノーベル賞受賞者が700人の科学者と共に、医学・化学・物理学の最新の進歩について話し合う」ための国際会議である。

そこでモンタニエは、「私は、ウイルス感染を検出する新しい方法を発見した。それはホメオパシーの教義と同じように、ウイルスを希釈させてその電磁波を見極める方法である」と述べて、参加した科学者たちを唖然とさせた。

「ホメオパシー」(「超希釈液」を用いる心霊療法)を非科学な詐欺商法とみなしているノーベル賞受賞者の多くは、あからさまに首を横に振りながら、会場から出て行った。

しかし、その後もモンタニエは「ホメオパシー」擁護を公に繰り返し、さらに水の分子がナノ構造を記憶するという「水の記憶」を妄信するようになった。彼は「ウイルスの含まれた水溶液を10の18乗まで希薄すれば、理論的にはDNA分子が1つも残っていない計算になるが、それでもそこにはDNAの電磁波が残っている」と述べている。

さらにモンタニエは、ほとんどの神経疾患が生じる原因も、水溶液中のウイルスとバクテリアのDNA配列が放射する電磁波にあると主張した。ノーベル賞受賞者モンタニエのこの種の発言を最も喜んで利用したのは、ホメオパシー協会や「水の記憶」で詐欺商法をあおる諸団体だった。

2017年、フランスを中心とする106人の医学者が「モンタニエ氏に警告する」という公開文を発表した。「私たち医学者は、本来は同僚であるはずのモンタニエ氏が、ノーベル賞の地位を利用して、彼の専門外の健康について、一般の人々に危険なメッセージを発していることに対して警告します」という内容である。

すでに本連載第20回で述べたように、エモリー大学教授の心理学者スコット・リリエンフェルドは、ノーベル賞受賞者が「万能感」を抱くことによって、専門外で奇妙な発言をするようになる症状を「ノーベル病」と呼んでいる。

そして、彼は、ブライアン・ジョセフソンこそが「ノーベル病」の代表的な罹患者だと指摘しているが、晩年のモンタニエも同様に代表的な罹患者といえそうである。

2022年2月8日、89歳のモンタニエは、パリのヌイイ・シュル・セーヌで逝去した。死因は公表されていない。新型コロナウイルスに対するワクチン接種を批判していたモンタニエは、「口封じのために殺害された」のではないかという陰謀論も生まれている。

 

著者紹介

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授

1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在、國學院大學文学部教授。専門は論理学、科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。情報文化研究所所長、Japan Skeptics副会長。

X(旧 Twitter):https://twitter.com/ShoichiroT

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