ブライアン・ジョセフソン(1973年)
どんな天才にも、輝かしい「光」に満ちた栄光の姿と、その背面に暗い「影」の表情がある。本連載では、ノーベル賞受賞者の中から、とくに「異端」の一面に焦点を当てて24人を厳選し、彼らの人生を辿る。
天才をこよなく愛する科学哲学者が、新たな歴史的事実とエピソードの数々を発掘し、異端のノーベル賞受賞者たちの数奇な運命に迫る!
※本稿は、月刊誌『Voice』の連載(「天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち」計12回)を継続したものです。
ブライアン・ジョセフソンは、1940年1月4日、英国ウェールズのカーディフで生まれた。
ウェールズは、英国(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)の4つの連合王国の1つで、イングランド・スコットランド・北アイルランドと同じように自治権を有し、独自の議会によって運営されている。
現在も、ウェールズは、ヨーロッパ最古の言語といわれる「ウェールズ語」を英語と同等の公用語とみなし、小学校教育に取り入れている。その方針は徹底していて、ウェールズ王国の領域内では、公文書から道路標識に至るまで、すべて英語とウェールズ語で併記されている。
地理的には、ウェールズはグレートブリテン島の南西に位置し、アイリッシュ海に面している。カーディフは、古来よりウェールズ王国の首都である。ロンドンから南西約250kmのウェールズ南端に位置し、カーディフ湾に囲まれた自然の景観豊かな都市である。
ジョセフソンの父親エイブラハムと母親ミミ(旧姓ワイズバード、1911―1998年)について、2人がユダヤ人であることはわかっているが、それ以上の家族に関わる情報は公開されていない。
というのは、ジョセフソンは現在83歳であり、現役で仕事を続けているので、彼の家族のプライバシーが配慮されているためである。これまでにジョセフソンは「自伝」を公表することなく、彼の家族や彼自身のプライベートな記録も公開していない。
彼の少年時代でわかっていることは、ジョセフソンがカーディフ高校に進学し、そこで物理学の教師エムリス・ジョーンズによって「理論物理学に目を開かせてもらった」ということである。1957年9月、飛び級でカーディフ高校を卒業した17歳のジョセフソンは、ケンブリッジ大学に進学した。
ケンブリッジ大学には、はるか昔から続く伝統の「トライポス」と呼ばれる卒業試験がある。「トライポス」とは「三脚椅子」のことで、学生たちが試験を受ける際に三脚椅子に座ったことから名づけられたという伝説がある。この試験の結果は公表され、成績優秀者は「ラングラー」と称されて特別扱いされた。
17世紀から19世紀に行われた「オールド・トライポス」は「上院試験」でもあり、成績優秀者は、文字通り政界や官界における将来の地位と栄誉を約束された。その意味で「トライポス」は、中国の「科挙」に類似した制度といえるかもしれない。
この伝統を引き継ぐ19世紀のケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの数学科は、とくに厳しい「数学トライポス」を課すことで知られた。受験者は、8日間に合計48時間にわたって16の分野に及ぶ200以上の難問を解かなければならない。
この試験が「受験生の精神を消耗させ、多大なダメージを与える」ことは、進化論を生んだチャールズ・ダーウィンや数学者ゴッドフレイ・ハーディでさえ書き残している。
現代の「数学トライポス」は、1年次「数学パートIA」、2年次「数学パートIB」、3年次「数学パートⅡ」の試験に合格すれば、「数学学士号」を取得できる仕組みになっている。
ところが、1960年6月、20歳のジョセフソンは、大学2年次の終了時点で3つの試験すべてに合格して「数学学士号」を取得した。この事実から、ジョセフソンが数学で抜群に優秀であることは明らかだろう。
更新:12月22日 00:05