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【天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち】第18回 リチャード・ファインマン(1965年ノーベル物理学賞)

2023年07月06日 公開

高橋昌一郎(國學院大學教授)

 

アーリーンの死

第2次世界大戦が勃発し、ファインマンはロスアラモス国立研究所で原爆開発の秘密任務に就くことになった。彼は1943年4月、ホイーラー教授に量子力学の「先進波」に関する博士論文を提出して博士号を取得し、ニューメキシコ州アルバカーキのサナトリウムにアーリーンを入院させることにした。

ファインマンと車椅子に座ったアーリーンは、プリンストンからアルバカーキに汽車で向かった。これが2人の新婚旅行だった。

「長くて2年しかもたない」と言われたアーリーンは、3年以上生き続けた。ファインマンは、次のように述べている。

「僕は、アーリーンの身体の中で、生理的に何が起きているのかを考え続けた。肺には空気が足りないから、血液に充分な酸素を送り出せない。だから、脳は朦朧(もうろう)としてくるし、心臓も弱ってくる。心臓が弱ってくれば、さらに呼吸が困難になる。...次第に意識が薄れていき、呼吸数も少なくなって、いつのまにかアーリーンは亡くなってしまったのである」

1945年6月16日、アーリーンは25歳の若さで逝去した。アーリーンの葬儀の翌日、ロスアラモス研究所に戻ったファインマンは、同僚に「彼女は亡くなったよ。で、例のプログラムはあれからどうなってる?」と話しかけている。結婚当初から彼女の死を予期していたファインマンは、いたって冷静に見えた。だが実は、そうではなかったのである。

「僕は、精神的に自分をごまかしていたに違いない。少なくともアーリーンの葬儀から1カ月が過ぎるまで、涙一つこぼさなかった。ある日、オークリッジの町を歩いていると、デパートの前にさしかかり、ショーウィンドウに綺麗なドレスが飾られていた。それを見て、僕は『ああ、アーリーンの好きそうな服だな』と思った。その瞬間、どっと悲しみが堰(せき)を切って溢れてきた...」

ファインマンは、アーリーンが入院する日、大きな数字盤がパタパタとめくれる時計をプレゼントした。彼女は、その時計を何よりも大切にして、片時も病床の側から離したことはなかった。そして、彼女が亡くなったのは「09:22」だったが、その時計も時刻「09:22」を指したまま、止まってしまったのである!

この「現象の神秘」を、どのように説明すればよいのか? ファインマンは、時計が止まるためには「理由」がなければならないと考えた。そして彼は、この現象は2つの「理由」によって解明できたと述べている。

第1に、3年以上使用しているうちに、時計の数字盤を押さえるバネが緩み、修理したことがあったこと。第2に、看護師が死亡証明書に死亡時刻を書き込むために、数字をよく見ようとして、時計を持ち上げてから元に戻したこと。「それに気がつかなかったら、いくら僕でも説明に困っていたかもしれない」と、彼は述べている。

ファインマンは、ベストセラーとなった自伝『ご冗談でしょう、ファインマンさん』でアーリーンとの悲劇を描き、その内容は『インフィニティ 無限の愛』に映画化された。

ファインマンが亡くなった後、彼の書斎から何度も読み返した跡のある擦り切れた手紙が発見された。それはアーリーンが亡くなって2年近く経ってから、彼女に宛てて書かれた手紙だった。

「愛するアーリーン 誰よりも君を大切に思っている。君がどんなにこの言葉を聞きたがっているか、僕にはよくわかっている。だが、僕がこれを書くのは、君を喜ばせるためだけじゃない。君に手紙を書くことで、僕も内側から温かくなれるんだ。...僕には君しかいない。君は存在する。僕の愛する妻よ、君を深く想っている。僕は妻を愛しているのに、妻はこの世にいない。追伸 この手紙は出さないけれど許してほしい。僕は、君の新しい住所を知らないんだ」

 

コーネル大学とカリフォルニア工科大学

1945年7月16日、ニューメキシコ州ソコロの南東48㎞地点の砂漠で、人類史上最初の核実験が行われた。この実験は大成功で、爆発の威力はTNT火薬2万t近くの破壊力で、「人口30万~40万人の都市を焼け野原にできる威力」と表現された。

ロスアラモス国立研究所は、沸きかえった。至る所でパーティが開かれ、ファインマンはジープの端で長年の趣味の打楽器ボンゴを叩いていた。ところが、物理学者のボブ・ウィルソンだけは、ふさぎ込んでいた。「とんでもない物を造っちまったんだ」というのが、その理由である。ファインマンは、次のように述べている。

「僕をはじめ、周囲の皆は、自分たちが正しい目的のためにこの仕事を始め、力を合わせて無我夢中で働いて、それがついに完成したのだ、という喜びでいっぱいだった。そしてその瞬間、考えることを忘れていた。...ただ一人、ボブ・ウィルソンだけが、その瞬間にも考えることを止めなかったのである」

実際には、ファインマンは自分が「大量殺戮(さつりく)兵器」の製造に加担していることに対して、内心で強い罪悪感を抱いていた。ところが、フォン・ノイマンと散歩をしながら会話を交わしたファインマンは、楽になったという。

「我々が今生きている世の中に責任を持つ必要はない、という興味深い考え方を僕の頭に吹き込んだのが、フォン・ノイマンである。このフォン・ノイマンの忠告のおかげで、僕は『社会的無責任感』を強く感じるようになった。それ以来、僕はとても幸福な男になった」

終戦後、ロスアラモス国立研究所の理論物理学部門で最優秀の能力を示したファインマンには、さまざまな大学や研究所から声が掛かった。

ロスアラモス国立研究所所長ロバート・オッペンハイマーは、自分の所属するカリフォルニア大学バークレー校の物理学科に彼を招聘すべきだという長い推薦状を学科長レイモンド・バージに送付した。しかし、バージは「我々の学科にはユダヤ人が1人いれば十分だ」(その1人とはオッペンハイマー)と言って、この推薦を受け入れなかった。

ロスアラモス国立研究所の理論物理学部門のリーダーだったベーテは、自分の所属するコーネル大学に招聘したいと学長や学科長に推薦し、そのおかげでファインマンは、1945年9月よりコーネル大学物理学科教授として受け入れられることになった。

この時期に、ファインマンは「量子電磁気学」のさまざまな難問を表現するために、新たな「経路積分法」という量子化法を発明し、さらにそれを当時用いられていた記号や公式を用いずに「ファインマン・ダイヤグラム」と呼ばれる図式で簡明に表現する方法を見出した。

彼が1949年に発表した論文「量子電磁気学に対する時空的アプローチ」は、世界の物理学界で高く評価された。

ただし、ファインマンのプライベートな生活は落ち着かなかった。アーリーンを忘れられない苦しみから逃れるためか、彼は、学部の女子学生たちをデートに誘い、売春婦をアパートに連れ込み、何人かの既婚者の妻と関係を持ったともいわれている。

1951年9月、ファインマンはスキャンダルを逃れる意味もあって、カリフォルニア工科大学に移籍した。当時、彼と交際していたコーネル大学大学院生メアリー・ベルは、ミシガン州立大学で専門のメキシコ芸術史を教え始めていた。ファインマンは、彼女にメールで求婚し、1952年6月28日、34歳のファインマンは35歳のメアリーと結婚した。

しかし、2人の結婚生活は長く続かなかった。朝から夜中まで仕事に没頭するファインマンは、メアリーが声を掛けただけでも激怒して、彼女を虐待することがあったため、メアリーが離婚訴訟を起こしたのである。1956年6月19日、ファインマンによる「極度の残虐行為」(extreme cruelty)が認定され、離婚の判決が下された。

1959年6月、ファインマンはグウェネス・ホワースを住み込みのメイドとして雇用した。イギリス生まれのグウェネスは、各地で働いて資金を貯めて、世界を旅して風景を描く画家である。1960年9月24日、42歳のファインマンと25歳のグウェネスは結婚した。1962年に息子カールが生まれ、1968年は娘ミシェルを養子に迎えている。

1961年から1963年にかけてカリフォルニア工科大学でファインマンが行った授業は『ファインマン物理学』全3巻として発行され、かつてないほどの斬新な教科書として、今も世界中で版を重ねている。

1965年、ファインマンは「量子電磁力学の基礎的研究」により、ハーバード大学のジュリアン・シュウィンガーと東京教育大学の朝永振一郎とともに、ノーベル物理学賞を受賞した。

1967年、エンリコ・フェルミ【本連載第12回参照】の名前を取った「フェルミ国立加速器研究所」の建設計画が決まると、その初代所長職のオファーがあった。ファインマンは、カリフォルニア工科大学の環境を気に入っていたので、その契約内容も読まずに断った。

書類を整理していた秘書が、その契約内容を読み、報酬の高さに驚愕すると、ファインマンは「それなら、なおさら断ってよかったよ。僕は『社会的無責任者』なんだから」と言ったという。

ちなみに、「フェルミ国立加速器研究所」初代所長に就任したのは、ロスアラモス国立研究所の同僚で「考えることを止めなかった」ウィルソンである。

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著者紹介

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授

1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在、國學院大學文学部教授。専門は論理学、科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。情報文化研究所所長、Japan Skeptics副会長。

X(旧 Twitter):https://twitter.com/ShoichiroT

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