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【天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち】第18回 リチャード・ファインマン(1965年ノーベル物理学賞)

2023年07月06日 公開

高橋昌一郎(國學院大學教授)

 

プリンストン大学大学院

1939年4月29日、アメリカ物理学会が開催された。プリンストン高等研究所に招待されていたコペンハーゲン大学の物理学者ニールス・ボーア【本連載第4回参照】は、ここで純粋なウランに「連鎖反応」を起こさせれば、「地球のかなりの部分」を一瞬で破壊する「原子爆弾」を生成できるかもしれないと述べた。

そのボーアと共同研究を行ったのが、プリンストン大学の物理学者ジョン・ホイーラーである。ボーアとホイーラーは、原子内部の「液滴モデル」を用いて「核分裂のメカニズム」を説明することに成功し、その成果を1939年9月の『フィジカル・レビュー』誌に発表した。

ファインマンは、この年の9月にプリンストン大学大学院に進学した。彼の物理学の大学院入学試験の成績は、それまでに前例のない「満点」で、教授陣を驚愕させた。そして、彼の指導を引き受けたのが、ホイーラー教授だった。

その後、ホイーラーは、アルベルト・アインシュタイン【本連載第8回・第9回参照】とも「統一場理論」の構築に関する共同研究を行っている。つまり、ホイーラーは、物理学界の2大巨頭と共同研究をするほど優秀な物理学者だったわけである。

彼は宇宙物理学にも多くの功績を残し、「ブラックホール」の名付け親としても知られる。学生の面倒見もよく、ファインマンの他に「量子力学の多世界解釈」を提唱したヒュー・エベレットの指導教官も務めている。

ファインマンは、最先端の「量子電磁力学」の研究を開始し、ホイーラーも理解できないほどの理論を構築するようになった。

そこでホイーラーは、ファインマンにセミナーを開催するように指示した。通常ならば、世界的名声のある招聘教授が行うセミナーを博士号取得前の大学院生が行うことは前代未聞だったが、ホイーラーはファインマンの研究成果にそれだけの価値があると見込んだわけである。

いよいよセミナーが始まると、24歳のファインマンは仰天した。彼の目の前には、ホイーラー教授はもちろん、プリンストン高等研究所からアインシュタインと数学者ジョン・フォン・ノイマン【本連載第11回参照】、プリンストン大学から物理学者ユージン・ウィグナー【本連載第11回参照】と物理学者ヴォルフガング・パウリ【本連載第13回参照】、さらにプリンストン天文台長の天文学者ヘンリー・ラッセルといったノーベル賞受賞者や有名教授たちが座っていたからだ。

このときの様子を、のちにファインマンは次のように述べている。「目の前にモンスター・マインドとでも呼ぶべき頭脳が並んで僕の講義を待っている! 生まれて初めて自分の仕事を話すセミナーの聴衆が、こんな凄い天才ばかりだとは...。僕はきっと徹底的にやり込められるに違いない。封筒からノートを取り出そうとしたとき、僕の手がどうしようもなくブルブルと震えていたことを今でも覚えている」

「ところが、そこで奇跡が起きた。僕はいったん物理学のことを考えて、その内容を説明しようと集中すると、他のことはすべて消し飛んでしまう。だから、講義を始めると、そこに誰がいるのかなどまったく気にならなくなり、何も怖くなくなった。ただ自分のアイディアを明快に説明すること、それだけに集中できた」

 

アーリーンとの恋

アーリーン・ファインマン
アーリーン・ファインマン(1942年)

当時のファインマンは、人生の幸福の頂点にあった。彼は、物理学界をリードする若手ホープとして将来を嘱望され、アメリカとヨーロッパの大学や研究機関から数えきれないほど招聘の話が来ていた。

さらにファインマンは、中学校で出会った初恋の女性アーリーン・グリーンバウムと10年以上の恋愛期間を経て婚約中であり、博士号を取得して、結婚式を挙げるという二重の喜びを間近に控えていた。

ところが、ある日、体調を崩したアーリーンが病院に行って精密検査を受けた結果、彼女はリンパ腺結核にかかっていることがわかったのである。それは、当時の最先端の治療を施しても、数年の余命しか残されていない病気だった。「長くて2年しかもたない」というのが医師団の診断結果だった。

このことは本人には伏せられ、彼女の家族と婚約者のファインマンの家族だけに伝えられた。両家ともユダヤ人共同体でお互いをよく知る間柄だった。

まず問題になったのは、アーリーンにどのように病状を説明するかということだった。ファインマンは、どんなことがあっても互いに真実のみを話すと誓い合っていたので、彼女に「不治の病」であることも正直に伝えるつもりだと言うと、両方の家族は猛反対した。当時15歳の妹ジョーンは、「あんなにすばらしい女性を悲しませる兄」は「非人間的」だと泣き叫んだ。

アーリーンの家族とファインマンの家族は、2人の将来のためにも、結婚そのものを延期すべきだと結論付けた。つまり、両家の人々は、ファインマンが黙って彼女の元から去り、ヨーロッパの研究所に行って研究に没頭する(そして、その間にアーリーンは静かに息を引き取る)ことが、結果的には2人のために最もよい選択だと考えたのである。

しかし、ファインマンは、両家の家族の猛反対を押し切って、約束どおり彼女にすべての真実を告げて、アーリーンと結婚する。2人は、1942年6月29日、彼女が入院する当日に、ニューヨーク州リッチモンドの町役場で結婚式を挙げた。家族も友人も誰も来なかったため、2人は役場の職員2名に証人になってもらった。

「幸福感で一杯の2人が顔を見合わせ、ただニコニコして手を繋いでいる」光景を見て、証人になった簿記係が、しびれを切らして「もう式は終わったんだから、花嫁にキスする番だよ」と催促する。そこで花婿は花嫁の「頬」にキスするわけだが、2人は「口の中に結核菌がうようよしている」ため「キスもできない」状況を理解したうえで結婚したのである。

アーリーンは、ニュージャージー州バーリントンのデボラ病院に入院し、ファインマンは週末になるとプリンストンから妻の病室に向かう生活が始まった。

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アーリーンの死 >

著者紹介

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授

1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在、國學院大學文学部教授。専門は論理学、科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。情報文化研究所所長、Japan Skeptics副会長。

X(旧 Twitter):https://twitter.com/ShoichiroT

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