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【天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち】第18回 リチャード・ファインマン(1965年ノーベル物理学賞)

2023年07月06日 公開

高橋昌一郎(國學院大學教授)

量子電磁力学を確立し、ボンゴを叩き、チャレンジャー号事故を究明した天才

リチャード・ファインマン
リチャード・ファインマン(1965年)

どんな天才にも、輝かしい「光」に満ちた栄光の姿と、その背面に暗い「影」の表情がある。本連載では、ノーベル賞受賞者の中から、とくに「異端」の一面に焦点を当てて24人を厳選し、彼らの人生を辿る。

天才をこよなく愛する科学哲学者が、新たな歴史的事実とエピソードの数々を発掘し、異端のノーベル賞受賞者たちの数奇な運命に迫る!

※本稿は、月刊誌『Voice』の連載(「天才の光と影 異端のノーベル賞受賞者たち」計12回)を継続したものです。

 

「家庭用警報システム」を創作した子ども

リチャード・ファインマンは、1918年5月11日、アメリカ合衆国ニューヨーク州ニューヨーク市クイーンズ区で生まれた。

ニューヨーク市には5つの区があるが、ロングアイランド島でニューヨーク市の最も東に位置するクイーンズ区は、5つの区の中でも最も面積が広く、ブルックリン区に次いで人口が多い。その大多数は移民で構成され、アメリカの中でもとくに民族的多様性に富む地域として知られる。

ファインマンの父親メルヴィルは、1890年にロシア帝国ベラルーシのミンスクで生まれ、5歳のときに両親に連れられてアメリカに移住した。高校卒業後、ワイシャツ製造会社に就職して次第に頭角を現して、26歳で営業マネージャーに抜擢されている。

メルヴィルが恋に落ちたのは、同じユダヤ人共同体で何度か顔を合わせていた5歳年下のルシールだった。彼女は、ポーランド系移民の娘で、女子学校を卒業して小学校の教師になる予定だった。26歳のメルヴィルと21歳のルシールは、1916年3月16日に結婚した。

のちにファインマンは、父親からは「妄信しないこと」、母親からは「ユーモア」を学んだと述べている。父親メルヴィルの口癖は、「パパはワイシャツを売っているからよくわかる。ローマ教皇であろうとアメリカ合衆国大統領であろうと、誰でも同じ人間だ。違うのは、着ている物だけさ」だった。

彼は、ファインマンに、何事についても表面的でオーソドックスな説明を妄信せず、本質を見極める姿勢を教えた。幼いファインマンが「なぜ」と質問を続けて、自発的に『ブリタニカ百科事典』を調べていく様子を見て、父親メルヴィルは大いに喜んだ。

母親ルシールは「お人好し」で知られるポーランド系らしく、温かさとユーモアを兼ね備えた主婦となった。その彼女が人生で唯一落ち込んだのは、1924年1月に生まれた次男フィリップスが病気のため1カ月で亡くなってしまったときだった。

1927年3月、ファインマンからすると9歳年下の妹ジョーンが生まれた。彼女も兄に似て、幼い頃から自然現象に興味を抱いた。

母親ルシールは「女性の脳は学問に向いていないんだから」と言って、ジョーンが大学に進学することに反対したが、ファインマンは妹が学問を続けることを応援し続けた。その後、ジョーンはオーバリン大学を経てシラキュース大学大学院に進学し、アメリカ航空宇宙局(NASA)の宇宙物理学者になっている。

小学校に入学したファインマンは、ラジオを分解して、なぜ機械から音が出るのかを調べ上げた。当時のラジオは真空管方式で製造されていたため頻繁に故障したが、ファインマンは手際よく修理する方法も発見した。

その評判が広まり、彼の元には、故障したラジオが引きも切らずに持ち込まれるようになった。彼は、電気屋よりも安い料金で、電気屋よりも上手に修理した。のちにファインマンは「私の人生で最初の仕事は、ラジオ修理屋だった」と述べている。

1930年、父親メルヴィルはアメリカの軍隊の制服を製造販売する会社を立ち上げ、75人の従業員を雇用するようになった。立派な経営者になった彼は、クイーンズ区のロックアウェイ半島の最東端に位置するファーロックアウェイに邸宅を構えた。

現在のファーロックアウェイは、大西洋岸のビーチを楽しむ高級リゾートになっているが、当時は住居が点々として、泥棒が侵入する事件が多発していた。

ある日、両親が外出している間に、ファインマンは家中の出入り口と窓に警報装置を取り付けて「家庭用警報システム」を組み立てた。当時の「泥棒除け」といえば、屋根や門の周囲に忍び返しや有刺鉄線を張るようなことしか、誰も思いつかなかった。その時代に、小学生のファインマンが「家庭用警報システム」を生み出した構想力は、驚異的といえる。

もし彼が1930年代に住宅用警報システムの会社を設立していたら、世界でトップクラスの大富豪になっていたかもしれない。

 

マサチューセッツ工科大学

中学校に入学すると、ファインマンの関心は機械工作から数学に向かい、15歳の段階で三角法、微積分学、抽象代数学、解析幾何学などを独学で理解した。

これらの学習でも彼の独自性が表れているのは、三角法ではサイン・コサイン・タンジェントを組み合わせた独自の記号を生み出し、微積分学でも通常の「導関数」ではなく「半導関数」を基準に理論を構築した点にある。

1933年、ファーロックアウェイ高校に入学したファインマンは、卒業するまで数学と化学でトップの成績を維持し続けた。ただし、英語と歴史は苦手で、とくに彼の英語の発音と文法は「メチャメチャ」だった。

たとえば彼は、のちに大学教授となってからも、重要だと思う単語には通常は付けない定冠詞を勝手に付けて「自然(the nature)」「科学(the science)」「物理学(the physics)」と講義したため、学生たちは驚き呆れた。

のちにロスアラモス国立研究所でファインマンの上司になる物理学者ハンス・ベーテは、「ファインマンの英語はクイーンズ訛りが強すぎて、彼と会話をすると、まるでホームレスと話しているような気分になった」と述べている。

1935年4月、ファインマンは全米の高校生が参加する「全米高校生数学選手権」で見事に優勝する。この年の9月、ファインマンはマサチューセッツ工科大学に入学した。当初は数学を専攻するつもりだったが抽象的すぎることに気付き、次に電気工学を専攻したが具象的すぎたので、最終的にその中間にある物理学に落ち着いたという。

ファインマンの指導教官になったのは、量子力学の「スレイター方程式」で知られる物理学者ジョン・スレイターである。ちょうどこの時期、彼の下で博士論文を仕上げていたのがウィリアム・ショックレー【本連載第17回参照】だが、学部の新入生ファインマンとは接点がなかっただろう。

ただし、のちにノーベル物理学賞を授賞する2人が、同じ時期にスレイターの研究室ですれ違っていたかと思うと、おもしろい。

ファインマンは、量子力学を化学の分子モデルに適用する「量子化学」をスレイターから学び、そこから「分子における力」という卒業論文を完成させた。

この論文には、化学結合した原子内で電子が原子核に及ぼす量子力学上の「力」は、古典力学における「静電力」として表現できるという成果が数学的に示されている。スレイターは、この学生離れした専門的成果をドイツの物理学者ハンス・ヘルマンの発見と合致させて「ヘルマン–ファインマンの定理」と名付けた。

1939年4月、ファインマンは全米の大学生が参加する「パトナム大学生数学選手権」で優勝する。したがってファインマンは、高校3年次と大学4年次に、アメリカで最優秀の数学的能力を示したことになる。この時点で彼は「数学の天才」と呼ばれるようになった。

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著者紹介

高橋昌一郎(たかはし・しょういちろう)

國學院大學教授

1959年生まれ。ミシガン大学大学院哲学研究科修了。現在、國學院大學文学部教授。専門は論理学、科学哲学。主要著書に『理性の限界』『知性の限界』『感性の限界』『フォン・ノイマンの哲学』『ゲーデルの哲学』(以上、講談社現代新書)、『20世紀論争史』『自己分析論』『反オカルト論』『新書100冊』(以上、光文社新書)、『愛の論理学』(角川新書)、『東大生の論理』(ちくま新書)、『小林秀雄の哲学』(朝日新書)、『哲学ディベート』(NHKブックス)、『ノイマン・ゲーデル・チューリング』(筑摩選書)、『科学哲学のすすめ』(丸善)など多数。情報文化研究所所長、Japan Skeptics副会長。

X(旧 Twitter):https://twitter.com/ShoichiroT

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