2022年03月02日 公開
2024年12月16日 更新
ロシア軍のウクライナ侵攻により、世界的緊張状態が高まっている。先進国のロシアへの非難は絶えない。それでもなお、ロシアがウクライナを欲しがる理由とは?
本稿では2014年に勃発した「クリミア危機・ウクライナ東部紛争」の背景から、今後のロシア・ウクライナ情勢を読み解いていく。
※本稿は茂木誠著『世界の今を読み解く「政治思想マトリックス」』(PHP研究所刊)より一部抜粋・編集したものです。
2014年にウクライナで政変が発生すると、ロシアはウクライナ領クリミア半島の独立問題に介入し、クリミア半島を強引に併合してしまいました。欧米諸国は一斉にロシアを非難し、経済制裁を発動するとともに、G8(サミット)からプーチンを締め出す事態に発展しました。
ロシアがウクライナにこだわる理由は、黒海への出口に位置するからです。
18世紀後半、ロシアの女帝エカテリーナ2世がオスマン帝国を破って、クリミア半島を併合します。このときウクライナ南東部にロシア人が移住し、クリミア半島にはセヴァストーポリ軍港を築いて黒海艦隊を配置しました。
ロシアが地中海方面へ出て南下政策を進めるための重要拠点であり、19世紀には英仏連合軍とのクリミア戦争の戦場となりました。
ソ連崩壊後、クリミア半島はウクライナ領となりました。しかし、今もロシア系住民が多く、ロシア黒海艦隊がセヴァストーポリ軍港を借りています。
独立後、ウクライナは深刻な内部対立を抱えてきました。ウクライナ東部とクリミアにはロシア系住民が多いため「親ロシア派」、ウクライナ西部は「親欧米」と、国内が二分されています。
大統領選があると、東側は親ロシア派候補に、西側は親欧米派候補に投票し、どちらが勝っても揉めるのです。
2004年の大統領選は、南東部を基盤とする親ロシア派のヤヌコヴィッチが勝利宣言をしました。これに対し、北西部を基盤とする新欧米のユシチェンコが「不正選挙」を訴えると、オレンジ色をシンボルとする数万の新欧米派が首都キエフの広場を群衆が覆い尽くしました。再選挙の結果、ユシチェンコが大統領に選出されました。この2004年の政変が「オレンジ革命」です。
騒乱は黒海東岸のジョージア(グルジア)でも起こっており、その背後でアメリカCIAや国際金融資本(ジョージ・ソロス)のオープン・ソサイエティ財団が資金提供していたことがわかっています。
2014年、親ロシア派のヤヌコヴィッチ大統領が行ったEU加盟交渉の凍結に反発した親欧米派が、再びキエフの広場(マイダン)で騒乱を起こしました(マイダン革命)。このときは流血の事態となり、ヤヌコヴィッチ大統領はロシアへ亡命。親欧米派政権が発足します。
このままでは、新欧米派政権がウクライナのNATO加盟交渉を行い、クリミアからロシア軍を撤退させ、代わりに米軍を招き入れようとするだろう――プーチンは、こうした危機感を抱きます。
このとき、クリミア半島の親ロシア派住民が、キエフの新欧米派政権からの分離独立に動きます。住民投票の結果、「ウクライナからのクリミア独立と、ロシアへの編入」に賛成する票が大多数を占めます。この「住民の意思」を盾に、プーチン大統領はクリミア半島を併合してしまったのです。
ロシアが開催国だったソチ冬季五輪が閉幕してすぐというタイミングでした。
オバマ政権はロシアに経済制裁を発動し、西側諸国もこれに同調してロシアに経済制裁を課し、G8(サミット)から締め出しました。
クリミアに続いて、ウクライナ東部ドンバス地方の2つの州(ルガンスク州とドネツク州)でも、親ロシア派が独立政権を樹立し、新欧米派+ウクライナ政府軍との内戦が勃発しました。このドンバス紛争が8年続いたのです。
この間に仏・独が仲介したミンスク合意も、ウクライナ政府、ドンバス側の双方が守らず、泥沼化していきました。
その間、ウクライナ大統領に選ばれたのは、新興財閥(オリガルヒ)の1人で「チョコレート王」のポロシェンコでした。彼はロシア語を公用語から外し、ロシアとの経済関係を遮断するなど露骨な反ロシア政策を推進しました。プーチンは苛立ちを強めます。
ウクライナを抑えたグローバリストに対抗するためにも、南の潜在的脅威・中国に対抗するためにも、「反グローバリズム」「反中国」のトランプ政権にプーチンは接近しました。トランプ政権の4年間プーチンはシリアの対IS(過激派組織イスラム国)作戦で米軍に協力するなど、米露関係も劇的に改善されたのです。
これは、「アメリカとロシアの対立」ではなく、
ナショナリスト勢力のトランプ・プーチン連合vs.グローバリスト、
という図式だったのです。
ところが2020年のアメリカ大統領選で民主党のバイデンが当選します。バイデンはかつてオバマ政権の副大統領としてウクライナの新欧米政権と太いパイプを持ち、息子ハンターバイデンがウクライナのガス会社から資金提供を受けている人物でした。
一方でプーチンを「人殺し」と罵るなど、ロシアとの関係は初めから険悪でした。これを受けてドンバスでは、新欧米派の武装勢力が攻勢をかけます。ウクライナのゼレンスキー大統領は、内戦終結への指導力に欠けていました。
ドンバス戦争に早くケリをつけたいが、トランプとの信頼関係を気にかけて動けなかったプーチン。バイデン政権になって、米国との関係悪化を気にしなくてよくなったとき、行動に出たのです。
2022年2月21日、プーチン大統領はドンバス地方2州の独立を承認し、「平和維持軍」と称してロシア軍の派兵を命じました。前年末ウクライナ国境に集結していたロシア軍約20万が国境を越え、ロシアのウクライナ侵攻が始まったのです。
更新:12月22日 00:05