このような国益のぶつかりあいの中で、日韓の連帯ないし連携とはいかなるものなのか。それは、国家と国家、政府と政府の全面的連携という次元のものではない。そうではなく、両国の内部に多様に存在する意見の連帯ないし連携なのである。
韓国にもイラク派兵反対派がたくさんおり、日本にも自衛隊派遣反対派がたくさんいた。この両者が連帯ないし連携すべきだったのである。また韓国にも、日本の自衛隊の役割を重要視し、憲法改正に理解を示す論者がおり、日本にも当然いる。この両者が連帯ないし連携すべきなのである。
韓国の大陸国家論者と日本の東アジア共同体論者が連帯ないし連携する。韓国の海洋国家論者と日本の対米関係重視論者が連帯ないし連携する。
それぞれの国での国論は四分五裂の様相を呈するが、それを孤立した一国家内の自慰的議論で消耗させず、国際的な広がりを持たせる。そのことによって、日韓は共通の議論の「舞台」を創出することができる。
そしてそのような議論の場に米国を巻き込むことによって、「米国と日本」「米国と韓国」という同盟関係においては発想しえなかった「力」を日韓が得ることになる。
一国のなかだけで国論が分裂している状況よりも、強固に鍛えられた東アジアの多様な思想の選択肢を準備しておくほうが、有利であるからである。そしてこの「力」によって米国を牽制し、東アジアにおけるイニシアティブの一部を日韓が獲得することになる。
このような議論を経ることによって、日本は「神学論争」から抜け出、自らの国家観を鍛えることができるようになるだろうし、東アジアにおける〈知〉の枠組みも大きく変えることになろう。
これまでのような自閉的な議論でなく、新しい世界構築に向かって開かれた〈知〉を構築しうるであろう。日韓がこれまでのように「国家」と「国家」として対決したり妥協したりするのではなく、互いに批判的な議論を繰り返しながら、「第三の道」を見出してゆくべきと考える。
それは同時に、「右」か「左」か、という二者択一の国論からの脱出であり、「米国追随」か「感情的反米」しか採る道のない状況からの脱却である。そしてその道の延長線上には、米国、欧州と肩を並べるアジアという像が浮かび上がっている。
わたしは韓国専門家であるから、歴史的経緯も含めて、日韓がそのような「第三の道」を目指すことの困難は充分に承知しているつもりである。しかし、好むと好まざるとにかかわらず、現在、日本がアジアで手を組むことのできる相手は韓国しかありえない。
資本主義の成熟度、国民の生活水準、文化的内容……これらの尺度から考えても、日韓は両国国民の表面的イメージとは異なり、実はかつてないほど共通性を持ったのである。
更新:11月23日 00:05