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日本軍の撤退後の韓国に「独立と平和」はなかった…相次いだテロと暴動

2019年08月06日 公開
2019年08月07日 更新

江崎道朗(評論家)

日本軍撤退後の韓国に「独立と平和」はなかった

安全保障、インテリジェンス、近現代史などに幅広く精通し、その知見から論壇誌への寄稿も多数の評論家の江崎道朗氏。

その新著『朝鮮戦争と日本・台湾「侵略」工作』では、日本人の多くが“傍観者”だったと思いこんでいる朝鮮戦争において、実は中国、ソ連などの共産勢力が企てていた日本と台湾の侵略の危機という「知られざる歴史」が存在することを述べている。

本稿では同書より、朝鮮戦争に至る以前の終戦後の朝鮮半島の状況に触れた一節を紹介する。

※本稿は江崎道朗著『朝鮮戦争と日本・台湾「侵略」工作』(PHP新書)より一部抜粋・編集したものです。

 

暴動が相次ぎ内乱状態だった、終戦直後の朝鮮半島

終戦後、日本だけでなく、米軍占領下の朝鮮半島でもゼネストや暴動が頻発していた。ここで終戦後の朝鮮半島の動向について振り返っておきたい。

1945年2月、ソ連領ヤルタで開催されたヤルタ会談において連合国首脳は戦後、日本領であった朝鮮半島を米・英・中・ソ四国による信託統治下に置くことを決定し、ヤルタ会談と米軍との秘密協定に基づいてソ連軍は8月九日の対日参戦後、直ちに朝鮮半島へ侵攻を開始する。

1945年8月14日、日本がポツダム宣言を受諾し、朝鮮半島は日本から切り離されることになった。

その後、朝鮮半島は北緯38度以北(北朝鮮)をソ連軍に、以南(南朝鮮)を米軍にそれぞれ占領された。米軍は9月7日に朝鮮における軍政実施を宣言した。連合国は1945年12月、モスクワ三国外相会議において朝鮮半島の信託統治を決定したが、暴動が相次ぎ内乱状態に陥っていく。

1946年には、7月に全羅南道・北道にまたがる農民暴動、九月には朴憲永が戦後に組織した朝鮮共産党の指導によるゼネストを経て、大邱で大暴動が発生している。

暴動参加者300万人、検挙者4465名に達し、首謀者10名が処刑された。米軍は強権発動してゼネストを抑え込み、朴憲永は北に逃亡する。

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