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本当は「尖閣諸島」に興味がなかった中国共産党

2019年06月27日 公開
2022年07月08日 更新

北村淳(軍事社会学者)

 

にわかに尖閣諸島に関心を持ち始めた中国共産党

第二次世界大戦で日本が敗北すると、尖閣諸島はアメリカ軍の占領下に置かれた。サンフランシスコ平和条約締結後も、尖閣諸島を含む北緯二九度以南の南西諸島全域はアメリカの施政下に置かれていた。

やがて1971年6月17日に調印された日米沖縄返還協定によって、1972年五月、日本政府は尖閣諸島に対する主権を回復することとなった。

ところが、尖閣諸島の主権が日本に回復する直前の1971年12月になると、中国共産党政府は

「尖閣諸島は地理的に台湾に付属する島嶼であって、日本帝国主義が中国より台湾ともども奪取した(筆者注:日清戦争を指しているのだが事実歪曲である)ものであり、それを第二次世界大戦後アメリカ帝国主義が侵略し、さらに日米が結託して日本の領土に組み込もうとしている。尖閣諸島は中華人民共和国の領土であり、中国人民は奪われた領土は必ず回復する」

といった趣旨の声明を発表した(中華人民共和国外交部声明、1971年12月30日)。

中国共産党政府は、尖閣諸島がアメリカから日本に返還されることが決定されるまではいっさいこのような見解を発表したことはなかった。それにもかかわらず、尖閣諸島が日本に返還されることになったら、すかさず領有権を主張し始めたのだ。それは次の二つの理由に基づいている、と考えられる。

第一に、1968年秋までは、中国共産党は尖閣諸島への関心など持っておらず、領有権の主張などは思いもよらなかった。

しかし1968年秋、国連アジア極東経済委員会の学術調査の一環として東シナ海の海底調査が実施された際に、尖閣諸島周辺に石油が埋蔵されている可能性が高いことが判明した。そこで、中国共産党政府はにわかに尖閣諸島に関心を持ち始めたのであった。

中国共産党政府が尖閣諸島周辺海底の地下資源に関心を持ったとはいえ、当時尖閣諸島はアメリカの統治下にあったため、軍事強国であるアメリカに対して領有権を主張することなどはできなかったのである。

幸い、アメリカが尖閣諸島を日本に返還する事が決定したため、またアメリカ政府は第三国間の領土紛争には介入しない外交原則を保持していることから、中国共産党政府は軍事弱国日本に対して尖閣諸島の領有権を主張し始めた、というのが二番目の理由である。

中国共産党政府は尖閣諸島の領有権に関する上記声明を発表しただけで、何ら軍事的行動は取らなかった。だが、それは当時の人民解放軍海軍には短い距離(300㎞~400㎞)とはいえ東シナ海を渡って尖閣諸島に侵攻することはもちろん、東シナ海で海上自衛隊やアメリカ海軍と対峙するだけの軍事能力がまったくなかったためである。

ただし「失地は軍事力を使用しても回復する」という基本原則に従い、「将来人民解放軍の戦力が強化された暁には尖閣諸島を必ず〝奪還〟する」という意思表示としての尖閣諸島の領有宣言をなしたものと考えることができる。

いうまでもなくこの領有宣言は、「1895年に『先占の法理』を根拠として日本領に組み込まれて以降、アメリカに占領統治されていた時期はあったものの、尖閣諸島は一貫して日本の領土である」という立場を取っていた(現在もその立場は不変である)日本政府の認識と真っ向から対立することになった。ここに日中間における尖閣問題が誕生したのだ。

一方、日米沖縄返還協定によって尖閣諸島は日本に返還されたものの、それ以降も久場島と大正島はアメリカ軍射爆場として米軍が日本政府から借用する区域となった。

そして、中国共産党政府が尖閣諸島の領有権を明言しても、第三国間の領土問題には介入しない、という米国伝統の外交原則に沿って、現在に至るまで、尖閣諸島の領有権に関して明確な立場を示してはいない(ただし、領有権とは切り離して尖閣諸島の施政権が日本政府の手にあることは公に支持している)。

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