考えてみれば、『論語』を誰よりも愛して、『論語』から大きな影響を受けているのは、中国人ではなくむしろ日本人のほうである。
その一方で、日本の思想史を勉強していくと、日本人は江戸時代から『論語』だけでなく、朱子学を幕府の官学として導入し、大きな影響力をもったことも知った。
しかしそうでありながらも、日本の歴史(とくに社会史)を学べばわかるように、「天理」を守って「人欲」を滅ぼそうとするような朱子学的原理主義が日本社会を支配したことはないし、女性を「節婦」「烈婦」にさせてしまうような殺人的な礼教が、この日本で猛威を振るったことは一度もない。
江戸時代の日本思想史において、最初は朱子学から出発した思想家たちは、途中で悉く朱子学から離脱・離反した。より根源的なところに遡って、儒教思想の原点を求めようとしたのである。
たとえば、江戸中期の京都の在野の思想家である伊藤仁斎は、朱子学を捨てて儒教の原点を『論語』のなかで見つけようとした。
彼が発見したのは「愛」というキーワードであり、朱子学の原理主義や礼教の殺人思想とはもっとも遠いところにある。人間世界の「愛」こそは、『論語』の基本精神であると仁斎は力説するのである。
伊藤仁斎が『論語』のなかで発見したこの「愛」を彼の著書を通じて知ったとき、大きな感銘を受けた。
それと同時に、孔子の『論語』は後世の儒教や礼教とは完全に違うという、自分自身の長年の確信を固めることもできた。
更新:11月15日 00:05