2019年04月28日 公開
2020年07月21日 更新
ハワイでの起業が軌道に乗り、ウェブ系のビジネスに関わっていると、「シリコンバレーに行きたい」という思いがやはり強くなっていきました。
そこで次は、シリコンバレーへの転職を試みました。ターゲットは、日系企業と取引をしている在米日系企業でした。そのような企業では、英語以外に日本語能力も求められますから、英語力がまだ足りないと自覚している自分でも、評価してもらえる近道を探したともいえます。
ただ、当時からIT系の資格は世界で通用するものを選んで取るようにしていました。そうしながら、とある会社に目をつけ、求人が出た瞬間に応募して、スカイプで面談を申し込みました。
すると、「来週、アメリカに面談に来てください」ということになり、その結果、採用されることになりました。仕事に集中するため、ハワイの会社はアメリカの転職が決まってからクローズしました。「やらない意志力」ともいえるかもしれません。
ただ、ハワイでの起業はMBA(経営学修士)に行くよりも、学びになりました。MBAのビジネス理論も大事だとは思いますが、実戦には敵いません。会社経営はスポーツに似ている部分がありますね。
また、日本の大企業は取引先の企業を格付けする傾向があり、会社の規模で仕事の取引先が変わるということも痛感しました(大企業は大企業と、中小企業は中小企業を相手に、フリーランスはフリーランス同士で仕事をする)。
ちなみにいまは、スプランクで働きながら、副業をしていますが、あのころの起業経験が活きています。会社として人を雇ってしまうと、コストもかかるし、稼ぎ続けなければならない。
初めはやりたかったビジネスでも、あとで嫌になることもあるが、会社のサービスとしてなかなかやめられない。
他方、副業では大きなビジネスはできないかもしれないが、〝個人社長〟として自由に好きなビジネスをやれる。これは、個の力で生きていける時代になっている、ということでもあります。
このように語っていくと、まるで私の人生は順風満帆だったかのように思われるかもしれません。
しかし、冒頭で述べたように、せっかく入ったスタートアップの在米日系企業はリーマン・ショックで潰れてしまいました。
そのままでは不法滞在になってしまうので、新しい職を探そうと、200社に応募しましたが、返事があったのは2社だけ。不況の影響で「アメリカ人を雇用しろ」というのが方針でしたから、当然といえば当然かもしれません。
しかし、返事のあった1社のNTT Mcl(現・NTTi3)が日本語を話せる人材を求めていたので、私は運よくアメリカに残ることができました。
その後、転職を考えました。現地人と英語で仕事をすることで、英語力と技術力の両方に自信がついてきたからです。
そこで、アメリカの本場の会社で勝負したくなりました。アメリカで最初に勤めた会社では20%が英語、NTTi3では70%が英語と、段階的に英語を使うようになっていたので、スムーズに英語力を身につけることができました。
更新:11月24日 00:05