2019年02月20日 公開
(註1)「國民的アイドルの創生」という論考のタイトルは、D・W・グリフィスの無声映画『國民の創生』(1915年)に引っ掛けているが、実は『國民の創生』にも猫が登場する。映画研究者のリピット水田堯は、2013年に京都文化博物館で行われた講演「猫と犬のように――映画とカタストロフ」のなかで『國民の創生』と『意志の勝利』に出てくる猫に言及している(講演録はリンク先から無料でダウンロードできる[http://www.parasophia.jp/publications/#parasophia_chronicle])。『意志の勝利』の序盤に登場する猫とヒトラーの目が合っているように編集されていることについて、リピット水田は、ヒトラーが猫にまで好かれるような優しい人物であり、そのカリスマ性が人類以外にまで及んでいることを印象づける効果を指摘している。同時に、現在の視点から、この猫が人間の歴史を見つめているという解釈を提示する。人間がカタストロフ(大惨事)に落ちていく歴史を、外の世界から目撃し、記録している猫という構図である。
ところで、ナチスは政権を掌握したまさにその年(1933年)に「動物保護法」という法律を制定している。動物に不必要な苦痛を与えることや動物のいたずらな屠殺、動物実験を禁じるなど大変に先進的な内容で、この法律はナチス政権が崩壊した1945年以降も長らく使用され続けていた。ただ、ヒトラーがかわいがっていたのはもっぱら犬であり、猫に対する関心は薄かったようである(古谷経衡『ヒトラーはなぜ猫が嫌いだったのか』、コア新書、2016年)。
したがって、『意志の勝利』に猫の映像が挿入されているのは、ヒトラーが猫好きだったからというわけではなく、そうした方が映画の効果が高まると考えたリーフェンシュタールの戦略によるものと考えられる。『ボヘミアン・ラプソディ』の場合は、フレディが大の猫好きであったという史実を踏まえて劇中に猫を登場させており、その点でも異なっている。とはいえ、映画はフレディの好きだったものを満遍なく描き出しているわけではなく、戦略の一環として画面映えする猫を巧みに利用していることは間違いない。
現在、SNSの世界でも猫の人気が爆発している。そうした情勢を反映してか、日本では、2017年の全国犬猫飼育実態調査(一般社団法人ペットフード協会)でついに猫の飼育数が犬のそれを上回ったことが報告され、話題になった(https://petfood.or.jp/topics/img/171225.pdf)。猫の飼育数が犬を上回ったのは、この調査が開始された1994年以降で初めてのことだという。猫が圧倒的な人気を得ている現在のような状況だからこそ、たとえ愛猫家たちから後ろ指を差されても、かつて猫のイメージが「悪用」された歴史を誰かが強調して、注意を促しておく必要があるだろう。
更新:11月22日 00:05