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『ボヘミアン・ラプソディ』の危険な魅力

2019年02月09日 公開
2019年02月20日 更新

伊藤弘了(映画研究者)

猫の可愛らしさに抗えない人類はヒトラーの出現を防げなかった

伊藤弘了『ボヘミアン・ラプソディ』全国公開中/配給:20世紀フォックス映画/© 2018 Twentieth Century Fox

伝説的ロックバンド「クイーン」のボーカリストであるフレディ・マーキュリーの一生を描いた映画『ボヘミアン・ラプソディ』。国内の興行収入は100億円を超え、勢いは止まらない。多くのファンや観客を熱狂させる一方、映画研究者の伊藤弘了氏はそこに潜む“危険な魅力”を指摘。本作とナチ・ドイツ期のプロパガンダ映画を比較しながら、3本の記事に分けて分析する。

※本稿は『Voice』3月号、伊藤弘了氏の「『ボヘミアン・ラプソディ』の危険な魅力」を一部抜粋、加筆・編集したものです。

 

「ヒトラーの神格化」に成功した虚構の映画

猫に愛情を感じない人間は芸術家としての情操に欠くるところありと断言して憚らないネ(映画監督・伊丹万作)

アドルフ・ヒトラーは最初のロック・スターの一人だ(デヴィッド・ボウイ)

映画の歴史は猫とともにあった。

そういっても過言ではないだろう。実際、映画史最初期にトーマス・エジソンのスタジオで撮影された『ボクシングする猫』(1894年)以来、夥しい数の猫たちがスクリーンを彩ってきた。

例を挙げはじめれば切りがないので、興味のある向きは千葉豹一郎『スクリーンを横切った猫たち』(ワイズ出版、2002年)のような本に当たっていただきたい。

この本で紹介されているのも「猫映画」のごくごく一部でしかないが、それでも、文中で触れられている映画の数は500本以上にのぼる。

あるいは、猫の習性を参照しながら映画分析の方法を説明していく宮尾大輔『映画はネコである――はじめてのシネマ・スタディーズ』(平凡社新書、2011年)のようなユニークな試みも存在する。こちらは良心的な映画分析の入門書としてもおすすめの一冊である。

そんな無数の猫映画のなかから、今回の論考では2本に絞って取り上げることにする。

1本目は、ナチ・ドイツの呪われた芸術家レニ・リーフェンシュタールが監督したことで知られる史上最悪のプロパガンダ映画『意志の勝利』(1935年)である。翻る鉤十字(ハーケンクロイツ)の旗の下、窓辺に佇む猫の視線の先にいるのはアドルフ・ヒトラーその人にほかならない。

『意志の勝利』は、1934年にニュルンベルクで行われたナチ党の第6回党大会を記録したドキュメンタリー映画である。これが一般的な理解だろう。

だが、この作品を指して「ドキュメンタリー」と言い切ってしまうのは早計だ。なぜなら、この映画には過剰なまでの演出や脚色が施されているからである。

もちろん、現実をカメラで切り取り、それを編集で再構築している以上、ドキュメンタリー映画といえどもある程度の演出や脚色は含まれるものだし、カメラを前にした人間は少なからず演技をしてしまうものである。

しかしながら、こうした良識的な考え方に照らしても、リーフェンシュタールが『意志の勝利』で行ったことは度を超えている。

彼女は7日間の出来事を5日間に圧縮し、党大会で行われた各種催しの時系列を映画のなかで入れ替えているばかりか、党大会以外の機会に撮影した映像を随所に挟み込んでいる。

さらには、ヒトラーユーゲントに演出指導を施し、党大会が終わったあとにスタジオで追加の撮影まで行っている。スタジオで別撮りされた演説シーンを、あたかも党大会で実際に行われたものであるかのようにして本編に挿入しているのだ。これはもうほとんど劇映画の作り方である。

批評家のスーザン・ソンタグは「『意志の勝利』はすでに根底から作りかえられた現実を、劇化した歴史を写しているだけ」だとして、厳しく指弾した(『土星の徴しの下に』、富山太佳夫訳、みすず書房、2007年、90頁)。

表向きは記録映画の顔をしながら、裏で大幅に加工することを我々は一般に「ヤラセ」と呼ぶ。

しかし、リーフェンシュタールにとってそんなことは問題ではなかった。彼女が作ろうとしたのはありきたりの「ニュース映画」などではなく、それを見た誰もが驚き感動するような「芸術映画」なのだから。

それでは、現実を歪曲した「芸術映画」によって、リーフェンシュタールが目指していたものは何だったのか。それは「総統と大衆の絆」を見せつけ、「ヒトラーの神格化」を強力に推し進めることである。

結果から言えば、リーフェンシュタールの目論見は大成功を収めた。彼女が作り上げた虚構の映画は、現実をはるかに凌駕する力を持ったのだ。

「総統=ヒトラー」を「クイーン」あるいは「フレディ・マーキュリー」に、「大衆」を「ファン」に置き換えると、2018年に公開されたある映画のテーマとほとんど一致する。いうまでもなく『ボヘミアン・ラプソディ』のことである。

現在までの国内の興行収入はすでに100億円を超えており、2018年に公開された全映画中トップの興行成績を叩き出している。大ヒットした本作の物語は、「クイーンとファンの絆」を強調し、「フレディの神話化」に大きく貢献するものである。

ほぼ同様のテーマを効果的に描き出すために『ボヘミアン・ラプソディ』が採用している映像戦略は、密かに『意志の勝利』のそれと通じ合っている。

次の記事に続く>

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