2019年02月20日 公開
レニ・リーフェンシュタールの『意志の勝利』(1935年)で描き出されたのが「ヒトラーと大衆の絆」であり、それによって「ヒトラーの神格化」が促されたのだとすれば、同様に『ボヘミアン・ラプソディ』は「フレディとファンの絆」を強調し、「フレディの伝説化」を強力に推し進めた。
しかし、二つの映画にはあまりにも大きな違いがある。『意志の勝利』の中心にいたスターが史上最悪の独裁者であったのに対し、『ボヘミアン・ラプソディ』の中心にいるのは愛すべきロックスターである。しかも、そのロックスターはすでに鬼籍に入っており、世界大戦を引き起こす恐れもなさそうだ(劇中のフレディの描かれ方をめぐる論争を呼ぶことはあるかもしれないが)。
破滅的な世界大戦を引き起こしたナチスの協力者として、戦後、リーフェンシュタールが激しい非難に晒されたのはやむをえないことだろう。しかし、『ボヘミアン・ラプソディ』のようなフィクション映画が作中人物をいくら魅力的に描き出しても、特に責められるいわれはないではないか。
そうであるとすれば、リーフェンシュタールの過ちは、ドキュメンタリー映画という枠組みのなかで、よりにもよってヒトラーを魅力的に描いてしまったこと尽きるのだろうか。
結果としてナチスのプロパガンダに加担してしまった点は擁護しようがないが、よくも悪くも彼女の作品が力を持っていたことを否定する人間はほとんどいない。リーフェンシュタールについては「政治的なセンスが欠けていたために困難な人生を歩むことになってしまった悲劇の芸術家」という受け止め方も根強く存在しており、「美の殉教者」と呼ばれることもある。
ヒトラーやナチズムの思想に共鳴していたわけではなく、美しい映像を追い求めることに夢中になりすぎたあまり、そこに潜んでいた政治的危うさに気づくことができなかったという「無垢な芸術家」のイメージは、後年のリーフェンシュタール自身も積極的にアピールしようとした節がある(実際には、彼女がヒトラーやナチズムに少なからぬ共感を抱いていたであろうことを完全に否定するのは困難だが)。
ドイツ文学・文化史研究者の瀬川裕司は、リーフェンシュタールのそのような自己演出を相対化しつつも、彼女に対する同情を禁じえないようで、次のような論法で擁護を試みている。
すなわち、ドイツ生まれのリーフェンシュタールの活動期にたまたま政権の座に就いたのがナチ党であり、たまたま撮影したのがヒトラーやベルリン・オリンピックだったのが問題視されただけで、もし彼女がアメリカに生まれて、合衆国大統領やロス五輪の記録映画を撮っていたとすれば、「ファシスト美学」の体現者などと呼ばれることはなく、彼女の映画は見事な「芸術作品」として世界的な評価を受けただろうと(『美の魔力――レニ・リーフェンシュタールの真実』、パンドラ、2001年、312頁)。
おそらくその通りである。実際、先の大戦中に合衆国軍部からの要請に基づいて芸術的なプロパガンダ映画「我々はなぜ戦うのか」シリーズを製作したフランク・キャプラにそのような非難が向けられることはほとんどない。
被写体が悪玉だったために責められ、これが善玉だったら賞賛されるのだとすれば、むしろ警戒しなければならないのは、それを可能にするような映像的な修辞法ではないだろうか。
筆者にとって、リーフェンシュタールの責任問題はさしあたりどうでもよいことである。ここで注目すべきは、リーフェンシュタールが活用した各種映画技法が、どうやら撮影対象の如何を問わず広範な応用が効く代物であるという点である。
相手がヒトラーであれ、ルーズベルトであれ、チャーチルであれ、スターリンであれ、あるいはアフリカのヌバ族であれ、美しい珊瑚礁に住まう水生生物たちであれ、リーフェンシュタールがそれらの対象を過度に美化して描き出すことができるというのであれば、それを「ファシスト美学」と呼ぶかどうかはもはや問題ではなくなるだろう。
もしもリーフェンシュタールが現代に生きていたら、『ボヘミアン・ラプソディ』を撮っていたのは彼女だったかもしれない。
更新:11月22日 00:05