2019年02月20日 公開
筆者は以前、別の機会にこれと同様の懸念を表明したことがある。「國民的アイドルの創生――AKB48にみるファシスト美学の今日的あらわれ」(『neoneo』6号、2015年)という論考で批判の矛先を向けたのは、AKB48の「恋するフォーチュンクッキー」のミュージック・ヴィデオだった。(註1)
AKB48の派生グループの一つである欅坂46のハロウィン衣装がナチの軍服を連想させるとして炎上したのはこの論考を発表したあとのことだった(同様の事例は韓国のアイドル・グループにも見られる)。また、中国ではAKBグループから独立した上海のSNH48が愛国アイドル路線をひた走っているとも聞く。
近現代史研究者の辻田真佐憲は「「楽しいプロパガンダ」こそもっとも効果的なプロパガンダ手法のひとつ」(『たのしいプロパガンダ』、イースト新書Q、2015年、4頁)であるとして、「日本が今戦争に突入すれば、アイドルが軍歌を歌うだろう」(『日本の軍歌――国民的音楽の歴史』、幻冬社新書、2014年、247頁)と述べている。
そもそも、「宣伝は娯楽を通じて巧妙に働きかけるべき」というのはナチの宣伝相ヨーゼフ・ゲッベルスの考え方そのものであり、ナチズム研究の業績で知られる田野大輔は、『意志の勝利』に登場する人々が「独裁者に忠誠を誓う従者というよりはむしろ、アイドルに声援を送るファンの姿に近い」ことを見て取っている(『魅惑する帝国――政治の美学化とナチズム』、名古屋大学出版会、2007年。引用はそれぞれ14、221頁)。
猫やアイドル、あるいはロックスターに対して懐疑の目を向けることはもとより筆者の本意ではない。だが、その可憐さやカリスマ性は、それを悪用しようとする者の目にあまりにも魅力的に映ってしまうだろう。
近隣諸国との関係が緊張感を増すなか、国内では少数派に対するヘイトが横行しているこの国では、現在、憲法改正をめぐる議論が進んでいる。このようなコンテクストにおいて、2020東京オリンピック、2025大阪万博のような国家的行事を控えたわたしたちには、もはや安穏と娯楽を消費する余裕はそれほど残されていないのかもしれない。
更新:11月05日 00:05