2019年02月20日 公開
もう一度念を押しておくが、筆者は『ボヘミアン・ラプソディ』を批判したいわけではない。『意志の勝利』との共通点として挙げた『ボヘミアン・ラプソディ』の要素は、実はそのままこの映画の美点となりうる。しかも、この映画が美化を試みたのは、邪悪な独裁者ではなく、あくまで愛すべき猫好きのロックスターなのである。
では、何が問題だったのか?
どのような対象でも美化しうる映画的修辞の存在と、それが娯楽映画に使われて大成功を収めたという事実である。美化の対象が善良な人物であればさしあたり現実的な危険はないだろうが、もしもその力が邪悪な野望を抱えた人物に振り向けられたとしたら。しかも、その時点ではその人物が善玉か悪玉かは決められないような場合はどうだろうか。
そして、現実には明確に判断を下せないケースの方が多いだろう(あからさまに悪いことをしようとして悪者ぶるような人物であれば恐れるに値しない)。『意志の勝利』が公開された1935年当時のヒトラーがまさにそうだった。この時点では、彼が善玉なのか悪玉なのか、多くの人が判断を保留している状態だったのである。
猫の可愛らしさに容易く籠絡されてしまう人類に、将来にわたって適切な判断を下しつづける能力があると信じられるほどには、筆者は楽天家ではない。
更新:11月22日 00:05