2018年10月22日 公開
2022年12月15日 更新
さて、西欧国際秩序が世界にじわじわと広がってきたのが「長い19世紀」です。
明治天皇が生まれる前、1851年(嘉永4年)までの世界の状況を概観しておきましょう。このころの「世界」とはヨーロッパのことです。ヨーロッパの大国が即、世界の大国だからです。
大国とは「その国の意見を聞かねば話がまとまらない国」のこと、すなわち「発言力のある国」と定義します。アメリカも日本もまだまだ大国ではありません。
世界の大国はイギリス、ロシア、フランス、オーストリア、プロイセンの5カ国です。
1815年から1864年ぐらいまでの5大国の国力比を数値化してみます。あくまで著者倉山個人の体感としてざっと目安をつけると、英=7、露=4、仏=3、墺=2、普=1、という感じです。
イギリスが断トツで1位。圧倒的な強さです。その強さはロシア、オーストリア、プロイセンが束になってかかってやっとイギリスに物申せるぐらいの強さです。
ロシアがかなり離された2位で、フランスは3位とはいえ超大国とはいえない地位です。
大国最下位のプロイセンに対してオーストリアは2倍、フランスは3倍、ロシアは4倍ぐらいそれぞれに強いのです。少し先取りすると、プロイセンはビスマルクという宰相が出てくる1862年ぐらいまではぶっちぎりの大国最下位に甘んじています。
そうした時代にフランスのタレイランという外交に卓越した手腕を持つ人が、しきりにイギリスに同盟を持ちかけました。
ところが、イギリスの外務大臣デビューしたての若きパーマストンが「我が国に同盟など煩わしいものは要らない」と蹴飛ばす次第です。イギリスがどれだけ強かったかがわかるひとことです。
更新:11月22日 00:05