2018年10月22日 公開
2022年12月15日 更新
「なぜいま、天皇だけが『エンペラー』なのか(倉山満)」によると、日本とイギリスが君主国として生き残った鍵は立憲君主制だったという。では、日英において君主と臣下はいかなる関係にあったのか。ヴィクトリア女王の果たした役割とは?(『明治天皇の世界史 六人の皇帝たちの十九世紀』(PHP新書)より)
イギリスのウォルター・バジョット(彼もまた「長い19世紀」の同時代人。政治学者。経済学者)は君主には「警告、激励、被諮問」の3つの権利があるとしました。
立憲君主とは君主が自ら権限を放棄して臣下に責任をとらせることですから、司法権は裁判所が、立法権は国会――イギリスの場合は貴族院・衆議院の両院――が、行政権は内閣がそれぞれに責任を取ります。
しかし、立憲君主の君主は傀儡ではないので、君主に言論の自由はあると考えたことによります。
さて、君主に言論の自由というものが残されているということで、君主と臣下が互いに賢明なのか愚かなのかの組み合わせで立憲君主の成否が決まるわけです。以下の4とおりの組み合わせが考えられます。
1、君主と臣下が両方愚かな場合
ヴィルヘルム2世が皇帝のときのドイツ帝国です。君主も愚かなら臣下も愚か。こういう場合、立憲君主が成り立つどころか、国が滅びるのは必至です。でも、両方愚かなのだからしょうがないといっそ諦めもつくというものです。
2、君主も臣下も賢明な場合。
何も問題がなく、立憲君主の組み合わせとして理想的です。明治天皇の明治時代がまさにこの組み合わせでした。
3、君主は賢明なのに臣下が愚かな場合。
立憲君主においては最悪です。そんな最悪の状態も日本は経験しました。昭和天皇の昭和時代です。
4、君主が愚かでも臣下が賢明な場合。
君主のいったことは臣下に採用されないので、これはこれでいいのです。日本では大正天皇のときがこうしたイメージで語られることが多く見受けられます。
ただし、その実像については川瀬弘至氏の著作『孤高の国母 貞明皇后 知られざる「昭和天皇の母」』(産経新聞出版、2018年)をお読みください。むしろ、イギリスの歴代君主と内閣の関係で説明されるのが常です。
以上、立憲君主制は臣下が愚かだった場合は仕方がないけれども、君主に責任を及ぼさない知恵なのです。そして君主も臣下も賢明ならば、国が栄える優れた制度なのです。
更新:11月22日 00:05