2018年10月22日 公開
2022年12月15日 更新
世界中の大国が親戚だというのも「長い19世紀」の時代背景として見逃せません。それもかなり濃い親戚関係です。
プロイセンのヴィルヘルム2世はヴィクトリア女王の初孫です。そして、そのヴィルヘルム2世はロシアのニコライ2世や、のちの英国王ジョージ5世(ジョージ6世の父)らと従兄弟(いとこ)同士という関係です。ニコライ2世とジョージ5世が並んで撮った写真を見ると、2人は瓜二つです。
ニコライ2世(左)とジョージ5世(右)
さらにニコライ2世の妃はヴィクトリア女王の孫娘です。ここで挙げただけでもヴィクトリア女王が「ヨーロッパの祖母」と呼ばれることに合点がいきます。
ヨーロッパ中の王様と親戚だといってもいいすぎではありません。ちなみに、フランスも貴族社会なので親戚だらけです、共和国なのに。
かくして、ヨーロッパの祖母ヴィクトリア女王がいったことには重みがあるというようになっていきます。
たとえ、それぞれの国の政府どうしが表面では対立していたとしても、裏ではこのように王室どうしがつながり、決定的な対立をさせないというメカニズムがヨーロッパ全体にはあったのです。
英国の国王(女王)が最後まで外交権を離さなかった理由がわかるでしょうか。これだけの人脈を持つ女王の言葉は重く、大臣も無視しがたかったのです。
歴史に「もし」はないといわれます。しかし、そこをあえて「もし」といいたくなるときがあります。
「長い19世紀」が終わり、1914年、第一次世界大戦が始まったとき、ヴィクトリア女王はとうにこの世にはいませんでした。
そのとき、もしヴィクトリア女王が健在だったならば「あなたたち、おやめなさい」のひとことで、「いとこたちの戦争」ともいわれる第1次世界大戦は起こらなかったかもしれないとつい思ってしまいます。
更新:11月22日 00:05