2018年06月15日 公開
2018年06月15日 更新
牟田 最後に、今後の経営ビジョンについてお考えを聞かせてください。
矢島 私には、豊かな自然に囲まれたこの地に、東アジアで1番の高原リゾート地をつくるという夢があります。具体的には、白樺湖を中心とした大きな「村」をつくりたい。
戦後、長野県から高原野菜の試作地としてこの地の開拓を任された祖父は、何もない原野で、農業や牧畜をしながら日々、耐え忍ぶ暮らしをしていました。
ある日、仲間の子供が病気を患っていたところに、たまたま訪れた登山者が牧舎に泊まり、そのときのお駄賃で薬を購入することができた。「お客さまは命の恩人である」という思いを得て、そこから私どもの宿泊業の歴史が始まったのです。
祖父のフロンティア精神を引き継ぐ意味でも、何度も足を運んでもらえるホテルを育てると同時に、白樺で暮らす人の数も増やしていきたいと思います。
牟田 いいエピソードですね。理想とする村のイメージはありますか?
矢島 将来的には、スイスのツェルマットのような観光自治地区をめざしたい。ツェルマットは人口約6000人の小さな町ですが、何百年単位での将来のビジョンや価値観を住民が共有しており、その価値観に共鳴された方が何度も訪れる町です。
具体的には、合計6000床のホテル群と、同じく6000床の長期滞在者向けのコンドミニアムがあるのですが、つまり、観光客と長期滞在者と住民が一つの村に混在し、価値を共有し合っています。
お客さまがファンになり、それが高じて住民として、実際にホテルやレストランなどの産業を営んでいる方もいる。文化というより、文明を創り出す活動をしていると感じるほどです。
私どもが置かれている環境も同じで、弊社の事業はまさに土地に根差している。所有と運営をあえて分けない、最近は非効率ともいわれる経営形態にあえてこだわり、長期的な事業継承のなかで取り組まなくてはいけないのが、村づくりというビジョンの実現なんです。
牟田 ツェルマットのような観光地区が、白樺の地で誕生すれば、日本にとっても画期的なことです。一昨年亡くなられた三人会長が聞いたら、泣いて喜んだことでしょう。会長とは生前、どういったことを話されましたか。
矢島 祖父が息を引き取った当日、私に「おぉ、最期か?」とはっきりと尋ねました。そのときの祖父の目は、「ウソの報告は許さん」という経営者の目そのものでした。「そうかもしれん」と返すことしかできないでいると、祖父が一言、「俺は基礎をつくったでな」と口にしたのです。
まだ基礎だという前提で、基礎の上に描く将来を最後の最後に投げられたわけです。この野郎と思いましたが(笑)、今後への強烈な宿題を残して逝かれましたね。
この白樺の地に、観光業を根付かせてくれた祖父の思いを胸に、「訪れて良し、住んで良し」の地域を何としてでも築き上げたい。これからも従業員一同、汗を流してまいります。
牟田 私も同じ後継社長として、矢島社長の取り組みを心から応援しています。
(本記事は『Voice』2017年2月号、牟田太陽氏&矢島義拡氏の「『訪れて良し、住んで良し』の観光地域づくり」を抜粋、編集したものです)
更新:11月22日 00:05