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防衛を忘れた空港―有事に対応できるのか?

2015年04月20日 公開
2022年07月08日 更新

樋口恒晴(常磐大学教授)

 

外国の軍事視察団の常駐を認めるに等しい

 ただですら危険な軍民共用飛行場だが、国際空港化によって問題は増大する。

 これは不法入国者・密輸対策等の入国管理や治安の問題に留まらない。多くの国では航空会社に退役軍人多数が再就職している。そのなかには、表向き退役したあとも情報活動に従事している者もいる。国際空港化は、外国の軍事視察団の常駐を認めるに等しい。西原正(平和・安全保障研究所理事長)は「中国の民間機が那覇空港に入るようになれば、那覇空港を共用する航空自衛隊などの活動は、中国政府に筒抜けとなる」(『産経新聞』2011年6月30日付)といっているが、他の共用空港も同じだ。

 さらに緊張状態になれば、軍用機の運用や警備に関する諸情報が、この事実上の軍事視察団の監視下に置かれてしまう。その他、前述した共用化で生じる諸問題が、より大きなかたちで露呈してしまう。

 なお、海外にも軍民共用飛行場はある。だが多くの場合は作戦想定地から隔絶した訓練基地または兵站基地だし、その場合でも軍の命令権や優先権があることはいうまでもない。

 附言すれば、横田基地など在日米軍基地へ民航チャーター機多数が飛来しているが、これらは、軍指定の安全条項や秘密保全の遵守を義務付けられている。しかも民間予備航空隊(CRAF)に登録して有事動員対象になっている。

 

国土交通省の態度

 1960年代半ば、まだ民間航空が小規模だったころ、すでに防衛庁は運輸省に共用飛行場の有事対応について協議を提起している。しかし運輸省は協議を門前払いしたという。それから今日に至るまで防衛省と国土交通省のあいだに、有事対処要領やそれに基づく実施計画が作成される目処はない。

 その一方で、飛行場の共用化はなし崩しに進められていった。また民間航空の飛躍的な発展とともに共用飛行場に乗り入れる民間機の機数や乗客数は増えていった。

 小松基地の日本の航空会社による国際線開設は73年11月で、雫石事件(71年7月30日)等により航空自衛隊が発言力をなくしていた時期であった。

 極東ソ連軍に日本列島主要四島を行動半径に収めるミグ23戦闘機などが配備され、また北方領土に陸軍部隊が再配置された時期でも、運輸省や民間航空会社は防衛を度外視した政策を進めた。78年11月5日、運輸省は、長崎・熊本・千歳の国際線用整備を決定した。すると早くも22日、日本航空は運輸省航空局に、長崎・熊本・小松・千歳の国際線七路線開設の要望書を提出している。

 米CRAF登録以外の外国航空会社の共用飛行場乗り入れは、那覇の場合は沖縄返還前の68年12月だった。中国に行動半径の大きな戦闘機が皆無だった時代だ。他の共用飛行場の国際化は冷戦崩壊時の「もはや脅威はない」と喧伝された時代である。新千歳が89年6月、小松が91年4月だ。

 千歳基地と一体の新千歳空港の完全国際化を推進したのは、横路孝弘知事、阿部文男(前北海道開発庁長官兼沖縄開発庁長官)、佐藤静雄の両議員などである(『毎日新聞』1991年3月13日付)。91年2月、運輸省はアエロフロートの新千歳~モスクワ便を認可した。

 このアエロフロート・ソ連航空というのは、そもそも軍の外郭組織で、社長は現役の将官だった。そして68年のチェコ動乱で軍事輸送に活躍したほか、79年のアフガニスタン侵攻では強襲作戦の第一派にすら参加し、また2万数千人の兵員を空輸している。また、81年11月6日には同社機が米ニューヨーク近郊で航路を外れ、戦略核施設上空を飛行して問題化した事件があった。そのほか、82年2月15日にはスパイ行為を理由にインドネシアへの乗り入れが禁止され、また86年2月5日にはイタリアで社員がスパイ行為を理由に国外退去処分を受けている。

 小松の場合、91年3月に防衛庁がシンガポール航空チャーター便の小松乗り入れを了解した。外国航空会社の共用飛行場乗り入れ初ケースであった。これが既成事実となって以後、この流れに抗することは困難になった。

 さらに95年、石川県議の連盟が小松への「共産圏を含めた外国の旅客定期便」乗り入れを推進したのだが、顧問になった国会議員には、奥田敬和(元国家公安委員長)、森喜朗(のちの首相)、坂本三十次(元官房長官)、瓦力(元防衛庁長官)、沓掛哲男(のちの国家公安委員長)、嶋崎譲、粟森喬などがいた(『北國新聞』1995年5月18日付)。

 そして百里基地内の茨城空港建設を主導したのは額賀福志郎(元防衛庁長官)だ(『日刊ゲンダイ』2008年5月28日付)。99年8月の運輸省と防衛庁の合意では外国エアラインを入れないはずで、08年11月まではこの合意が生きていた(『日本経済新聞』2008年11月20日付)。しかし橋本昌知事が外国にセールス活動をした挙げ句に結果を自衛隊にごり押しした結果、09年2月、翌年3月の開港時から韓国アシアナ航空を入れることが決まってしまった。さらに10年5月の温家宝・中国国務院総理来日直前に突如、民主党政権による政治主導で中国春秋航空を入れるようにしてしまった(『日本経済新聞』2010年5月14日付、『常陽新聞』2010年5月15日付、『日本経済新聞』2010年5月18日付、『茨城新聞』2010年6月8日付)。

 付言すれば、本年5月に圏央道(国道468号)が延伸し、茨城県内から成田空港への高速道路アクセスが完成する。スカイマーク破綻と併せ、茨城空港廃止のよい機会だ。

 

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