以上、現体制では、民間と共用ではない基地ですら、基地の外側での諸施策は実施困難だ。そしてさらに厄介なのが、自衛隊と民間が共用している飛行場・空港の場合である。
いま、自衛隊や米軍と民間航空が同居している空港(飛行場)は少なくない。そのうち戦闘機部隊に限っても、北から、三沢(青森県)、小松(石川県)、百里(茨城県)、岩国(山口県)、那覇(沖縄県)であり、また千歳空港(基地)と新千歳空港は誘導路で繋がっている。結局、自衛隊専用なのは松島(宮城県)そして九州の築城(福岡県)と新田原(宮崎県)だけだ。近傍に仙台・北九州・宮崎とそれぞれ民間空港があるので、共用化の対象にならずに済んでいる。
平素から施設内に民間人が常駐していれば、警備・防備の手の内を晒してしまう危険も大きい。そもそも民間人に安全保障上の情報管理意識はない。空港や航空会社の職員、売店等の従業員として外国諜報員やその日本人協力者が紛れ込んでいる可能性も大きい。ともあれ平時には問題は顕在化しない。
しかし、危機が切迫した際の問題は深刻だ。先述したように、戦闘機所在の空港(飛行場)は、敵の最優先攻撃目標だ。当然、民間人が居合わせれば、巻き添えで犠牲になる。その犠牲の責任は、軍事施設から民間人を隔離しなくてはならないという「文民保護」義務を怠って「民間人を『人間の盾』にした」日本国にある。攻撃した国の責任ではない。
それでは攻撃を受ける前に民間人を退避させればよい、という話になるだろうが、それがじつは難しい。そもそも、有事は奇襲で始まる場合が多い。時宜に適った情報収集と判断は簡単な話ではない。開戦を確言できるのは、敵の飛行機や弾道ミサイルがレーダーに捕捉されてからだろう。民間人退避にはあまりにも時間が足りない。第二に、攻撃が行なわれなかったのに民間人を退去させてしまった場合の政治的コストは甚大だろう。第三に、もしも実際の攻撃が始まる前に民間人退避に踏み切った場合、相手側からは、「日本こそが開戦の意思を固めた」として、日本を悪者扱いして開戦を正当化する宣伝をする根拠になる。また、実際に開戦への敷居を低めてしまう。
また、施設従業員や乗客などに扮した外国の間諜・工作員が、特殊部隊等による浸透攻撃を手引きする場合もあろう。
だが国土交通省は、空港の制限区画(無許可では立ち入れない区域)に立ち入れる民間人の身元や犯歴に関する雇用主の調査・報告を、ICAO(国際民間航空機関)の義務化要請に反し、事業者の任意に委ね、プライヴァシー侵害を避けるためとして、法改正も見送っている。ちなみに原子力発電所の作業員についても、主要国のなかで同様に日本だけが身元調査を電力業者の自己申告に委ねている。防衛出動事態への対応どころか、テロ対策すら国際標準に追い付く気もないのだ。日本国憲法の人権規定のどこが他の諸国と著しく異なっているというのだろうか。
そのため共用飛行場では、危機が高まれば、自衛隊専用の飛行場での諸施策に加えて、以下の諸策を防衛準備態勢(デフコン)に応じて実施していくことも必要となる。
民間人の見学の中止、土産店やレストラン等の閉鎖と従業員の退去、航空会社へ民間機運航の自粛要請あるいは禁止命令、旅客の退去命令、駐機中の民間機の撤去命令、警備・防備に任ずる自衛官の民間区画への配備、命令に従わない民間人の拘束、等々。
さらに、対空火器の展開や陸上自衛隊部隊の導入など自衛隊だけの基地なら容易に訓練名目でできることも、共用飛行場の場合は民間人の目に曝されるため判断が難しいだろう。
現実にありそうなことは、決断を躊躇い、無為無策を決め込むことだ。民間人には空襲が始まるまで警告せず、敵の第一撃の巻き添えにすることになる。もちろん自衛隊の戦闘機も同時に大損害を被る。
以上の理由で、作戦用航空機とくに戦闘機の基地を共用化すれば、防衛は空洞化するのだ。また、日本が戦闘機部隊の所在する基地を減らすこともできない。ただでさえ非常時の代替滑走路が足りず抗堪性が不足している。いまより戦闘機部隊の所在する基地を減らせば、有事対応どころか、平時の領侵対処すら満足には行なえなくなってしまうだろう。
自衛隊基地の民航受け入れ開始は、まだソ連の戦闘機・戦闘爆撃機の行動半径が短く、北海道・東北・北陸以外は脅かすことができなかった時代のことであった。しかも民間航空の規模は僅少であった。
更新:11月22日 00:05