2026年10月21日 公開

介護現場に「生産性」という言葉を持ち込むことは正しいのか。「介護民俗学」を提唱する著者が、認知症の施設利用者との「聞き書き」を通して、「介護の在り方」を問い直す。
※本稿は、『Voice』2026年7月号より抜粋・編集した内容をお届けします。
※この記事を題材にした読書会を開催しました。
民俗学の研究者であった私が大学を辞め、介護の仕事をし始めたのは17年前のこと。慣れない仕事のなかで、心の支えになったのは、高齢の利用者さんが語ってくれる思い出話だった。
利用者さんたちの昔の生活や地域の出来事の話に惹きつけられ、仕事の合間に聞き書きを始めた。すると、利用者さんも、いきいきと目を輝かせて語ってくれるようになったのである。
そして聞き書きを進めていくと、利用者さんとの関係に興味深い変化が表れていった。介護の目的である支援から、あえていったん離れて民俗学的好奇心のもとに聞き書きを行なっていくと、聞き手である介護職員と語り手である利用者との関係性が逆転したのである。利用者は、日常的な介護の場面ではつねに介護される側という受動的な立場に置かれている。
だが、支援を目的とせずに、利用者の経験を「教えてもらう」という立場で聞き書きをすると、「介護される側」である利用者と「介護する側」である介護職員との関係は、「教える側」と「教えられる側」とに逆転していく。
つねに受動的な「される側」にあった利用者は、一時的ではあれ、聞き書きによって「教える」という能動的な立場に立つことができ、これからを生きていくための意欲を取り戻していくのだ(詳細は、拙著『驚きの介護民俗学』等を参考に)。
以来、私はその活動を「介護民俗学」と名付けて、民俗研究者が介護の現場に身を置いたときに見えてくるものとは何かを、聞き書きの実践を通して考え続けている。
本稿では、「介護の苦しみ」について、民俗学の手法である聞き書きによって何ができるのかを、私が勤めるデイサービスすまいるほーむでの利用者や家族との具体的なかかわりから見ていきたいと思う。
要介護5の認定を受け、車椅子に座って過ごしている92歳の隆雄さん(仮名)が、すまいるほーむの利用を始めたのは4年前だった。その15年前から認知症の初期症状が出始め、徐々に日常生活に不自由さが生じてきて、アルツハイマー型認知症と診断されてから10年以上が経過していた。歩行は自立し要介護1の認定を受けていたが、昼夜を問わず不安による混乱が激しく、外出は困難で、家族がつきっきりで介護を続けてきた。
主に介護を担っている妻・えみさん(仮名)を苦しめていたことの一つは、排泄の失敗だった。隆雄さんは、夜間に尿意があると起き上がり、一人でトイレへ歩いていくのだが、途中でズボンや下着を脱ぎ捨て、排泄をしながら歩いてしまうのだ。
そのためベッドの脇から廊下、トイレと尿で汚れてしまい、毎晩その後始末に追われることになる。いろいろ試してみたものの、すべて徒労に終わり、お互いのイライラが募るばかりだという。
また、隆雄さんがすぐに不安になるため、片時もそばを離れられないというのも、えみさんを追い詰めていた。えみさんが入浴をするたった20分のあいだでさえも、隆雄さんは待つことができない。5分も経たずに、「えみー、えみはどこだ」と大声を出して探し始め、廊下を行ったり来たりしたり、靴を履いて玄関を出ていこうとするのだという。
玄関の外には1階に降りるための急な階段があるため、混乱して自分を探し回って、階段を転げ落ちるのではないかと心配で、ゆっくりと風呂に入るのもままならないという。
2人は、長年、共に児童教育に携わってきて、周りからはおしどり夫婦と言われるほど、公私共に一緒に歩んできたという。しかし、夫は認知症になり、不安を募らせ、混乱して大声で叫びながら歩き回ったり、排泄の失敗をたびたび繰り返したりするようになり、片時も目を離せなくなった。
そうしたことの積み重ねで、戸惑い、苛立ち、自信も喪失。お互いの人生のすべてを否定されるような絶望感にもがくようにもなってしまった、とえみさんはご自身の胸の内を語ってくださったのだった。
そうして隆雄さんは、すまいるほーむに通うようになったのだが、妻と離れて過ごすことがほとんどなかった隆雄さんはすぐに不安になってしまう。「えみー!」と妻を探して立ち上がり、歩き始めることがたびたびだった。
だが、少ないスタッフで対応している小規模事業所のすまいるほーむでは、不安と焦燥感に駆られて歩き回る隆雄さんに、スタッフがつねについて回るのは難しい。そこで、私は、何とか隆雄さんの気持ちが落ち着き、歩き回らずにいられればと、筍が描かれた絵と色鉛筆をもっていき、色を塗ってみないかと促してみた。
隆雄さんは「絵は苦手だな」と躊躇しながらも、自分の席に座り、一生懸命に筍を塗り始めた。が、しばらくすると、「う~ん、難しい」と言って頭を抱えてしまった。私は申し訳なく思い、隆雄さんを励まそうと、ほかの利用者さんの様子を見守りながら彼の横に座って、「隆雄さんは筍好きですか?」と話しかけてみた。すると、隆雄さんはうなだれていた顔を上げ、筍の絵を見ながら語り始めたのである。
「筍? 好きだよ。うちの裏山が竹林だったから、よく食べたよ。竹林は広かったね。筍は2月くらいから出始める。それから1カ月くらい朝早くに筍を採りに行ったね。子供のころはおやじと、大人になってからは子供たちとも採りに行った」
妻と離れて過ごすことの不安に加え、塗り絵に苦戦して落ち込んでしまった隆雄さんが、筍採りの思い出を語り始めたことが嬉しくて、私は、隆雄さんの語った言葉をそのまま筍の絵の周りにメモ書きしていった。
「筍はトグワ(唐鍬)で掘った。筍掘りは難しくはないけど、力がいるんだよ。筍を切らないように、遠くからトグワを入れて掘っていく。結構技術がいる。でも筍掘りは楽しいよ。筍の時期は毎日採りに行ってたよ」
「採るタイミングは、土のなかから筍の頭がもち上がってきたときだね」
「採れた筍は米の研ぎ汁で茹でる。それだけでアクは取れるよ。それで、醤油、酢、砂糖、塩を入れて煮る。筍のアク抜きとか調理は私もやったよ。おふくろ、おやじ、おじいちゃん、おばあちゃん、みんなが教えてくれた」
気がつくと、隆雄さんの語りのメモ書きは、筍の絵の周りを埋め尽くしていた。時間にすれば15分足らずだったが、私は久々の聞き書きに気分が昂揚していた。
コロナ禍以降、感染対策で強いられる極度の緊張感と業務内容の急激な増加により、私は聞き書きがほとんどできなくなっていたのである。そんななかで偶然始まった隆雄さんへの聞き書き。
それまでは、妻を探して歩き回る隆雄さんの困惑をどのように受け止め、かかわればいいのかわからないでいたが、ほんのわずかでも隆雄さんの生きてきた人生の一端に触れられたことで、たしかな希望が見えたような気がした。
私のなかで、対応の難しい認知症の利用者さんでしかなかった隆雄さんが、長い人生を歩んできた1人の人間として立ち上がった瞬間だった。それは、しばらく遠のいていた聞き書きの醍醐味であり、喜びでもあった。
筍をめぐる聞き書きは、えみさんにも少なからず影響をもたらした。家でも混乱の激しい隆雄さんがすまいるほーむでどう過ごしているのかを心配しているえみさんに、少しでも安心してもらいたいと思い、隆雄さんの語った言葉を書き留めたメモ書きをそのまま持ち帰ってもらったのだ。すると、次の利用日に、えみさんから思いがけず、お手紙をいただいた。
「隆雄の父親は彼が中学生のときに病院での療養生活のすえに亡くなっているので、父親の影は薄く感じてきたけれど、筍に父親を思い出したことは家族としてもありがたい」
さらに、筍の聞き書きによって、えみさん自身も嫁いだころの思い出を振り返る機会になったともあった。
大量に採ってきた筍を大鍋で煮込むことを、姑から教えられたこと。初めての経験でなかなか上手くいかず、悩まされ、春先になって家の裏の竹林に筍が顔を出すとじつはため息をついていたこと。そんな苦い思い出だけれど、聞き書きを読んで、今度春に筍を煮るときには、孫たちに大ばあちゃん(姑)の話をしてみようと思ったという。
筍をめぐる聞き書きは、隆雄さんにとっては子供のころの父親との数少ない楽しい思い出を想起するものだった一方で、えみさんにとっては、姑との関係や嫁としての辛さを思い出させるものになった。そのギャップを再認識しながらも、それでもえみさんが、家族が共に過ごしてきた時間をあたたかく振り返ってくださったことに、私は素直に感動したのだった。
その後も、絵を見たり、ときには、文学作品や詩、童謡、歌謡曲などの言葉を一緒に読んだりしながら、隆雄さんに想起される思い出を聞き書きし、その都度、語られる言葉を書き留めたメモ書きを持ち帰ってもらい、えみさんに読んでいただいた。
とくに印象深かったのは、「海」をめぐる思い出を語ってくれたときの隆雄さんの思いと、それを読んだえみさんの感想だ。
「かなしきときは貝殻鳴らそ」から始まる新美南吉の「貝殻」を読んだとき、自らの内にある「悲しみ」について、隆雄さんはこう語ってくれた。
「すごくいいね。全部いい。私も同じ気持ちだよ。私は悲しいとき、一人になって海に行くよ。それも夕方の暗くなりそうなとき」
「悲しいというより、寂しいだよ。何だかわからないけれど、寂しくなるときがあるんだよ。そういうとき、人前じゃ泣かなかったけれど、海に行って一人で泣いた。気持ちがよかった」
こうした隆雄さんの海についての聞き書きを読んで、えみさんは家族の歴史へと思いを及ばせていった。
「息子たちを海に連れて行ったこともなく、海水浴さえ一度も家族で行ったこともなく。それ程、隆雄にとって海は辛く、悲しく、大きな存在だったということなのでしょうか」
一度も家族を海に連れて行ったことがない父親。それは長いあいだ、家族にとっては理解できない隆雄さんの一面だったに違いない。「貝殻」という詩をきっかけにした聞き書きによって、えみさんは、不可解だった家族の思い出の背景に、隆雄さんが抱いていた海への悲しみを見てとろうとしているようだった。
海をめぐる聞き書きと家族の思い出が結びつくことで、えみさんは隆雄さんの思いに向き合うことができた。そして、長年のわだかまりが一つほどけていったのだった(隆雄さんへの聞き書きの詳細については、『それでも私は介護の仕事を続けていく』を参照)。
聞き書きによって、隆雄さんは心の安寧を得ることができたのだろうか。介護の苦しみとは、介護する側の苦しみであると同時に、介護される本人の苦しみも大きいと私は思う。
とくに認知症の場合、それまでできていたことができなくなっていくことで喪失感と焦燥感を強く感じ自信を失う人も多い。15年以上も前に認知症の症状が現れ始め、排泄の失敗も繰り返すようになっていた隆雄さんの心はどれだけ傷つき、苦しんできたことだろう。妻と離れることの極度の不安は、そうした彼の苦悩の表れだともいえる。
聞き書きが、隆雄さんの苦しみをどれだけ和らげたかはわからない。ただ、その表情はずいぶんと穏やかになったし、「私はここにいると安心する」「ここでみんなと過ごすと楽しい」という言葉も口にすることもある。きっと、聞き書きによって生まれたつながりが、隆雄さんの心の支えになって、ここで過ごすことの心地よさに結びついているのではないか。
聞き書きによって生まれたつながりとは、聞き書きをした私と隆雄さんとの信頼関係にとどまらず、場を共にするほかのスタッフや利用者さんたちとの関係の深まりをも意味する。じつは、聞き書きは閉ざされた空間で行なうのではなく、ほかのスタッフや利用者さんたちがいるデイルームで行なうため、みんな聞き書きを聞いているのだ。
そして、周りで頷いたり、時折、聞き書きに参加したりする。同じ空間と時間を共に過ごす仲間が、どんな人生をどんな思いで生きてきたのか、一端を知ることによって、互いを理解することにつながるし、それぞれの存在を尊重して共に生きていこうという意識が自然と醸成されてくるように思われる。聞き書きによってできたそうした場の雰囲気が、隆雄さんの心を支えるものになっているのではないだろうか。
では、介護に苦しんできたえみさんは救われたのか。残念ながら、すまいるほーむの利用や聞き書きをすることは、介護の大変さを必ずしも軽減しているとはいえない。とくに排泄については、車椅子生活になってからは、急に大量の軟便をおむつのなかに出してしまって、その処理に追われたりと、えみさんの排泄介助の負担はむしろ増している。
また、いまでも妻が少しでも見えないと隆雄さんはすぐに不安になって、「おーい、えみー!」と大声を上げ、妻を探しに車椅子から立ち上がろうとして、転倒することもある。
それでも、えみさんからはこんな言葉をいただいている。
「隆雄が本人らしく過ごせる『居場所』を得られたことは、いまの隆雄にとって幸せなことです」
隆雄さんが、聞き書きをきっかけに得ていったつながりのなかで、人として尊重され、安心して過ごしていることが、えみさんにとっても救いになっているようだ。
また、聞き書きについてこんな感想も寄せてくれている。
「こんな夫に何の偏見もなく正面から相対し、彼自身の振り返りを促し、聞きだしていただいたこと、それを文字化して伝えていただく『聞き書き』に、感謝のみです。夫婦の終活に向け、聞き書きが大きな契機となることを願っています」
本人の語りを書き留め、その都度、えみさんに提示する。えみさんは聞き書きを家族の歴史のなかに置き直し、本人の抱えてきた思いに触れていく。そして、それが夫婦にとっての家族の歴史の総括にもつながっていく。聞き書きが夫婦の「終活」の契機になる、とはおそらくそういうことなのだと思う。
介護の苦しみとは、目の前の大変さに追われ、苛立ったり、自信を喪失したりすることで、相手の存在もそして自分の存在をも肯定できなくなってしまうことが一番大きいのではないか。それが、えみさんが最初におっしゃっていた「お互いの人生のすべてを否定されるような絶望感にもがくようになった」ということなのではないかと思う。
だからこそ、私たちは、日々のケアを提供するとともに、本人と家族とが紡いできた家族の歴史のなかで、お互いの思いを受け止めあう時間ができていくことを願っているし、聞き書きによる対話を通して、私たちもそこに寄り添っていきたいと考えている。
だが、すまいるほーむでの聞き書きは、人手不足のために、コロナ禍が明けた現在も思うようにできない状況にある。深刻な人手不足は介護業界全体の問題であり、厚生労働省はその対策として、ICT化の導入や、ムダ、ムラの見直しによる日常業務の効率化による「生産性の向上」を促進することを強く求めている。
そして、「生産性の向上」により、その分利用者と向き合う時間を増やして、ケアの質を高めることができるとしている(厚生労働省『介護分野における生産性向上ポータルサイト』)。
たしかに、記録の作成や実績の入力、報告書の作成等の事務的な仕事がICT化によって効率化されれば、かなり業務負担は軽減するし、情報共有もしやすくなるだろう。
だが、そもそも介護現場に、「生産性」という言葉を持ち込むこと自体に私は強い違和感を覚える。「生産性」は、本来はモノづくりの業種において使われてきた言葉であり、人とかかわる介護の現場で使うことが相応しいとは思えない。
言葉は、人の価値観や行動に影響を与える。「生産性の向上」「効率化」が業務上の重大目標となり、介護職員がつねにそれを意識して勤務するようになることで、利用者とのかかわりのなかでも、無意識のうちに効率性が重要視され、生産性があるか、ないかの基準で業務が仕分けされることになりかねない。利用者と向き合う時間をもつ心のゆとりも喜びもなくなってしまうのではないか。
人と人とのかかわりのなかで営まれる介護という仕事は、非効率的でも、でこぼこがあってもいいのではないだろうか。
隆雄さんの聞き書きが偶然に始まったように、むしろ、意図的でも効率的でもないところから偶然生まれるかかわりにこそ、喜びやあたたかみがあり、利用者にも介護職員にも、そして家族にも希望が生まれていく。そうした偶然性を大事にできる「あそび」のある現場をつくっていくことが、豊かな介護を育むために必要なのではないか。
私はこれからも少しずつでも聞き書きをしていきたいし、スタッフたちにも効率性や生産性に縛られることなく、自由に利用者さんたちとかかわり、対話を繰り返していってほしいと願う。そうして、スタッフと利用者さんと共に心地よい居場所をつくっていく――すまいるほーむがそんな場であることで、介護とは何か、介護の苦しみに何ができるのかを問い続けていきたいと思う。
更新:10月21日 00:05