Voice » 社会・教育 » 介護と対話の関係性をどう考える? 10代・20代前半が読む「人は『効率化』できない対話に救われる」【読書会レポート】

介護と対話の関係性をどう考える? 10代・20代前半が読む「人は『効率化』できない対話に救われる」【読書会レポート】

2026年10月21日 公開

Voice編集部

読書会

10代・20代前半の参加者が集まり、『Voice』2026年7月号に掲載の六車由実氏による論考「人は『効率化』できない対話に救われる」を題材にした読書会を開催しました。
 

介護に「生産性の向上」を求めてよいか

読書会の様子

K:皆さん、本日はお集まりいただきありがとうございます。インターンのKと申します。現在、明治大学政治経済学部4年生です。今回は、『Voice』2026年7月号に掲載された六車由実氏(介護施設管理者/介護民俗学研究者)の論考「人は『効率化』できない対話に救われる」の内容をふまえ、意見交換していければと思います。

O:インターン生のOと申します。現在、東京大学文学部4年生です。本日は、同じくインターン生のKさんとともに、読書会の進行を担当します。よろしくお願いいたします。

S:お誘いいただき、参加しましたSです。今年3月に高校を卒業し、現在は秋からの海外大学(Asia Pacific University of Technology & Innovation)への入学に向けて準備をしています。本日はよろしくお願いします。

KL:同じく、お誘いいただき参加しました、明治大学情報コミュニケーション学部3年生のKLです。どうぞよろしくお願いいたします。

K:早速ですが、「人は『効率化』できない対話に救われる」の概要をご紹介します。本記事では、介護される側だけでなく、介護する家族の苦しみも描かれています。そのなかで筆者の六車氏は「介護民俗学」を提唱し、施設利用者の思い出や経験を記録する「聞き書き」を実践しています。

目的をもたない、一見すると「非効率」な対話を通じて、認知症の利用者は主体的な語り手として尊厳を取り戻し、介護される側だけでなく、その家族もまた救われていく。そのうえで筆者は、介護の世界に「生産性」という言葉を持ち込むこと自体に、強い違和感を示しています。

そこで、まず一つ目の論点として、介護において「生産性の向上」は必要なのか、という点について考えてみたいと思います。

KL:本記事では、「生産性」という言葉そのものを否定的に捉えています。ただ、聞き書きを通じて利用者との信頼関係を深めることも、ある意味では「効率的な方法」になり得るのではないでしょうか。というのも、よい結果につながった聞き書きの方法を、「効率がいい」「生産性が高い」と表現することもできてしまうと思うんです。

そう考えると、気をつけるべきなのは、むしろ聞き書きのやり方なのかもしれません。たとえば、スタッフの裁量がなくなり、聞き書きそのものがマニュアル化されてしまえば人間味のある対応が難しくなるでしょう。そうなると、介護をするうえで大切なものが失われてしまうのではないでしょうか。

S:「生産性」とは、もともとはビジネスの世界で使われてきた言葉ですよね。一方で、介護を事業として行なう以上、経営を成り立たせなければならないので、事業者側から「生産性」という言葉が出てくるのは、ある程度仕方がないことなのかもしれません。

ただ、実際に自分の祖父母が「生産性」だけを意識して介護されると考えると、やはり強い違和感を覚えます。だからこそ、「誰の視点から考えるのか」が大事なのではないでしょうか。介護される側としては、自分たちの気持ちを尊重してほしい。でも事業者側の事情もある。どちらが正しい、間違っていると簡単に言える問題ではないので、双方にとってよりよい環境をつくっていくことが重要なのでしょう。

O:厚生労働省の資料を見ると、日本社会で介護を必要とする人の数は増えています。そのなかで外国人労働者も人手不足を補っていますが、介護現場は全体として人手が足りていないという印象を受けました。

そうした現実を考えると、明らかに無駄な部分については効率化していくことは大切だと思います。ただ一方で、利用者にとって削ってはいけない、本質的な部分がどこにあるのかを見極める必要がある。しかも、それを利用者自身が明確に示すことが難しい場合もあるのではないでしょうか。

だからこそ、「聞き書き」という手法には意味があると思います。対話を重ねることで、その人にとって何が大切なのか、何を削られてしまうと困るのかを知ることができる。聞き書きは、そうした一人ひとりの価値観を知るためにも重要なのかもしれません。

K:皆さんのお話を聞いていると、介護については生産性を度外視しなければならない部分がある一方で、Oさんが指摘したように、介護現場が深刻な人手不足に直面しているという現実もある。そうした状況が簡単には解消されない以上、「介護に生産性の向上は必要か」と問われれば、私はやはり「必要である」と考えます。

ただし、何を効率化し、何を効率化してはいけないのか。その線引きを考えることが、とても大切なのだと思います。
 

介護サービスのなかで、対話の時間はどれほど必要か

O:では、次の論点に移りましょう。介護において、「対話」はどこまで重要なのでしょうか。食事や排泄の介助は絶対に欠かせないものですが、対話の時間もそれと同じくらい大切なのでしょうか。この記事で紹介されていた「聞き書き」のような対話も、介護サービスの一つとして保障されるべきなのか。皆さんはどう考えますか。

S:普段の人間関係を考えても、ビジネスライクな付き合いもあれば、雑談をしたり、一緒に楽しいことをしたりする関係もありますよね。ですから、「対話をしなくてはいけない」と考えるよりも、「相手のことを知りたい」という気持ちから、自然と対話が生まれてくるような関係が理想なのではないでしょうか。ただ、実際の介護現場に、そこまでの時間や心の余裕があるのかは分かりません。

O:そうした意味でも、「余裕」が大事なのかもしれませんね。

KL:記事を読んでいて思ったのは、介護される人だけではなく、その周りにいる家族との対話も大事なのではないか、ということです。記事で紹介されていた隆雄さんを支えてきた妻のえみさんは、介護の負担そのものは増えていく一方で、聞き書きをしてもらったことについて、「(夫の)隆雄が本人らしく過ごせる『居場所』を得られたことは、いまの隆雄にとって幸せなことです」と話しています。

隆雄さんが家族にすら語っていなかった思い出を、筆者の六車氏が聞き書きし、あとになってその内容をえみさんが知ることで、「そういうことがあったのか」と納得する場面はとても印象的でした。大切な人がどのような人生を送り、何を考えてきたのか。その人らしさを、対話を通じてあらためて知ることができたわけです。そう考えると、介護において対話は非常に大切なのかもしれません。

O:えみさんにとっては、実際の介護の負担は増えていたとしても、精神的な面ではプラスになったと言えるわけですね。

KL:ただ、実際にはあまり話したくない方もいると思います。そういう方であれば、「あまりたくさん話しかけないでおこう」という気遣いも必要ですよね。それなのに、対話そのものがマニュアル化されて、「一日にこれくらい話しかけましょう」と決められてしまったら、かえってよくないかもしれません。

K:私はアルバイトで接客をしていますが、マニュアルに「積極的にお客様に話しかけましょう」と書かれているんです。でも、それを喜ぶお客様もいれば、「そこまでのサービスはいらない」と感じるお客様もいます。しかも、初対面だと、その人がどちらなのか分からないことも多い。いまのお話を聞いていて、コミュニケーションそのものをマニュアル化することには、やはり無理があるのではないかと思いました。

それから、対話を通じて、介護する側が「聞く側」、つまり受け身の立場になれることにも意味があるのではないでしょうか。一見すると効率が悪いように見えても、介護する側の「心の健康」にとってプラスになる可能性があると思います。

介護現場の人手不足が指摘されていますが、介護の仕事が辛いことばかりではなく、そこに楽しさや喜びを感じられることも大切だと思うんです。利用者の話を聞き、その人自身を知っていくことが、介護する側にとっての仕事の楽しさにつながることもあるのではないでしょうか。

O:私は、対話による一番の「受益者」は誰なのだろう、と考えました。筆者は民俗学者ですから、その観点からすれば、高齢者から一人ひとりの体験を聞くこと自体に大きな意味があるのだと思います。

一方で、いまKさんが指摘したように、利用者の個人的な体験に耳を傾けることが、介護する側の精神的な安定や仕事の喜びにもつながるのであれば、それはとてもよいことですよね。また、コミュニケーションをマニュアル化しないことが大切だという点にも共感しました。そのためにも、一人ひとりに合わせた関わり方ができるだけの「余裕」を、介護の現場に確保する必要があるのだと思います。
 

対話より、効率的な介護を望む場合もある?

K:では、次の論点に進みます。将来、自分の家族に介護が必要になったとしたら、「効率」を重視する介護と、「対話」を重視する介護のどちらを望みますか。

S:私は、どちらかといえば効率を重視した介護を望みます。というのも、私の祖父がちょうど一週間前に退院したのですが、自分でベッドから立ち上がることができず、手足を自由に動かすことも難しい状態なんです。

そうした状況で、家族が介護のために多くの時間を割き、自分のやりたかったことができなくなってしまうと、長期的に見れば、介護する側にもされる側にも負担が大きいと思います。今週、祖父の家を訪ねたのですが、今後さらに状態が悪化する可能性を考えると、家族が四六時中、介護に専念することが本当に望ましいのだろうか、と感じました。

だから、まずは効率を重視して介護を行ない、余裕があるときには会話を楽しむ。もちろん、そのバランスをとるのは難しいと思います。ただ、介護する側が限界を迎えてしまうことも、避けるべき状態なのはずです。

KL:私の祖母も、そろそろ介護を必要としてもおかしくない年齢です。おしゃべり好きな祖母の性格を考えると、対話を重視した介護のほうがいいと思います。

それに、これは個人的な思いですが、介護があまりにマニュアル化されてしまうと、介護される人そのものが一つの「タスク」のように扱われてしまう気がしていて。人間であるにもかかわらず、まるで物のように扱われていると感じるような経験を、家族にはしてほしくありません。だからこそ、その人の性格や気持ちに寄り添った対話のある介護を望みます。

O:自分の家族のことを考えると、私も対話を重視した介護を望みます。ただ、Sさんが言ったように、介護する側が限界を迎えてしまうことがもっともよくない、という点にも納得します。

今回の記事の前に掲載されていた藤崎宏子氏の「『介護の脱家族化』をめざすべき時代」では、従来、家族のなかで担われてきた介護が徐々に外部化されつつある一方で、いまだ多くの課題が残されていることが指摘されていました。これまで家族が抱え込んできた介護の負担が社会全体の問題として捉えられ、少しずつ外部のサービスに委ねられるようになっているわけです。

ただ、その結果として、外部の介護施設では効率だけが優先され、十分な対話が行なわれなくなるとしたら、「家族の負担を減らすこと」と「その人らしい介護を受けること」がトレードオフの関係になってしまいます。生産性を求めることは必要だとしても、そのなかで対話をするための余白まで失われてしまうのは、やはり悲しいことだと感じます。
 

介護ビジネスは変わっていくのか

K:自分自身で家族を介護するのであれば、ある程度は効率を重視せざるを得ないと思います。一方で、外部の介護者に委託するのであれば、できれば対話を重視した介護を求めたい。そう考えると、社会サービスとしての介護そのものが、「苦しい仕事」というイメージから、対話を大切にする仕事へと変わっていく必要があるのではないかと思いました。

O:ただ、それを現在の介護ビジネスの仕組みのなかで実現できるのでしょうか。対話のための時間を確保するとなれば、ある程度、公的な支援や予算を投じなければ、今後は無理が生じるのではないかと思います。

KL:私も、対話を増やすことで介護する側のコストがどの程度上がるのかについて、記事ではあまり触れられていなかったので、現実的に続けられるかという点では疑問が残りました。

もう一つ感じたのは、本文からは、筆者自身が聞き書きを楽しんでいることが伝わってくるのですが、それは聞き手の適性にも左右されるのではないか、ということです。誰もが人の話を聞くことを楽しめるわけではありませんよね。

S:たしかに、私自身は話すことよりも、人の話を聞くことのほうが好きなんです。逆に、自分が介護される側になったとしても、自分の話をするより、介護してくれる方の話を聞きたいと思います。そう考えると、介護される人、介護する人、それぞれの性格や特性によっても、望ましい介護のあり方は変わってくるのではないでしょうか。

KL:私は、自分の周囲の状況を見ても、今後、人手不足が簡単に解消されることはないだろうと考えていました。ただ、実際にデータを見ると、想像していた以上に深刻で驚きました。介護を必要とする人が大幅に増えている一方、日本の人口は減少している。これから介護の人手不足がさらに深刻になるのではないかと心配です。

O:たとえば、「子どもが好きだから」という理由で保育士をめざす人がいるように、「高齢者と話すことが好きだから」という理由で介護職をめざす人もいると思います。ただ、今後さらに多くの介護従事者が必要になったときに、そうした動機をもつ人だけで必要な人材を確保できるのでしょうか。

もちろん、仕事ですから、生活のため、収入を得るために介護職に就く人もいるでしょう。そうした人たちにも「対話」を求めるのであれば、それを個人の善意や適性だけに委ねてよいのか。効率だけでは測れない対話の部分を、介護という仕事のなかにどのように組み込んでいくのかは、考えなければならない問題だと思います。

K:たとえばホワイトカラーの仕事であれば、本人が仕事に強いやりがいを感じていなかったとしても、それだけで業務に大きな支障が出るとは限らないと思います。一方、介護は直接、人を相手にする仕事です。介護する人の気持ちや姿勢が、相手との関係に直接表れやすいという意味では、特殊な仕事なのかもしれませんね。

O:私の地元の岐阜県の山間部には、高齢者施設と幼稚園を隣接させたところがあります。そこでは、高齢者にも人とのつながりや、ある種の役割が生まれ、よい影響が出ているようです。

こうした事例を考えると、現実的な要請として、ある意味では「大家族的」なあり方に回帰しているようにも感じます。私は言語学を専攻していますが、ニュージーランドには、高齢者が子供たちに少数言語を教えるような取り組みもあります。現代の核家族化の流れとは逆行しているように見えますが、今後はむしろ、異なる世代が交わり、お互いに役割をもつような仕組みが必要になっていくのではないでしょうか。

KL:そう考えると、介護される側にも、社会に対して何らかのかたちで貢献できる余地があると考えられますね。それによって社会や共同体全体がうまく回るのであれば、かつそれを参加者たちが望むのならば、その取り組みは今後の日本社会に必要な「効率化」の1つになるのではないかと思います。

Voiceの詳細情報

関連記事

編集部のおすすめ

ヤングケアラー支援の課題とは? 家族思いの「いい子」ほどはまる罠

斎藤真緒(立命館大学産業社会学部教授)

家事育児をキャリアの足枷にしない 右肩下がりの社会を救う「柔軟な働き方」

三原邦彦(株式会社ビースタイルホールディングス 代表取締役社長)

「小さく失敗をする」ことの大切さ...エビデンスの時代に効く「凡庸な結論」

朱喜哲,谷川嘉浩,杉谷和哉

名門ケンブリッジ大が800年守る「最高の勉強法」 天才を育てる学びの掟

飯田史也(ケンブリッジ大学教授)