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【日本文明研究会】文明のなかで築かれた日本人の死生観(3)

佐藤弘夫(東北大学名誉教授)

青森県の津軽半島にある川倉地蔵堂には、約2000体の石のお地蔵さまがある(写真:佐藤弘夫氏)  青森県の津軽半島にある川倉地蔵堂には、約2000体の石のお地蔵さまがある(写真:佐藤弘夫氏)

米中をはじめとする文明的大国が自己主張を強め、同時にデジタル化やビッグデータを軸にした技術革新が起きているなど、私たちはいま劇的な世界の変化を経験しています。このような状況下では、環境変化の圧力や不確実性に翻弄されるばかりでは十分ではなく、日本のあり様や世界のなかでの位置づけを問い直していく必要があるはずです。

日本文明研究会(委員:河野有理、藤本龍児、三宅香帆)」では、日本の文明的な性格がいかなるものかを、思想・宗教、文化文芸から家族、組織原理、政治、経済社会にいたるまで多角的な視点で検討し、顕在知として表出していくことをめざします。今回は、日本文明のなかでかたちづくられた私たちの「死生観」について、4回にわたって見ていきます。(構成:藤橋絵美子)

 

コロナウイルスは成仏できるか

日本の「関係性の哲学」から現代社会を照らしたとき、そこから何がみえてくるのでしょうか。

2020年、全世界で新型コロナウイルスが猛威を振るい、社会が停滞する事態に陥りました。私が勤めていた東北大学でもさまざまな分野の専門家が集まり、このパンデミックを教訓として、「コロナ後にどのような社会を築いていくか」について議論が行なわれました。その議論の過程で思いついたテーマがありました。コロナウイルスは果たして成仏できるのか、という問いです。

これまで見てきたように、日本では「草木国土悉皆成仏」、この世のあらゆるものが成仏できるという世界観があります。コロナウイルスも当然、成仏の対象になるはずです。そうであれば、「ウイルスの成仏」とは具体的には何を指すのでしょうか。どのような現象をもって、「ウイルスが成仏した」ということができるのでしょうか。この問いかけの先に、現代人が忘れかけている「人間と自然との付き合い方」の核心があるように思えたのです。

人類がパンデミックを引き起こす細菌やウイルスを発見したのは、近代になってからのことです。それ以前は流行病をもたらす存在は、正体不明のものでした。日本では長らく「疫病神」「疫神」と表現されていました。

鎌倉時代の絵巻物『春日権現験記』『泣不動縁起』などには、疫病神の姿が描かれています。牛馬のような顔を持ち、角を生やした赤い鬼のような容姿です。前近代の社会では、病は遊行する疫病神がもたらすものと信じられてきました。

この時代、疫病神を力づくで退治しようとするのはご法度でした。人間が立ち向かって敵う相手ではありません。それ以上に、疫病神はあくまで「神」なのであって、決して邪悪な存在ではない。疫病神が暴れるのは、人間との関係性が乱れ、彼らが不満を抱いているからだと考えられたのです。

そのため当時の人々は、ひとたびパンデミックが起こると、疫病神の声に耳を傾け、乱れた関係性を修復しようと努めました。疫病神を宥めるためにさまざまな祭祀が執り行なわれました。道路上にごちそうを並べ、それらを食べていただくことで、満足してお引き取りいただく、という儀式が行なわれました。

中世の絵巻物である『融通念仏縁起』には、疫病神たちが家に侵入しようとしたので、家の主人が、「門の中では大事な仏教の法会が行なわれているので、どうか中に入らないでください」と説得している場面が描かれています。説得が効いて疫病神たちは引き返すのですが、その際に「それほど尊い法会が行なわれているのだったら、我々も縁を結ぶことにしよう」と、結縁のために疫病神が参加者の名簿にサインしていくのです。疫病神は人間と対等に対話できる存在とみなされていたのです。

疫病神すらも世界の構成員として認め、その声に耳を傾けることで乱れた関係性を修復しようとする。これが、日本人が伝統に培ってきた「災厄との付き合い方」だったのです。

 

前近代はいつ死ぬかわからない時代

それにしても、なぜ疫病神は「神」でなければいけなかったのでしょうか。

現代では、100歳前後まで生きるのが珍しいことではなくなりました。しかし、少し時代を遡れば、人がいつ死ぬか分からない時代だったのです。

中世日本では頻繁に争乱や飢饉が起こり、疫病が広まります。いったん飢饉や疫病が起これば、人口は激減します。日蓮は『立正安国論』に、「天変地異や飢饉・疫病があまねく天下に満ち、広く地上を覆っている。牛馬は路上に倒れ伏し、人の屍と骨は道にあふれている」と書いています。藤原定家や親鸞の著作にも、似たような記述があります。まさに生まれ落ちた瞬間から櫛の歯が欠けるように人は死んでいき、天寿を全うできる人などそうそういない時代が続いてきたのです。

江戸時代になると幕府の定住政策とも相俟って、相対的に安定した社会が出来上がりますが、それでも災害や飢饉はやってきました。人口と食料生産がかろうじて均衡を保っているこの時代は、飢饉などで少しでもバランスが崩れると大変な事態に陥りました。家畜はもちろん、ペットの犬猫までが食料となりました。人肉を食べたという記録も残っています。口減らしのために、産まれた子どもをその場で殺してしまう「間引き」も頻繁に行なわれました。

飢饉の痕跡は、特に東北地方では各所に残されています。青森県の津軽半島にある川倉地蔵堂には、約2000体の石のお地蔵さまがあります。子どもを亡くした人が納め、折々にやってきてはお化粧をほどこし、季節に応じて服を着替えさせるのです。

あまりにも多くの人が、何のために生まれてきたのか分からないうちに死んでいく。そのため、せめて死後には幸せな生活があることを多くの人が願いました。人生はこの世だけで完結するのではない。この世があまりにも無常だからこそ、死後の世界は光に満ちたものでなければならない――そう考えて人々は、この世からの離別を納得しようとしたのです。

その際に、この世とあの世をつなぐ役割を果たしたのが、「神」でした。現代日本において「神」というと、もっぱら現世におけるご利益をもたらす存在というイメージがあります。健康、良縁、受験の成功……。しかし、時代を中世まで遡ると、神のもっとも重要な役割は、「人をよりよい世界(浄土)に導く」ことでした。

疫病神もまた「神」として、生の世界と死の世界を仲立ちする役割を担っていると考えられました。疫病神によってもたらされる死には人間の力を超えた計らいが隠されていると捉えて、死を運命として受け入れようとしたのです。

また疫病の蔓延は疫病神の不満によるものと考え、そのメッセージを聞き取るための努力がなされました。不満の原因を取り除いて、人と疫病神の調和ある関係性の修復を目指したのです。

疫病を「叩き潰す」「押さえ込む」という発想が出てくるのは、近代以降の現象です。そこではウイルスは絶対的な「悪」であり、もはや「対話を行なう相手」ではなくなってしまったのです。

 

日本人だからこそ、万物の声に耳を傾けられる

私たちが成し遂げた近代化とは、万象が共生していた世界から人以外のものを排除し、人間が唯一の特権的な存在にのし上がっていくプロセスでした。その過程で、私たちは、人間以外の声に耳を傾ける力を失ってしまい、その結果、人と自然との関係性が大きく歪んでしまった――私は西欧が主導した近代化のプロセスをこのように捉えています。

近代化が人間にとって、大きなプラスの側面があったことは否定できません。ヒューマニズムの隆盛、人権の拡大、文明の進化と発達...。私たちはそこから多くのものを享受しました。

ただ、人間のみが特権的存在であるという認識は、人間がこの世界を他のものたちと分かち合っているという感覚の喪失と裏腹の現象でした。その結果、人間の傍若無人の振る舞いを制止するものがなくなり、万物は人による搾取の対象となってしまいました。急激に進んでいる地球温暖化や相次ぐ異常気象、そして地球全体に広がる環境汚染は、その結果と捉えることができないでしょうか。

ここ数年、本来山にいるはずの野生のクマが街に出没することが問題となっています。古来、山は神の領域であり、クマはその住人と考えられました。ゆえにマタギの世界では、山に立ち入るにあたっての数々の厳しい掟があり、狩りも必要最小限にとどめられてきました。そうした棲み分けの知恵が、人と野生動物の共生を可能にしてきたのです。

もちろん今日の社会では、クマが人に害を及ぼすことがないよう慎重に対処することも必要です。しかし、単にクマを全て殺せば済むという問題ではありません。もっと根源のところで、私たちはいまなにをなすべきか、自然から問われているのではないでしょうか。 

現代日本に受け継がれる、人間以外のものを仲間として捉える「関係性の哲学」の長所は、語らないものたちの声に耳を傾けることができることです。コロナウイルスは人類にどんなメッセージとして届けようとしているのか。街に出没するクマたちは私たちに何を語ろうとしているのか――万物の声をくみ取って、共生を目指しての新しいメッセージを世界に発することが、日本人にはできると思うのです。

人間による自然への傍若無人な介入を反省し、調和ある関係性の再構築を目指す。現代における「ウイルスの成仏」とは、もしかしたらそれが実現した状況を意味しているのではないでしょうか。

 

*本原稿は、日本の文明的な性格がいかなるものかを顕在知として表出していくことをめざす「日本文明研究会」の内容を記事化したものです。

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