2026年09月01日 公開

「22世紀の人間像研究会」は、多様な分野の専門家とともに「人間とは何か」という根源的な問いを見つめ直し、未来の人間像を探究する試みです。今回は2回にわたって、天文学者の高梨直紘さんが、宇宙が人間社会や精神に及ぼしてきた影響を手掛かりに、これからの人間の在り方を見つめ直す視座を拓きます。(構成:中嶋 愛)
人間は星空とのかかわりのなかから、時空間をつかさどる秩序や、人間社会の統治のありかた、さらには科学的な方法論を身につけていきました。では、現代はどうでしょうか。天文学の名残のようなものは現代の私たちの生活の随所に残っています。
たとえば、化粧品を意味するコスメティック(cosmetic)という言葉は、コスモス(cosmos)に由来します。コスモスは「宇宙」を意味すると同時に、ギリシア語では「秩序」や「調和」を指す言葉でもありました。天体の運動に見られる整った美を、人間の身体における調和の美に通じるものとして捉えたのだといえます。
音楽におけるハーモニー(和声)も同様です。天文学でいうハーモニクスは惑星の運動に関わる概念ですが、惑星の公転周期に見られる美しい整数比と、美しく響く和声における音程の整数比とが対応づけられているのです。
都市構造や建築にも、こうした宇宙観は色濃く表れています。ヨーロッパの古い都市は教会を中心に放射状に広がる構造を持つことが多いですが、神のいる場所を中心として世界が広がるという発想を見て取ることができます。大聖堂のドームと呼ばれる半球状の屋根は天上界を象徴し、内部には天球が描かれることもあります。建築そのものが、宇宙のイメージを可視化する役割を担っていたのです。
一方、中国の都市は碁盤目状に整えられ、中心には天帝の代理人とされる天子、すなわち皇帝の居所が置かれました。その周囲には、星の配置に対応するように建物が配置されていました。
東西南北を守る青龍・白虎・朱雀・玄武の四神も、方位や季節、星と結びつけられています。こうした都市構造は、天に由来する秩序を地上に実現しようとする意図を示しています。日本の平城京や平安京もまた、中国の都をモデルとして築かれており、碁盤目状の都市計画が採用されました。
このように見ていくと、人間の営みと宇宙との関わりは、言語や芸術、都市のかたちに至るまで、現代に連綿と受け継がれていることがわかります。
いま、私たちの暮らしのなかで宇宙や自然を意識する機会は確実に減りつつあります。そうした時代において、天文学は社会に何を提供しうるのでしょうか。この問いを改めて考えてみたいと思います。
一つは、人間中心主義的な世界観を相対化する視点を与えることです。天文学はその発展の過程で、「私たちはこの世界の中心ではない」という事実を、繰り返し明らかにしてきました。かつては地球が宇宙の中心にあるとする天動説が信じられていましたが、コペルニクスやガリレイによって、地球は太陽の周りを回る存在であることが示されました。
しかし、その太陽もまた宇宙の中心ではないことが明らかになります。太陽は銀河系という巨大な星の集団の一員にすぎず、その周縁部に位置しています。さらに20世紀初頭には、アンドロメダ銀河はわれわれのいる銀河系とほとんど変わらないサイズを持っているということが観測によって確かめられました。
銀河系やアンドロメダ銀河のような存在は、宇宙には無数にあることもわかっています。私たちにもっとも近いところにある銀河団はおとめ座銀河団ですが、そこには数千個の銀河が集まっています。そんな銀河団がまたいくつも集まり、もうひとつ上のスケールの構造であるおとめ座超銀河団を形成しています。そのおとめ座超銀河団の端っこのほうに、私たちのいる銀河系があるのです。
このように、人間がこの世界の中心にいるという見方を許さない証拠を歴史的につみあげてきたのが天文学という学問です。
とはいえ、宇宙広しといえど、生命が存在するのは地球だけだという考えは長らく当然のことと思われてきましたが、いまはそれも怪しくなっています。太陽系の中にも何かしらの生命が存在するかもしれませんし、ましてや銀河系内を見渡せば、そのごく一部を観測しただけでも8000個もの惑星が確認されている事実があります。銀河系の中ですら、数百億個の惑星があってもおかしくはないのです。こうした事実を踏まえれば、「地球だけが生命の宿る特別な場所である」と断言することはますます難しくなっています。
天文学は、人間が世界の中心ではないという認識を科学的に裏付けてきましたが、一方で宇宙物理学の分野では、それを大きく揺さぶるような議論も現れています。いわゆる「マルチバース宇宙論」です。これは、私たちが属する宇宙のほかにも、無数の宇宙が同時に存在しているとする考え方で、その数は10の何百乗にも及ぶとされています。私たちの宇宙は、その一つにすぎないというわけです。
しかし、それにしても無数に存在する宇宙のなかで、なぜ私たちは生命が成立しうる条件を備えた宇宙に存在しているのか。私たちの存在は、重力、電磁力、強い力、弱い力という四つの基本的な力の相互作用が絶妙なバランスとなっていることで可能になっています。これらの値がわずかに異なっていれば、物質も生命も安定して存在することはできません。言ってみれば、私たちがこういう形態を取り得ていること自体が奇跡的なのです。
このことから導かれる一つの考え方が、人間の存在を前提として宇宙を捉え直す視点、いわゆる人間原理です。すなわち、「私たちが存在しうる宇宙だからこそ、私たちはそれを観測できるのだ」という理解です。マルチバース宇宙論は、こうした発想の転換を可能にします。
人間は世界の中心なのか、それともそうではないのか。この問いは、今後、哲学をはじめとするさまざまな領域を横断しながら、さらに深く議論されていくべきものと言えるでしょう。
現代天文学は、人間中心主義に疑問を投げかけたり、その根拠を与えたりするにとどまりません。「私たちはなぜここにいるのか」という、人間存在の基盤に関わる問いに対して、一つの物語の枠組みを提供しうる学問でもあります。
私はこの研究会の冒頭でも、「地球も人間も宇宙で唯一無二の存在ではない」という話題に触れ、そのなかで「宇宙誌」という言葉を紹介しました。生命科学研究者の中村桂子さんは、「生命誌」を「人間も含めてのさまざまな生きものたちの『生きている』様子を見つめ、そこから『どう生きるか』を探る新しい知」と定義しています。
私はこの考え方に共感し、「宇宙誌」という視点もありうるのではないかと提案しています。すなわち、「人間も含めた多様な生命が、宇宙のなかでどのような道のりを経て現在に至ったのかを見つめ、そこから『どう生きるか』を考える知」です。
生命誌にせよ宇宙誌にせよ、それは自分自身につながる物語の枠組みの一つです。そして、そのなかでも最も大きなスケールの枠組みを提供しうるのが、天文学なのではないかと考えています。
物語には、始まりと終わりがあります。しかし、そもそもそのような枠組みはどこから来ているのでしょうか。私たちは、「宇宙には始まりがあり、いずれ終わりを迎える」という科学的認識を前提として、この世界を理解しています。それが人間にとって都合のよいものなのかどうかは分かりませんが、この認識が私たちの思考のかたちを深く規定していることは確かです。
また、宇宙は「無限」という概念を私たちにもたらしました。人間は宇宙と向き合うなかで、有限と無限という発想を獲得し、そこから新たな物語の可能性を引き出してきたのです。
人知を超えて広がっている宇宙を前にして、私たちはそこから多くの意味を読み取ろうとしてきました。星空を見つめ、自然と向き合いながら思索することは、「人間とは何か」という根源的な問いを、宇宙を鏡として自らに映し返す営みなのかもしれません。
もう一つ大事なことは、宇宙に相対しているとき、人は誰もが平等であるということです。長い歴史のなかで、宗教の言語がこの1、2世紀で相対的に力を失い、その一方で科学への信頼が高まってきました。神に委ねてきた多くの事柄を自ら引き受けることになったとき、人間はそれにどう耐えうるのかは私たちに突きつけられた課題です。
「神の前では人は平等である」という言葉も、信仰の多様化した現代においては、必ずしも共有される前提ではなくなっています。何を支えにコミュニティを形作るのか、いろいろな可能性が探究されていますが、宇宙や生命に対して人は等しく向き合う存在であるということは、ひとつの手がかりになるのではないかとも思います。
これから私たちが、宇宙を含む自然とどのように関係を結んでいくのか。そのあり方は、今後の人間の姿を大きく左右することになるはずです。
今年(2026年)4月、地上で人間同士が争いを続けるなか、「アルテミス2」計画の宇宙船オリオンが、53年ぶりとなる有人による月周回飛行を達成しました。このミッションでは、人類史上最も地球から遠い地点に到達し、56年ぶりにその記録を更新しました。
とはいえ、「遠い」といっても宇宙のスケールで見るとごくわずかな距離にすぎません。北半球からも観測できる地球から最も近い恒星はおおいぬ座のシリウスですが、それでも8.7光年も離れています。
仮にシリウスをソフトボール大とすると、地球は1mmの砂粒になるのですが、その地球からおよそ6000kmも離れたところに浮かんでいます(ちなみに今回オリオンが到達した月は4cm先)。これは、日本からハワイ付近までの距離に相当します。つまり、最も近い星ですらこのスケールにあることを考えると、宇宙全体の広がりは、私たちの直感や認知をはるかに超えていると言えるでしょう。
4人のクルーを乗せた宇宙船オリオンからは、人類がこれまで目にしたことのない月の裏側の鮮明な映像も地球へと送られてきました。クレーターに覆われた月面の向こうに、青く輝く地球が浮かぶその光景は、息をのむほどの美しさを湛えていました。
現代は、社会の分断や対立が際立つ時代です。しかし、私たちが地球を共有する仲間であるという事実に立ち返って、そこから宇宙に思いをはせるとき、信頼を結びなおす手がかりが見えてくるのではないでしょうか。私たちはいまなお、星空から多くのことを学び続けているのだと思います。
*本原稿は、多様な領域の専門家とともに「人間とは何か」を問い直し、次の時代を切り拓く人間像を模索していく「22世紀の人間像研究会」の内容を記事化したものです。天文学者の高梨直紘さんにお話しいただいたこちらの内容は、後日掲載する「ディスカッション篇」に続きます。
更新:09月01日 00:05