2026年08月25日 公開

「22世紀の人間像研究会」は、多様な分野の専門家とともに「人間とは何か」という根源的な問いを見つめ直し、未来の人間像を探究する試みです。今回は二回にわたって、天文学者の高梨直紘さんが、宇宙が人間社会や精神に及ぼしてきた影響を手掛かりに、これからの人間の在り方を見つめ直す視座を拓きます。(構成:中嶋 愛)
天文学というと、浮世離れした学問と思われがちですが、実は天文学は人間社会の秩序の形成、芸術や都市建設など、日常生活のあらゆるところにかかわっています。その天文学から見た人間社会のこれまでとこれからについて、お話ししていきたいと思います。
そもそも、人間はいつから星空を認識していたのでしょうか。正確にはわからないのですが、証拠的なものとしてよく引き合いに出されるのが、洞窟の壁画です。有名なラスコーの洞窟やアルタミラの洞窟には、クロマニョン人が描いたとされる壁画があります。狩猟の対象となった動物の絵が知られていますが、星空から何らかのインスピレーションを受けて描かれたような絵も残っています。
私はこの時代の壁画を実際に見たことはないのですが、洞窟に入ったことは何回もあります。光が届かない内部は真っ暗です。昔の人は闇のなかで、おそらく松明か何かを掲げながら絵を描いたのでしょう。そこまでして、なぜわざわざ洞窟の中に絵を描く必要があったのでしょうか。
ある研究者が、「あれは古代の人にとっての映画館みたいなものだ」という話をしていました。炎のゆらめきの中でウマやシカなどの絵を眺めると、それらの動物があたかも動いているかのように錯覚できるのだ、と。当時の人間たちは、そこで何を思い、話していたのでしょうか。そこでの語りも神話のもとになっていったのかもしれません。
そうした営みは、洞窟の中だけではなかったのだろうと思います。夜、焚き火をしながらゆらゆらと揺れる炎の光を囲んで、いろいろな話をしたことでしょう。そのとき、上を見上げるとそこには表情豊かな星空があった。一年の半分は夜ですから、星空は人間の精神性の芽生えに深く関係していたと私は思います。
この話は想像の域を出ませんが、満天の星の下に身を置いたときに覚える深い感動は、その確かな根拠のひとつかもしれません。なぜかわからないけれど、星空を見上げると心を動かされる――みなさんにも、そんな経験があるのではないでしょうか。
星空に対しては、美しさだけでなく、恐怖を感じることもあったかもしれません。いずれにせよ、星空という大自然に圧倒される感覚は、現代人にも確かにあります。その感覚を手がかりにすれば、何万年も前の祖先たちもまた、同じような思いを抱いていたのではないかと思えてきます。
星空は、人間にどのようなことを教えてくれたのでしょうか。代表的なものとして、ここでは三つ挙げてみます。
まず、空間的な秩序です。人間は地球の重力のもとで生活するなかで、上下という感覚を身体的に獲得してきました。前後左右は自分を中心とした相対的な方向ですが、東西南北は個人に依存しない絶対的な方向として成立します。こうした方角の概念は、ほぼすべての文明に見られます。
その背景には、天体の規則的な運動があります。太陽は毎日昇って沈むため、「日が昇る方」「日が沈む方」として東西の感覚が生まれたと考えてもよいでしょう。また星空を観察することで、北と南に対応する方向を意識するようになったのだと思います。
第二に、時間的な秩序です。私たちは「1年365日」として生活していますが、人類はかなり早い段階でこの周期を認識していたと考えられます。太陽の運行を継続的に観察することで、その周期が測定され、暦として体系化されていきました。月の満ち欠けも同様です。月の運行に基づく「ひと月」という概念が生まれ、陰暦として社会の基盤的な時間体系を形づくってきました。
この世界は整然と流れる時間によって支えられているという、現代を生きる私たちにとってはごく当たり前のこの感覚も、その起源をたどれば、星空の観察に行き着きます。
空間や時間に関する感覚が人間の意識のなかに定着していくなかで農業が始まり、やがて収穫した作物を交換するようになりました。そうした経済活動においては、「いつ、どこで物を受け渡すのか」を、離れた人どうしで共有する必要が生じます。そのため、特定の天体の動きに基づいて、「この月のこの日に、この場所で市を開く」といった取り決めが行なわれるようになったのだと思います。
日本各地に残る「廿日市」や「四日市」といった地名は、その名残のひとつです。月の満ち欠けを基準に、人々が定期的に集まり、物々交換を行う場所だったのです。こうした初期の交換社会を支えていたのは、星空の観察から得られた知識と知恵だったと言えるのではないでしょうか。
三つめは、精神的な秩序です。星空は、人間が世界の意味や権威の根拠をどこに見出すかという点にも大きな影響を与えてきました。
たとえば北極星は、古代中国においては天帝と結びつけられていました(ただし、これは概念として天の北極を指しており、現在のおおぐま座アルファ星のことではない事には注意が必要です)。天帝とは、すべての権力を統べる中心的存在です。星の動きを観察すると、北極星を中心に他の星々が回っているように見えることから、権力の中心の象徴として位置づけられたのです。
中国の皇帝を指す天子は、天帝から地上の統治を任された者とされました。天子は天の意志を読み取る存在であり、日食や月食といった天文現象も政治(まつりごと)のなかで重要な意味を持ちました。
こうした例は、中国に限りません。古代文明においては、権力の正当性の根拠を天に求める発想が広く見られます。たとえば、ハンムラビ法典の石碑には、太陽神シャマシュが王に法を授ける姿が刻まれています。またルーブル美術館や大英博物館には、星座の原型となる図像が刻まれた境界石がいくつも展示されています。これらは、メソポタミアにおいて土地の所有権を公式に記録するための石であり、そこに刻まれた星座は契約の証人となる神々の象徴と考えられていました。土地の所有権を示すこうした石に天の象徴を刻むことで、その正当性を担保しようとしたのです。
このように古代においては、支配者と被支配者、王と民といった身分的秩序も含め、精神的秩序の根拠が天の世界に求められていました。世界各地の神話において宇宙や星の物語が重要な位置を占めていることも、そのことを裏づけていると言えるでしょう。
人間は古来、星空からさまざまな知恵や知識を吸収してきたわけですが、さらに時代を進めれば、「学問の方法論」もまた、星空の観察を通じて育まれたところがあります。
天文学は、古代ギリシア時代から自然哲学の一部として存在しました。星空の構造や星の種類、星の動きなどさまざまな角度から探求が行なわれ、そこで培われた方法論は、その後に続く学問の礎になりました。たとえば、星の動きを測定し、距離や位置を特定するために幾何学や三角法などの数学が発達しました。占星術や航海術なども、天文学から枝分かれしていった実学です。
16世紀から17世紀になると、地動説を唱えたニコラウス・コペルニクス、その正しさを証明したガリレオ・ガリレイやヨハネス・ケプラーなどが出てきます。観測によって現象を数値化し、数学に基づいたモデルと照らし合わせながら物事の本質を探究していくという方法が、近代科学の「型」として定着していきます。
こうした実証的な方法は、サイエンス以外の分野にも広がりました。有名な例を挙げれば、アダム・スミスの初期の論考の一つに「天文学史」というものがあります。正式名称は、“Principles Which Lead and Direct Philosophical Enquiries; Illustrated by the History of Astronomy”ですが、直訳すると、「天文学に見る哲学的探究を導く諸原理」となります。
アダム・スミスは、この論考のなかで、天文学という自然科学の成功モデルを、人間社会の理解に応用しようとしました。複雑な現象の背後にある秩序や体系を、実証的な方法を通じてシンプルな原理で説明する、そういった天文学の手法を、その後自身の経済学に取り入れていきます。いまある学問の源流には星空も含めた「自然との付き合い」があったと言えるでしょう。
*本原稿は、多様な領域の専門家とともに「人間とは何か」を問い直し、次の時代を切り拓く人間像を模索していく「22世紀の人間像研究会」の内容を記事化したものです。天文学者の高梨直紘さんにお話しいただいたこちらの内容は、後日掲載する「ディスカッション篇」に続きます。
更新:08月25日 00:05